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2020.05.27

【7日間ブックカバーチャレンジ 6】 「沈黙」

1973年(昭和48年)
僕は大学受験に失敗し、伊達カトリック教会の伝道館にこもり1年間の浪人生活をしていました。
そこは閉ざされた空間で「遊び」の誘惑もなく、受験勉強にはうってつけの場所となるはずでした。
しかしながら受験勉強に没頭などできるはずもなく、「ひねもすのたりのたりかな」なる毎日でした。
早朝、新聞配達のアルバイトから帰り、前夜のラジオ講座の録音を聴きながら受験勉強をしたのは最初の1~2ヶ月。
あとはただただ本を読んで過ごしていました。
(あ、ギターも弾いていたか)

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「沈黙」はそんな中の1冊でした。

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話は江戸時代末期。
島原の乱等でキリスト教が異教として激しい弾圧を受け、多くの殉教者がいたころです。同時に隠れ切支丹が潜伏していたころです。

ポルトガルの司祭ロドリゴが日本人信徒(すでに棄教していた)キチジローの案内で五島列島に潜入。
布教活動を隠密にはじめますが、やがて長崎奉行所に追われ逃亡します。
ロドリゴは「神の奇跡」を信じ、ひたすら祈ります。
ところが神はなにも言わず、奇跡も起こさず「沈黙」し続けます。
やがてキチジローの密告でロドリゴは捕らえられ激しい拷問を受けます。
自分に対する拷問だけではなく、すでに棄教をした信徒に対しても拷問が続きます。ロドリゴが棄教しないかぎり彼らへの拷問も続くというのです。
司祭として信仰を守り殉教の道を選ぶのか、棄教することによって苦しむ信徒たちを救うのか。
究極の選択を余儀なくされたロドリゴは「踏み絵」を踏むことを受け入れます。
「踏み絵」とはキリストの絵が刻まれた銅板です。それまで多くの人々に踏まれすっかりすり切れた「踏み絵」。

ロドリゴは踏み絵に足を置くさなかキリストの声を聞きます。

踏むがいい。お前のこの足の痛さを私が一番知っている。
踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ、
お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ

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若者が四六時中ひとりでいると、ろくなことを考えないものです。
「沈黙」を読みながらカトリック信者としての自分を見直さざるをえませんでした。
究極の選択を迫られた時俺はいったいどうするだろう。
殉教の道を選ぶだろうか。
はたまたロドリゴを売った弱虫・キチジローのごとく恐怖のあまり踏み絵を踏むのだろうか。
どう考えても自分は弱虫・キチジローと同じ種類の人間だろう。

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そも、自分にとってキリストは、そしてキリスト教はいったい何ものなのか。
この問いが自分を捕らえて放しませんでした。

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僕は幼児洗礼を受けさせられました。
つまり自分の意思でキリスト教を選んだわけではありません。
それは「あらかじめ背負ってしまっているもの」でした。
それまでは周囲の友人たちとの間に若干の違和感を持ちながらも、カトリックであることはあたりまえのこととして受け止めてきました。

でもそのことに疑いを持ち始めたのです。
ひとたび自分自身の存在に疑いを持つと坂道を転げ落ちる石の如しです。
自分を育んできた19年をすべて、何から何まで否定してかかりました。
「水平思考」というヤツです。

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遠藤周作は「沈黙」の後「死海のほとり」、「イエスの生涯」そして「侍」と書き続けます。
その中で遠藤周作にとってのキリストについて考察を深めていきます。

残念ながら僕にはそれほどの思考能力はなく、中途半端で曖昧な気持ちのまま「浪人時代」を終えます。

そして20歳の春、東京へと旅立ちます。
東京で結論の出ない中途半端な気持ちのまま、僕は「マルクス主義」=「唯物論」と出会います。

僕の20代は「唯物論的弁証法」に頼りながら、自分の来し方を検証することに費やされることになりました。

いわば「荒れた青春時代」でした。

「沈黙」はその出発点となった本でした。

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初版: 1966年(昭和41年)新潮社より初版。
著者: 遠藤周作
出版社:新潮社
印刷: 大日本印刷

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空

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