我が家に長年続く「握手」の習慣。
67年前の6月。
両親が始めた「握手」は子供や孫たちに受け継がれ、今ひ孫に受け継がれようとしている。
(もっとも孫たちには握手よりギューというバグの方が自然のようだが。)
僕が嬉しいのは函館で生まれた我が家の習慣が津軽海峡を渡って、この関東の地でも綿々と続いていることだ。
自分のルーツを忘れぬためにこの習慣はずっと続けていきたい。
シェアした記事は3年前の今日、甥っ子の結婚式に家族が全員集まった時のこと。
「握手の習慣」は健在であったことを確かめることができた。
うれしがった。
【握手の距離】
いい結婚式だった。
兄弟妹がみな集まった。それぞれの連れ合いと共に。
披露宴が終わり、参列してくださった方々を見送る。
古池家ご一党に握手を交わして別れを告げる。
多くは語らぬがそれぞれの思いを込めて手を握り返す。
60年間続くオリジナル古池ファミリーの習慣だ。
父と母が始めたこの習慣は我々子供たちに引き継がれた。
そしてそれはさらにその子供たちに受け継がれている。
弟や妹はもとよりめったに会うことのない甥っ子、姪っ子と握手を交わし、その手の温もりを感じそんな感慨を覚えた。
父の子供たちとの接し方はいつも一定の距離をおいていた。(その分母はうっとおしいほどであったが)
子供と距離をおくことで、父は子供の自主性や立ち位置を尊重してくれた。
家庭を持った我々子供たちも気がつくと父と同じやり方で子供たちと接していた。
距離をおくが放置や放任とは違っている。ちゃんと見守り繋がっていた。
握手をする時、この適度な距離と繋がりを感じる。
それは手を振るのとは違う。
接するだけのハイタッチとも違う。
手を握りあい互いの温もりを感じ合うことが大事なのだと思う。
かといってハグでは近すぎる。
たんに相対的な距離感に過ぎないことかもしれない。
でも僕には「握手の距離」が心地よく、安心感を覚える距離なのだ。
久しぶりに握手を交わし、そのことを確かめることのできた甥っ子の結婚式だった。
(上越新幹線にて)
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