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2020.06.21

【父の撮った(?)写真】

 

「コロナ休暇」を利用してこの3ヶ月身辺整理をしてきました。
自分がこれまで書きためた文章はもとより、両親から受け継いだかなりの量の手紙、文章、写真もありなかなかの大作業でした。(北海道弁で言えば「やんや、ゆるぐながったわぁ」)

今日最後の写真をPCに取り込み、おおよその年代別に仕分けが終了。これで「身辺整理」もひと段落。

父が所有していた多くの写真は「家族の歴史」を物語っています。
実は父が写真を撮っている姿は記憶にあまりありません。
でも彼が親しくしていた写真屋さんのことや、愛用していたオリンパスペン(ハーフサイズフィルムのヤツ)の記憶は鮮明に残っています。

僕の写真好きは父のオリンパスペンを失敬したところから始まり今にいたります。中学生の頃でした。
父の残した写真を眺め、父の作風をあらためてじっくりながめました。随所に自分との共通点があるように感じます。
カメラアングルや主題の配し方などはとても近い。

そんな中でとても気にいった写真がこれです。
修道女の祈りのシーンかと思います。
シルエットにすることで祈るシーンの清新さや空気感が伝わってくるようで。

余分なもの排して単純化することで伝わってくるものがあります。シルエットは単純化の手法として優れているように思います。
僕自身も「引き算指向」と称してシルエットを多用する傾向があります。
だからとてもこの写真が気になった次第です。

モノクロフィルムではないのでそれほど古い時代の写真ではないと思われます。(昭和20年代~30年代まではすべてモノクロ写真でした)
プリントの色調描写を見るとカラーネガではなくリバーサル(ポジ)フィルムのように思えます。

父がリバーサルフィルムを使っていた記憶はありません。
ドットスコープで印刷物(複製品)でもないことが確認できました。
もしかしたら他の方が撮影した作品を貰ったのかもしれません。
でも大切に保管されていた写真なので、少なくとも父の琴線に触れたものだったことは間違いありません。

何十年かを経て、僕もまた琴線に触れる写真と出合うことができました。

 

1924-24 1924-23

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