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2020.05.31

2020年6月のライブ・コンサート予定

コロナ自粛要請が解除となりました。

これから先は細心の注意をはらいながら、「新型コロナウィルス」とおつきあいをしていかなければならないのでしょう。

音楽活動もお店とも充分に話し合いをしながら少しずつ再開していきたいと思います。

おそらく今までとは若干スタイルを変えていく必要があるのかなと考えています。

以下6月の予定をお知らせいたします。

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06月07日(日) 喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ 

時 間  15:00~17:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)

★昭和の香り漂う喫茶店。
 昭和を彷彿とさせる歌の数々。
 通常営業中のライブです。
 珈琲や食事をしながら日曜の昼下がりをまったりとお過ごしください。
 そんなひとときのお供にMartin古池の歌をどうぞ。

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06月21日(日) おーるどたいむ de ライブ (小さな小さな音楽会)

時 間  15:00~
場 所  Live cafe おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷 東口 徒歩10分
出 演  ①らんぶりんまっく ②Martin古池
木戸銭  ¥1000 他にご飲食をお願いいたします

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06月27日(土) みんなで歌おう・弾こうフォークソング

時 間  14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷 東口 徒歩10分

★体にしみこむフォークソングを中心に歌う歌声音楽会。
 参加される方々のおしゃべりが生命線(?)の井戸端音楽会でもあります。
 Martin古池は水先案内人を務めさせていただきます。

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★「朝市コンサート」、「お好み焼きの三貴ライブ」等のレギュラーライブについては

  越谷市場やお店と実施可否について検討の上ご連絡いたします。

 

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「本日の整理写真」 『絵本コンサート おつきみどろぼう』(2010年9月)

コロナ休暇を利用して身辺整理をしている。

これまで過去の手紙や文章の整理を終了させ、今写真の整理に手をつけている。

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そんな中で10年前にやった『絵本コンサート』の写真や動画を整理した。

絵本コンサートは絵本作家、出版社(世界文化社)、印刷(共同印刷)が手を携えて開催してきた。

3年間で3冊、5回の絵本コンサートをやることができた。

僕は印刷を担当すると同時に、作家先生の歌詞に曲をつけて歌うという大役を仰せつかった。

この写真は世界文化社のカメラマンNさんに撮っていただいたものだ。

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子供たちの中でやるコンサート。
多くのことを学ばせてもらった。

子供たちは敏感でかつ正直。
子供の好きな歌を並べ、表面をなでるような演奏には絶対にノッてこない。
最初は物珍しさで聴いてくれるけど、すぐに飽きてしまう。
大人だとそれでも付き合ってくれるかもしれないけどね。

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こちらも本気でがっぷりよつに組みついていかなければすぐに見透かされてしまう。
たとえ子供相手でも、いや子供だからなおのこと真剣勝負。
子供たちとの世代間闘争のようなものだ。

人様に歌う姿勢は子供だろうが大人だろうが、じいさん・ばあさんだろうがなにひとつ変わることは無い。
いつでもどこでも直球勝負で真剣勝負。
それが「絵本コンサート」を通して学ばせてもらったことだ。

 

このブログ「街角の歌芸人」で絵本コンサートの模様を詳細に記録している。
時系列で子供とのやりとりを中心にしたためた。
この時学んだことは10年経った今も心に刻んでいる。

よろしければご一読を。
「楽しくも手ごわかったおつきみどろぼう・絵本コンサート」
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/…/20…/09/post-61e1.html

 

動画①:「おつきみどろぼう」

  作詞・ねぎしれいこ 作曲・Martin古池

動画②:「おうちピクニック」

  作詞・きむらゆういち 作曲・Martin古池

動画③:「ハエ・ハエ・ハエ」

  作詞・作曲・自切俳人(北山修)

 

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2020.05.27

【7日間ブックカバーチャレンジ 7】 「函館 昭和ノスタルジー」

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藤田さんからバトンを承けた「ブックカバーチャレンジ」も最終日となりました。
最後にご紹介するのは僕の産まれ育った町・函館の写真集です。
昭和30年代~40年代を中心とした写真集。
子供のころによく目にした景色が満載です。

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実は最終日にどの本を選ぶかいろいろ迷いました。
人生の節目節目に大きな影響を受けた本はまだいろいろあります。
例えば尾崎士郎の「人生劇場」だったり、五木寛之の「青春の門」だったり、灰谷健次郎の「兎の眼」だったり。

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でも第1回目に函館出身の川内康範「昭和ロマネスク」で始めたので、最後も「昭和ノスタルジー」でしめるのがいいかなと思ったしだいです。

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この後バトンをどなたに渡そうかと迷いました。
でも多くの友人が他の方のつながりでチャレンジされています。
考えた末、弟の古池隆彦君に託そうかと思います。
彼は相当の読書家で(多分兄貴の僕よりも)いろいろ出てきそうな気がします。
もっともあくまでも任意なのでスルーしても全然OKとのことです。

ということで隆彦君、ご検討よろしくお願いいたします。

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十字街の一角にあった我が家の本家、レンカ堂。
中央で腰掛けているのは祖父・古池義一。左奥で笑っているのは叔父・清。この頃父はまだ小学生くらいだと思われる。
レンカ堂は大正4年創業の老舗御祝儀用品専門店。函館に結納という儀式を根付かせる役割を果たしたという。
創業者の祖父・義一は明治37年愛知県知多半島から祖母と共に渡ってきた。愛知県の風習を持ち込んだものと思われる。

尚、御祝儀用品専門店を開くまでの10年は呉服関係にも手を出したらしいが詳しいことは分からない。

Img_20200525_0002 9 5 Photo_20200527071302 Photo_20200527071303 昭和30年代始め。子供たちの遊び。

  Img_20200525_0003 Img_20200525_0004 Photo_20200527072401 Img_20200525_0003 8 7 2_20200527072701 3 町の風景

4_20200527072801 おおらかなり、函館。ヌード劇場「フランス座」の前を朗らかに歩く女学生。うしろにはわたあめ屋さん。

Photo_20200527071305 10 青函連絡船「摩周丸」と三等客室。船底の畳の船室では知らない者同士が酒を酌み交わしたり雑魚寝したり。4時間あまりの船旅の風景。

銅鑼が鳴り、五色のテープがたなびく。ダグボートに引かれ静かに桟橋をはなれる連絡船。函館ならではの風物詩だった。

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【7日間ブックカバーチャレンジ 6】 「沈黙」

1973年(昭和48年)
僕は大学受験に失敗し、伊達カトリック教会の伝道館にこもり1年間の浪人生活をしていました。
そこは閉ざされた空間で「遊び」の誘惑もなく、受験勉強にはうってつけの場所となるはずでした。
しかしながら受験勉強に没頭などできるはずもなく、「ひねもすのたりのたりかな」なる毎日でした。
早朝、新聞配達のアルバイトから帰り、前夜のラジオ講座の録音を聴きながら受験勉強をしたのは最初の1~2ヶ月。
あとはただただ本を読んで過ごしていました。
(あ、ギターも弾いていたか)

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「沈黙」はそんな中の1冊でした。

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話は江戸時代末期。
島原の乱等でキリスト教が異教として激しい弾圧を受け、多くの殉教者がいたころです。同時に隠れ切支丹が潜伏していたころです。

ポルトガルの司祭ロドリゴが日本人信徒(すでに棄教していた)キチジローの案内で五島列島に潜入。
布教活動を隠密にはじめますが、やがて長崎奉行所に追われ逃亡します。
ロドリゴは「神の奇跡」を信じ、ひたすら祈ります。
ところが神はなにも言わず、奇跡も起こさず「沈黙」し続けます。
やがてキチジローの密告でロドリゴは捕らえられ激しい拷問を受けます。
自分に対する拷問だけではなく、すでに棄教をした信徒に対しても拷問が続きます。ロドリゴが棄教しないかぎり彼らへの拷問も続くというのです。
司祭として信仰を守り殉教の道を選ぶのか、棄教することによって苦しむ信徒たちを救うのか。
究極の選択を余儀なくされたロドリゴは「踏み絵」を踏むことを受け入れます。
「踏み絵」とはキリストの絵が刻まれた銅板です。それまで多くの人々に踏まれすっかりすり切れた「踏み絵」。

ロドリゴは踏み絵に足を置くさなかキリストの声を聞きます。

踏むがいい。お前のこの足の痛さを私が一番知っている。
踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ、
お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ

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若者が四六時中ひとりでいると、ろくなことを考えないものです。
「沈黙」を読みながらカトリック信者としての自分を見直さざるをえませんでした。
究極の選択を迫られた時俺はいったいどうするだろう。
殉教の道を選ぶだろうか。
はたまたロドリゴを売った弱虫・キチジローのごとく恐怖のあまり踏み絵を踏むのだろうか。
どう考えても自分は弱虫・キチジローと同じ種類の人間だろう。

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そも、自分にとってキリストは、そしてキリスト教はいったい何ものなのか。
この問いが自分を捕らえて放しませんでした。

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僕は幼児洗礼を受けさせられました。
つまり自分の意思でキリスト教を選んだわけではありません。
それは「あらかじめ背負ってしまっているもの」でした。
それまでは周囲の友人たちとの間に若干の違和感を持ちながらも、カトリックであることはあたりまえのこととして受け止めてきました。

でもそのことに疑いを持ち始めたのです。
ひとたび自分自身の存在に疑いを持つと坂道を転げ落ちる石の如しです。
自分を育んできた19年をすべて、何から何まで否定してかかりました。
「水平思考」というヤツです。

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遠藤周作は「沈黙」の後「死海のほとり」、「イエスの生涯」そして「侍」と書き続けます。
その中で遠藤周作にとってのキリストについて考察を深めていきます。

残念ながら僕にはそれほどの思考能力はなく、中途半端で曖昧な気持ちのまま「浪人時代」を終えます。

そして20歳の春、東京へと旅立ちます。
東京で結論の出ない中途半端な気持ちのまま、僕は「マルクス主義」=「唯物論」と出会います。

僕の20代は「唯物論的弁証法」に頼りながら、自分の来し方を検証することに費やされることになりました。

いわば「荒れた青春時代」でした。

「沈黙」はその出発点となった本でした。

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初版: 1966年(昭和41年)新潮社より初版。
著者: 遠藤周作
出版社:新潮社
印刷: 大日本印刷

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空

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【7日間ブックカバーチャレンジ 5】 「北の国から」

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説明する必要もないほど有名な「北の国から」。
倉本聰さん作の壮大なTVドラマのシナリオ集です。


ドラマは1981年10月に半年間放映され、その後単発で特別編集のドラマが放映されました。

2002年の『遺言』で(一応)幕を閉じました。
倉本聰さんはその後の展開も構想を練っていたそうですが、諸般の事情から実現していません。

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僕が特に好きなのは「’87 初恋」。
主人公・黒板五郎(田中邦衛)の長男・純(吉岡秀隆)と同級生の大里れいの初恋を縦糸に、純の巣立ちへとつながっていく。

つまり五郎と純の親離れ、子離れが横糸になっています。

「親離れ・子離れ」は家族の歴史の中で、もしかしたら最もドラスティックなものかもしれません。
自立せんと親の庇護をはなれていく子。見方を変えると親を捨てその元を飛び立たんとする行為ともいえます。

まして北海道のへそ・富良野から海を越えて内地へと旅立つことは1981年当時は今よりはるかに勇気が必要なことだったと思われます。

純の心情は千々に揺れていたものと思われます。

一方で五郎もまた複雑な思いと葛藤に揺れていたと思われます。

半ば自分(そして純を育ててきた日々)を裏切り、東京に行かんとする純。
気持ちの上では受け入れがたい思いがあったはずです。
しかし胸に手を置くと自分もまた若いころに親を捨て、富良野を捨てて東京に出たワケで。。。

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ドラマの最後のシーン。
東京に向かう貨物トラック。おそらく苫小牧フェリーで仙台に出て、そこから陸路東京に向かうのでしょう。
五郎は運ちゃんに頼み、純を助手席に乗せてもらいます。
出面仕事でやっとこさえた金を旅費として運ちゃんに渡します。

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  走る車内
 ウォークマンをイヤホンで聞く純。
 流れる尾崎豊「I Love You」
 フラッシュバック れいちゃんとの記憶
 窓の外は続く雪道

 イヤホンが突然抜かれる。
 純:  「ハ?」
     運転手を見る。
 純:  「すみません、きこえませんでした」
 運転手、フロントグラスの前に置かれた封筒をあごで指す。
 純:  「ハ?」
 運転手:「しまっとけ」
 純:  「・・・何ですか」
 運転手:「金だ。いらんというのにおやじが置いてった。
      しまっとけ」
 純:  「あ、いやそれは」
 運転手:「いいから、お前が記念にとっとけ」
 純:  「いえ、アノ」
 運転手:「抜いてみな。ピン札に泥がついている。
      お前のおやじの手についてた泥だろう」
 純: ・・・
 運転手:「オラは受け取れん。お前の宝にしろ。
      貴重なピン札だ。一生とっとけ」
 純: ・・・

 恐る恐る封筒を取り、中からソッと札を抜き出す。
 二枚のピン札。
 ま新しい泥がついている。
 純の顔。
 音楽・・・テーマ曲、静かに入る。B・G。
 純の目からドッと涙が吹き出す。
 音楽・・・

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《追補》

1981年。
僕は北海道から出てきてからの数年間を熱病に冒されたかのように生きてきた。

放蕩の日々を総括、清算しつつ自分なりの生き方を手探りしていた。
札幌に住む父から何度かに分けてカセットテープが送られてきた。録音されていたのは「北の国から」。おそらくテレビを見ながらその音声を録音したものだろう。テープから流れる音を息をつめ見入っている気配が感じられる。時折鼻をすする音も混ざっている。

二十歳のころ僕は産まれ育った北海道を棄て、友を棄て、家族を棄て内地に出てきた。(厳密には結果として棄てることになったと言うべきか)
子が親を棄てたつもりでも、親は子を棄てない。
父がカセットを送り続けてくれたワケは知らない。

その頃僕は産まれたばかりの長男とどう付き合い、どう育てるか迷っていた。
女は懐妊した瞬間から母親になれるが、男は生まれ出てその顔を見てからやっと父親に育っていくものだ。
若き日の五郎が幼い純と蛍を連れ、富良野に戻る。そこですべてを己が手で切り開いていく。

五郎の生き方は僕にとって少なからず衝撃だった。
絵のない音だけの世界で僕は空想を膨らませていた。

シナリオを読むとその時空想した世界と実際の映像の世界がリンクして広がっていく。

父の送ってくれたテープは何度かの引っ越しをするうちに紛失してしまったのが悔やまれる。

 

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【7日間ブックカバーチャレンジ 4】 「銀河鉄道999 全10巻」

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主人公・星野鉄郎が機械の身体と永遠の命をただくれるという星・アンドロメダに行くため謎の美女・メーテルと共に旅をする物語。

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僕は鉄郎のキャラが大好きだった。
好奇心旺盛でいつもなぜかと問いをもち、なんにでも頭を突っ込んでしまう鉄郎。
心優しく、正義感あふれる性格が裏目に出て時に誤解を生み、トラブルにもなる。取っ組み合いのけんかにまでなってしまうこともある。

そんな鉄郎だが自分の身体で感じたことを信じ、己の血肉にしていく。
正義とはなにか。人の心の痛みとはなにか。
痛い目に遭いながら少しずつ成長していく鉄郎。
そんな鉄郎を影で支えながらも黙って見守り続けるメーテル。

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作者の松本零士の描くキャラクターは「男おいどん」の時から好きだった。

彼の描く世界観もまた好きだった。

昭和51年に月間ビッグゴールド(ビッグコミックの増刊)で始まり、翌昭和52年に週刊少年キングで連載された。
当時はまだ金欠病にあえいでいるころで、書店で夢中になって立ち読みをしていたのを覚えている。

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昭和55年。長男が産まれた。
迷わず哲郎と名づけた。星野鉄郎のような自分の身体で感じたことを信じて進むような男になってほしいと願った。

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平成21年に全10巻のコミックスとなり小学館から発行された。
あらためて読み返した。
僕はすでにいいおっさんになっていた。
でも若いころと同じように胸が熱くなった。

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著者: 松本零士
出版: 小学館
印刷: 図書印刷

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【7日間ブックカバーチャレンジ 3】 「ころび 転ぶよ 音楽人生」

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 「ガッハッハっハッ 私の細腕繫盛記よ」

謙遜し、そしてちょっと照れながらトミ藤山さんはそう笑います。

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でもこの本を通読すればとても細腕繫盛記とは思えぬトミさんの人生が垣間見えてきます。

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「東海の美空ひばり」というキャッチフレーズで歌手デビューした一人の少女が様々な苦境にもまれながら米軍基地で歌い続け、やがてラスベガスでのショーで歌う切符を手に。
そしてあこがれのグランド・オール・オープリー出演とスタンディング・オベーション。
「カントリーの女王」の誕生です。

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僕が初めてトミ藤山さんの歌を聴いたのは2007年7月でした。
音楽友達に連れられて新橋の「ツービート」にライブを聴きに行ったのです。なんの予備知識も持たずに聴く僕の最初の印象は「ギターも歌もなんてうまいオバサンなんだろう。カッコいい!」
ライブが進むにつれ、猛烈な勢いで語り、客を笑いの渦に巻き込んでいくのにすっかり圧倒されました。

そしてひとたび歌い出すと瞬時のうちに歌の世界に引きずり込んでしまう。
最後の歌「テネシーワルツ」を聴いてるうちに、知らずに涙が流れ出ていました。

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僕の「追っかけ」が始まりました。
関東圏のライブというライブはほぼ欠かさず聴きに行きました。

時には軽井沢、時には札幌のフェスにまで。
トミさんのライブから何かを得ようとか盗もうとかそんな姑息なものはどこかに吹き飛んでいました。

ただただトミ藤山の世界にひたりたかったのです。

やがてトミさんに飲みに連れて行っていただいたり、ご自宅を訪ねさせていただいたりというようになります。
時にはライブのボーヤみたいなこともさせていただきました。
歌うための「呼吸法のイロハ」を教えていただいたりもしました。

トミさんとの出会いで自分自身の歌も大きく変わっていきました。
そして何よりも歌に向き合う姿勢や、歌うたいとしての矜持のようなものを学ばせていただきました。

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80歳を超えてなお現役で歌い続けるトミ藤山。
そのバックボーンがこの「ころび 転ぶよ 音楽人生」にはあふれているように思います。

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この本の前書きには、ジェームス三木さん、かまやつひろしさん、室町澄子さんらが寄稿しています。
その中で僕と同世代のなぎら健壱さんの言葉が心に残ります。

 「トミさんの歌に対する真摯な姿勢があるからこそ、
  これまで長い時間唄を歌ってこられたのではなかろうか。
  つまり唄が好きで好きで堪らないという、
  商売である前に
  唄のファンであるという当たり前でありながら、
  忘れがちな気持ちが彼女を支えてきた。
  これはトミさんの歌う姿を見た人ならば、
  一様に同じ答えを返してくるはずである」

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初版: 2004年1月10日
著者: トミ藤山
発行所:株式会社 文芸社
印刷: 平河工業社

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【7日間ブックカバーチャレンジ 2】 「おうちピクニック」

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印刷マンだったころ数多くの絵本印刷に携わっていました。
その中でも世界文化社の絵本には入稿から関わらせていただくことができました。
特に印象に残っている絵本のひとつがこの「おうちピクニック」。
童話作家・きむらゆういち先生、絵・とりごえまり先生のコンビによる絵本。

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ピクニックの日が雨降りになりくさっているうさぎ君。
でも仲間たちが手に手に食材を持ち寄って一人また一人集まります。
その具材を工夫しながらみんなで作るハンバーグ。
雨の音はまるで滝の音のよう。さながら池の周りのお花畑にいるよう。

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ただそれだけのお話なのだが、そこに子供たちへの隠されたメッセージがあるように思えます。
たとえ雨降りで外遊びができなくても気持ちの持ち方、工夫次第で楽しく過ごすことができるんだよ、と。

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きむらゆういち先生は1948年、戦後の混乱のころに産まれました。

それこそ何もない幼年時代を過ごした世代です。

何もない中で工夫していろんな遊びを見つけて過ごしていたんでしょうね。

近年あれこれ「モノ」を与えられて遊ぶことがあたりまえになっています。

おもちゃだったりゲームだったりYouTubeだったり。
そんな子供たち(とその親たち)に何もなくても楽しく過ごすことはできるんだよと、そっと語りかけているように思います。
そしてそこに友達がいればなお素敵。

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きむら先生が書いた詩に僕が曲をつけ、絵本コンサートをやった3作目です。
きむら先生が子供たちに読み聞かせをし、僕が歌う。
絵本作家、出版社、印刷会社がタッグを組む稀有な出来事でした。そういう意味でも忘れられない絵本です。
ちなみに初版のカバー袖に「おうちピクニック」の譜面を載せていただきました。

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初版: 2010年5月10日
作:  きむらゆういち
絵:  とりごえまり
出版社:世界文化社
印刷: 共同印刷

 

写真はカバー袖に掲載された「おうちピクニック」の譜面。

上野の博物館で開催された「絵本コンサート」の模様ときむらゆういち先生の読み聞かせの模様。

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【7日間ブックカバーチャレンジ 1】 「昭和ロマネスク」

フェイスブックで「7日間ブックカバーチャレンジ」という企画があります。

1週間かけてオススメの本や好きな本を紹介し、終了後友人にバトンを渡していくというものです。

コロナで長期にわたる自粛期間を有意義に過ごそうということでしょう。

藤田哲さんからご指名を頂戴しやってみることにしました。
長年出版・印刷業界にたずさわってきました。本の発行部数がどんどん右肩下がりになっているのが淋しくて。
僕を通りすぎた本たちをご紹介できればと思います。

なかには絶版になっている本もあるかとおもいます。

こんな本もあったんだと思っていただければ幸いです。

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第一弾は「昭和ロマネスク」
サブタイトルに「川内康範百詩集 歌は人の志を運ぶ船である」とあります。

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僕は子供のころカトリック系の函館白百合幼稚園に通っていました。
ある日マ・スール(シスター)にこう問われたそうです。

 「雅彦ちゃん、この世で一番偉い人は誰ですか?」

僕は間髪入れずこう答えたそうです。

 「月光仮面!!!」

ギャフンとしたマ・スール。
話はカトリック元町教会中に一気に広まったとか。
カトリック信者の家庭の子供に期待した言葉は「イエス様」だったのでしょう。

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それほどに月光仮面は子供たちの英雄でした。
子供たちはみな敷布(シーツ)を全身に巻き、夜店で買ったサングラスをかけ、おもちゃのピストルを手に駆け回っていました。(あの敷布の匂いはいまだに脳裏に残っています)

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月光仮面の歌を作詞したのが本書の作者、川内康範でした。
川内康範は1920年(大正9年)北海道函館生まれの作詞家です。

青江三奈さんや森進一さんらのヒット曲や座頭市の歌などを書いた方でもあります。

本書は川内康範の書いた歌詞が紹介されているだけではなく当時の社会状況を写した写真や、川内康範の思いなどをつづった寸評が掲載されています。

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デイサービスや特養などで歌う機会の多い僕は時にこの本を手にし当時の世相や作詞家・川内康範の思いを確かめて臨みます。

いわばバイブル的な本でもあります。

「歌は人の志を運ぶ船である」という言葉は「憎むな、殺すな、赦しましょう」(月光仮面のテーマ)と共にぼくの心に深く刻まれています。

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ちなみに本書のカバーの印刷立ち合いをした時苦労したことは色見本(責了紙)よりも暗く仕上げないことでした。

後工程でマットPPがかかる予定だったからです。

マットPP加工をすると品よく仕上がるが調子がくすんでしまいます。

もともとくすみがちなデザインの絵柄を明るくかつ芯のある印刷に仕上げるのはなかなか難しかったのを覚えています。

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初版: 2002年4月21日
出版社:黙出版
印刷: 共同印刷

 

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2020.05.18

【喫茶店JUNE ウィスパーライブ】

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コロナ下の10人限定ライブ、万全の対策の上開催させていただきました。
2か月近い長ぁいライブ自粛期間を経、満を持してのライブ。
嬉しさと緊張あいなかば。
ありがたいことにご常連の皆さんに加えタンクポップのおふたり、ふく助さんに足を運んでいただけました。
ありがたや。

ウィスパーライブと銘打ったこともありシャウトや歌い上げる選曲は極力避けての選曲でした。
でもそれが良かったみたい。
お客様とおしゃべりをしながらライブはゆったり進んでゆき、いい感じの「井戸端ライブ」になりました。

歌えなかったこの2か月の間季節はめぐり春も終わり、夏日の陽ざしも。
1部は春にまつわる花の歌を昭和歌謡からいくつかと、日本語詞の洋楽を数曲歌いました。

外出自粛を求めらている昨今。ましてや旅行などもってのほか。せめて歌で汽車旅、バス旅、飛行機の旅を和洋とりまぜた2部。

それにしても喫茶店JUNEには昭和の歌謡曲がよく似合います。
昭和のかおり漂う喫茶店。
歌い手もお客さんも昭和の尻尾をひきずりながら生きている人ばかり。
たっぷり2時間。
歌いに歌ったり、しゃべりにしゃべったり。
濃密で楽しくて涙が出そうなライブになりました。

足を運んでくださった皆様、JUNEさんに心から感謝いたします。

次回は6月7日(日)。
「ウィスパーライブ」にするか「たそがれ歌声音楽会」にするかはこれから調整いたします。

 

ライブ動画(お化けの歌~高原列車は行くよ~東京のバスガール)

https://youtu.be/bc6fCmQDbA0

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「リハビリ演奏」

 

今度の日曜日は喫茶店JUNEで10人様限定ライブ。
まる1ヶ月半人前での演奏から遠ざかっている。
最後は富安ハゲさんとのジョイントライブ。
そこですっかり止まってしまっていた。
ライブがないとちゃんと歌うこともなかなかない。
普段なら毎週末、次から次へとライブがあるので休む暇もなく次の準備に取りかかる。

1ヶ月半、準備をなにもせぬままにライブに臨むというのは不安。
ちゃんと声がコントロールできるか、ギターとのバランスはどうかといろいろ考えてしまう。

ギターを担いで元荒川の土手に出かけた。幸い今日は暖かい。新曲を中心にじっくり歌い込んだ。

昨今コロナ禍のため外出自粛のご時世。ましてや遠くへの旅行はもってのほか。
で、汽車や船、飛行機など旅をテーマに歌おうかと思っている。

ひととおり歌い込んで一休みしていると声をかけられた。

 「あのぉ、なにか歌っていただけるでしょうか」

上品そうなお若いご婦人。40代半ばくらいだろうか。
大きな帽子と黒いマスクが艶っぽい。
トイプードルを連れて散歩中とのこと。

 「もちろんですよ」

二つ返事で「パフ」を。
最近聞いた富安さんの訳詞がとても気に入り、歌詞を起こしたばかり。
トイプードルの尻尾が「魔法のドラゴン・パフ」の尻尾と重なったもんで。

PP&Mのよりかなりテンポを落とし、少しはね気味にして歌ってみた。

 「いい歌。なんだか泣きそうになっちゃった」

と、うれしいお言葉。
トイプードル(ショコラちゃんという13歳の老犬だそうだ)が動こうとせずじっとしていたので何曲かおしゃべりしながら歌う。

手押し車を杖代わりにしたお婆さんが二人。
遠巻きにして聴いている。
「高原列車は行く」を歌い始めると一緒に口ずさんでいる。

「リハビリ演奏」のつもりで来たんだが、ちょっとしたミニミニライブに。
「街角ライブ」ならぬ「公園ライブ」。

おかげで「ライブ勘」をちょっと取り戻せたかな。
やはり部屋にこもっていては生きた練習にはならない。
人様に聴いていただき、言葉を交わし合わなきゃ血肉にはならない。

あらためてそう感じた「リハビリ演奏」だった。

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2020.05.10

【母の日】 失ってはじめて分かる親の恩

【母の日】

今年ほど「母の日」を意識した年はなかった。
お上が決めた「母の日」なんかに縛られたくないという思いが強かった。

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昨年3月に母が亡くなり2回目の「母の日」を迎えた。
昨年は「後始末」に追われ「母の日」どころではなかった。
まる1年経ち母の死を冷静に受け止めることができるようになった。

と同時に母に対する(放蕩息子としての)慚愧の念と感謝の念を感じている。

「失って初めて分かる親の恩」だ。

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僕が歌好きになったこと、今でも性懲りもなく歌い続けているその最初のきっかけは両親だった。
父はクラシック好き。日曜日の朝はNHKラジオの「朝の名曲」で始まった。産まれた時から音楽環境は整っていた。
母は毎朝ラジオの「歌のおばさん」をかけ続けた。ラジオが終わっても執拗にせがむ僕に母は童謡や唱歌を歌い続けたらしい。
もちろんそんな記憶は残ってはいない。でも歌好きのタネはこの時蒔かれ、徐々に芽を出し育っていったんだろうと思う。

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晩年になり父を失った母は老人ホームで暮らすようになった。
内地に住んでいる僕は年に何回か母の暮らす函館旭が丘の家に「陣中見舞い」に通った。

そのたびに旭が丘の家でご老人相手に「Martin古池の歌謡ショー」をやってきた。
母は背筋をしゃんとさせてまっすぐに歌う僕を見つめていた。
その視線は誇らしげであると同時に厳しいものでもあった。
僕はあえてご老人ひとりひとりに視線を送るようにしていた。母も参加されたご老人のひとりと考えようとした。
母もまたオーディエンスの一人として僕の歌を聴いた。ただ同時に批評家としての立ち位置もあったように思う。
ショーが終わり自室に戻ると必ずひと言小言を言われた。


「あんた、人様の前で歌ってるんだからもっとしゃんと姿勢を正しなさい」

だとか

「なんぼ暑いからって靴下はかないで裸足で歌うのはやめなさい」

という案配だった。

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母が小言を言わなくなったのは体がかなり弱り、特養に移ってからだった。
あいかわらず姿勢を正して僕の歌を聴いてくれたが、小言ではなく「良かったよ」とだけ言うようになった。

母が最後にショーを観たのは一昨年の秋、「それいゆフェスタ」だったと思う。会場の片隅で何度も崩れ落ちそうな身体を妹に支えられながら聴いていた。視線だけは僕を凝視していた。

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以降、母はほとんどの時間をベッドの中で過ごすようになった。覚醒と眠りの世界を行ったり来たりしながらも徐々に眠る時間が長くなっていった。
僕は陣中見舞いに行くたびにギターを弾きながら枕元で童謡や唱歌を何時間も歌い続けた。
聞こえてていようがいまいがお構いなしに歌い続けた。
歌っていると母はおだやかな表情を見せてくれているようだった。

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僕が子供のころに母が歌ってくれたように、今は僕が母に同じ童謡を歌っている。なんとも言えぬ感慨だった。
放蕩息子であった自分。母の死の間際になってやっと恩返しの(罪滅ぼしの)仕方が分かった。
そう思うとなんともいえぬ気持ちだった。

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今朝、富安秀行さんがオンラインライブでご自身の母上のことを思い「ハッシャ・バイ」を歌っていた。
富安さんのご母堂が亡くなられて3年になるそうだ。
「ハッシャ・バイ」を聞きながら思った。

これからは「母の日」は母を想う日にしようと。

https://www.facebook.com/hagehage555/videos/2862983400466796/

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2020.05.04

2020年05月 ライブ・コンサートは中止させていただきます

本日、新型コロナウィルスの緊急事態宣言の延長が発表されました。

大変残念ですが、5月のライブも中止せざるを得ません。

特に喫茶店やお好み焼き屋さんなどでのライブは閉ざされた空間で歌うことになります。

ライブは避けるべきと判断しました。

「朝市コンサート」は広い空間とはいえ、市場自体が市場開放デイを自粛中のため演奏できません。

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とはいえ、これから陽気もよくなります。

公園の片隅や河原などでのギター遊びはひっそり続けようと思っています。

そこで条件が許せば(一人でも聴いてくださる方がいれば)自然発生的に歌うこともあるかと思います。

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コロナ禍がある程度落ち着きレギュラーライブなどが再スタートを切れる日まで、こんな形でやっていこうと思っています。

 

 

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「チューインガムひとつ」 ~コロナ休暇の狭間で

昨日自転車を走らせながら頭の中を流れていた「チューインガムひとつ」

https://youtu.be/7T0H_bp28Js

灰谷健次郎が小学校教師だったころの試みのひとつに子供たちの作文活動があった。その中のひとつがこの詩だった。
高石友也がそれを歌に仕上げてレコーディングした。
これをめぐって灰谷さんは高石さんに猛烈に抗議したそうだ。子供の悲痛な叫びをレコーディングという形で商業化したことが許せなかった模様。
これが契機に二人は理解し合い、仲良くなったそうだ。

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この歌には苦い思い出がある。
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北海道から東京に出てきた最初の年、僕は駒場で下宿暮らしをしていた。いわゆる「三畳一間の学生下宿」だ。
常にお金がなく、たえず空きっ腹をかかえていた。
質素な下宿飯では20歳のあんちゃんの腹を膨らますことは到底望むべくもなかった。
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梅雨のころだったと思う。
学校まで行く定期を解約して得たわずかばかりのお金も底をつき、下宿の部屋に僕は沈殿していた。
バイト代が入るまでまだ数日ある。
井の頭線で二駅先の渋谷。デパート地下の食品売り場へつまみ食いしに行くにも雨続きの毎日。
財布を覗くと38円しか入っていない。
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  腹がへった
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2階の窓から狭い通りの向こうを見下ろす。
古ぼけたよろず屋が店を開けている。
なんでもいいから腹に入るものを買おうと思い出かける。
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よろず屋に置いてあった豆パンとあんパンそしてジャムパン。
みな1個50円。
足りない。
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逡巡する。
ドックン、ドックン。
早鐘を打つ心臓。
豆パンに手を出す。
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急いで店を出る。
すぐには下宿に戻らずあたりをさまよい歩く。
見つかるのが怖かった。
やがて少し落ち着き、部屋に戻る。
空腹ではあったがすぐには食べられない。
しばらく豆パンを見つめる。
やがて豆パンを頬張る。
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甘さが口の中に広がる。
急に涙があふれ出る。
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昨年、駒場に行ってみた。
住んでいた下宿先・A亭もよろず屋さんもすでになかった。
貧乏学生に優しかった立ち食いカレー屋・ビューは跡形もなかった。
吉祥寺に住んでいた弟と入った喫茶店チャンティックもすでになかった。(しっかり者の弟に僕は珈琲をおごってもらったのだ!)
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あれから45年の歳月が流れた。
でもその情景はいまだにべっとりと心の奥底にこびりついている。
「チューインガムひとつ」を聞き、忘れていたこの情景がぶくぶくと湧き上がってきた。
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コロナ禍で大学生たちもまた苦しんでいる。
バイトもできず日々の「食」ものしかかってくることだろう。
なんとか切り抜けてほしいものだ。

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「五稜郭残党伝」を読む ~コロナ休暇の狭間で

午前中は早朝から昼頃まで市内北部までポタリング。
酷暑と強風のため少々ハードだったが、のんびり午前中を過ごした。

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午後、かなりの強風だったので公園ギター遊びはやめじっくり本を読んでいた。

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「五稜郭残党伝」(佐々木譲)

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明治2年5月18日に箱館戦争は終結し、ほとんどの榎本武揚率いる旧幕府軍は投降した。
しかし少数の者は投降を潔しとせず、脱走した。討伐隊に抵抗をつづけながら蝦夷地を転々と逃げ回っていたのだ。

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本書は二人の脱走兵と彼らと行動を共にするアイヌの男女の逃亡と抵抗を描いたフィクション。
討伐隊長は優秀だが冷酷な長州藩士。
背後に迫ってくる討伐隊の影をたえず感じながらも、大胆な逃亡を続ける脱走兵。
しかし再起をかけた国後(くなしり)を目の前にし、とうとう追い詰められた。
首謀格もアイヌ人もともに撃たれ、残された鉄砲の名手が討伐隊長と一騎打ちの決闘に挑む。

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  十五間。十二間。十間。
  二人の間はどんどん縮まっていく。
  ときの流れが、溶かした飴のように粘度の高いものになった。

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そして・・・。

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定説では明治2年11月14日、榎本軍残党はすべてとらえられて打ち首になっている。これをもって半年にわたる残党狩りは完了した。

新政権による榎本軍残党の討伐を縦糸としているが、背景の横糸に和人によるアイヌへの虐待、搾取の歴史が横たわっている。

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アイヌの娘ヤエコエリカは一人国後に向かう小船の上で誓う。
残党と行動を共にしたアイヌの若者シルンケとの一夜の契りで宿されたであろうおなかの子を国後で産み立派に育てることを。
和人の暴虐に負けぬアイヌを育てる。シルンケのように。

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