« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »

2020.04.29

コロナ休暇 1か月を経て

 

ライブや音楽会をすべて中止して早くも1か月を経過した。

最後に演奏したのは3月末の「朝市コンサート」だった。
以来、ギターにはほとんど触れていないし歌も歌っていない。
音楽を聴くこともあまりなかった。特に歌ものは聴きたいとは思わなかった。
何十年と演ってきてこんなのは初めてのことだ。

.

あらためて痛感している。

いかに音楽活動が自分の暮らしの屋台骨になっていたことか。
毎週末のライブを軸にして生活パターンが出来上がっていた。
頭の片隅にはいつもライブのことがあり、そのための準備に日々を過ごしてきた。

.

週末のライブが無いとなるとギターを弾いたり歌ったりする必要性がなくなる。

おのずとギターや歌から遠ざかる。


一度は思った。
それじゃだめだ。ライブができるようになった時のため準備を常日頃積み重ねなければと。

 

でも反面で「コロナ休暇」は神様がくださった充電期間だという思いもあった。
一度音楽から離れ、人様からも離れ一人きりになるべき時だ。
そして自分自身と対話を積み重ねるべき時だ。
結局、自分自身を充電しながら日々を過ごしている。

.

この間やっていることといえば「ひとり散歩」と「身辺整理」、そして読書。
「身辺整理」とは昭和20年ごろ復員した父のもとに残されていた手紙の数々や父の文に始まり、
自分が生まれ育った中で残されていた膨大な文などを片っ端から読み直している。
そこから何かを得ることが出来たかどうか。それは今のところまだわからい。

ただゆっくり流れる時の中に身を置くことは心地いい。

.

最近になってようやっと人様の音楽を少しずつだが聞くことが出来るようになってきた。
ただまだ自分で演奏する気になるところまでは行っていない。
やがてもう少し時がたち、「歌いたい」という気持ちが爆発する日が来るだろうという予感は強くなっている。

.

まもなく始まる5月。
ライブをどうするかは自分だけでは決められない部分がある。
お店やライブ会場からオファーがあればむろんやる。今のような心持であったとしても。
その時はたぶん再び始まった日常に全力投球することだろう。

| | | コメント (0)

2020.04.13

身辺整理のはざまで

 

4月に入ってこのかた身辺整理に精を出している。
ため込まれた「古いもの」はいくつもの段ボールに収められている。
古い手紙だったり、古い写真だったり、あちこちに書いた雑文だったり。
自分のものだけならまだしも、これに両親の保有していたものも大量にある。
父の死後、母に託されたものだ。
当然母が亡くなり彼女のものもこれに加わった。

.

いつかは整理しようと思いながら納戸の中で長年眠っていたものだ。
4月の音楽活動をすべて中止にしたので、今がその時と思い始めた。
手紙や写真、雑文の類はスキャンしてPCに取り込み現物は丁重に破棄させてもらっている。

.

昨晩で両親の「古いもの」はあらかた整理を終えた。

なかでもとりわけ父が友人たちと交わした手紙のやり取りは面白く興味深かった。
 戦後復員後の友とのやり取り。
 小学校、中学校の親友たちとのやり取り。
 結婚前後の恩師・島田神父との膨大なやり取り。
 日中戦争で戦死した兄のいいなずけとの文通。
 室蘭に単身赴任していた頃の母との文通。
 そして晩年の闘病生活のころの様々な方から頂戴した手紙の数々。
自分の知らない父の姿・心情が彷彿するお宝だった。

.

父がどのような返信をしたのか。
それを想像しながら文字を追う。
昔の方々はあまりに達筆でそれを読み解くのはなかなか難しい。
でも時間をかけて「解読」していくのもまた楽しく、胸に沁みるものがある。
まるで時が止まったかのような毎日は得難いものだ。

.

さてそんな手紙のひとつに戦友からのものがあった。
余市の方でペンネームを「ゲレッパ」と記していた。
ゲレッパとは北海道言葉でびりっけつの意味だ。
ゲレッパさんはおそらく自分の表す詩や文章は下の下と謙遜してそう名づけたのだろうと思われる。
(父のペンネームはコイケヤーノフ・ノブオンスキーだった)

.

二人とも学徒出陣。

部隊は違えど海軍の特別攻撃隊員の生き残りだった。
おそらく二人とも己の生きる意味、そして死ぬ意味を問いながら「その時」を生きていたのだろうと思う。

ゲレッパさんは父が亡くなった1993年の秋に幾葉かの詩と共に道新(北海道新聞)のコラム「卓上四季」を母あてに送ってきた。
その内容が僕の胸をとらえた。

19939


特攻前夜、二人の今生の別れにピアノを思いきり弾く。
ガランとした薄暗い講堂にベートーベンのピアノソナタ「月光」の流れる様子が脳裏に浮かぶ。

「卓上四季」の結びの一節がいい。
   ピアノ
   この箱は悲しみや苦しみは半分に、
   喜びは二倍、三倍にしてくれる不思議な箱です。

ゲレッパさんは万感の思いをこめて「卓上四季」を送ってくださったものと思われる。

.

くしくも今日4月13日は父の27回目の命日だ。
本日は身辺整理をお休みにした。
身辺整理のはざまでフォーレのレクイエムを聴きながらこの文をしたためている。

Photo_20200413173201

| | | コメント (0)

2020.04.10

4年前の「朝市コンサート」の模様


しっとりとした、濃密なコンサートだった。

 

.

.


休憩中、前回に引き続き松本さんが来てくれた。
ありがたいものだ。

友人が来てくれると、ギアが1段上がる。
普段は市場の空気と同化するため、意識的に抑えぎみ。スピードよりもトルクを重視している。

.

終盤、今日2回目の「夢」を歌ってると小さな女の子連れの若夫婦が通りかかる。
女の子と目が合う。興味深そうな目でこちらを見る。
その様子に気がついた母親がベンチに腰を下ろす。
女の子はにこにこしながら僕を見つめてくれる。僕も歌いながら微笑みかける。
その様子を母親はあたたかく見守っている。
ほのぼのとしたいい空気が流れる。

歌の内容もマッチしている。

こんな夢を見ました
あなたはとても若く
まだ幼い 小さな私を
あたたかく抱きしめて
春の光の中で
朝の風に吹かれて
愛すること 許すことの
意味を教えてくれた
長い時の 旅を終えて
今静かに眠りにつく
命をかけ 産んでくれた
その勇気を 忘れないと
さよなら ありがとう
二度と戻らぬ季節
朝の夢に 消える影が
後ろ手に手をふった
(小田 専太郎 俊明)

歌詞の一節ごとに目に見えないキャッチボールが交わされる。

.

僕はこの親子にロックオン。
気がつけばギアはトップに入っている。
おだやかで静かながら、濃密な空間に。

.

そんな様子をちょっと引いた位置から眺めていた父親が二人に寄っていく。
最初はおずおずと、やがてにこにこと。

この空気感のままに最後は「あ・り・が・と・う・の歌」。

産んでくれて ありがとう
育ててくれて ありがとう
遊んでくれて ありがとう
叱ってくれて ありがとう

歌いながらいろんな思いが去来する。

この子にとって、今はあたりまえのことだろう。
でもいつかそう感じる時がくるだろう。

この若い夫婦もわが子を思うとき、それが自分達の親御さんにつながっていくことに気がつくことだろうな。

家族の歴史のありがたさ。
それを感じることのしあわせ。

.

60歳を過ぎてから、僕は人生の一番いい季節をただよっているのかもしれない。
祖父母の代から始まって孫につながる親子五代の家族の歴史。
気の遠くなる時の流れの中で60代の僕は今ちょうどその中間ポジションにいる。

これは有難いことだと思う。

わずか数分の歌を歌いながら、僕はそこに60年という歳月と自分につながる家族の歴史を感じていた。

| | | コメント (0)

【身辺整理】古い手紙編 中学~高校時代

 

今日も朝から身辺整理。
古い手紙の束に目を通していた。

.

中学・高校生のころいろんな友人たちとずいぶん文通していたことに我ながら驚く。
7~8人の友と数年にわたっての文通。
遊ぶのに忙しかった学生時代によくぞやってたもんだ。

.

ペンパルなんてのも当時(昭和40年代)は流行っていて、僕もルスツの同年の女の子とやっていた。
いつ始まり、いつ終わったのか分からないし、会ったこともない。なのに4年にわたって20通くらいやりとりしている。
他愛ない話も多いが、中には時代を反映してかベ平連の話やら三島由紀夫の話やらが紛れ込んでいる。

.

小学6年生のころ「インターナショナルゲーム」なるものも流行った。
ある日突然同級生からはがきが届く。
いついつまでに他の5人に同様のはがきを出してほしいというものだった。出さなければ仕組みが崩れ他の人に迷惑がかかるという脅しも入っている。
今でいうチェーンメールというヤツのはがき版といったところか。
そんなはがきが10通くらい残っていた。

.

中学の演劇部時代の後輩(めんこい娘だったな)とも4年くらい文通をしている。進学についての悩み事や、演劇の話で便箋は埋め尽くされている。

.

手紙っていいもんだな。
遠くの相手のことをあれこれおもんばかって手紙を書き投函する。
手紙の中身のことで相手はどんな風に受け止めるのだろうとドキドキしながら想像する。
やがて返事が来る。
2週間後だったり1ヶ月後だったり、3ヶ月後だったりする。
開封する時のわくわく。ドキドキ感。
手紙を書いてから返事が届くまでの「間」っていうのがいいな。
メールやLINE、メッセンジャーは返信が早くて、便利だ。
でもなんとなく味気ない。

.

手紙の束にすべて目を通し、当時のことを思い出す。
スキャンしてPCに取り込んでから、丁重に破棄する。
なかなか大変だけど、いい時間を過ごしている。

| | | コメント (0)

【身辺整理 その4】古い手紙 2

 

こんなのも出てきた。
五つの赤い風船、函館初見参!
昭和46年2月。


これは中学時代に一緒にギターを弾いていたみどりちゃんからの手紙に入っていた。
みどりちゃんは当時進学した高校でフォークソングクラブを作り、部長さんだったらしい。

このチラシはペラッペラのパラフィン紙に単色刷り。
最初活版印刷かと思ったが、ドットスコープで覗いたらオフセット印刷だった。
こんなペラ紙によくぞ印刷したもんだと、妙に感心した。

S462
S46

| | | コメント (0)

【身辺整理 その3】古い手紙

 

身辺整理も佳境に入り、手紙の整理に没頭している。
高校時代(昭和45年~48年)に何人もの友人たちと膨大な手紙のやりとりをしている。
それらが大きな段ボールにびっしり詰まっている。
自分ではすっかり忘れていたものだが、両親が保管していたものだ。母の死後そっくり持ち帰り、我が家の納戸で眠っていた。
そのまま捨てるのも忍びなく、目を通している。


僕は高校1年の途中で函館東高校から室蘭東高校に転校した。
だから手紙の相手は函館時代の友人たちが主だ。

そんな中で中学時代からの「親友」のひとり・やっちゃんからの手紙が質量ともにとてつもないものだった。
彼は函館中部高校の生徒会長として制服廃止運動に関わった。
僕もまた室蘭東高校の生徒会長をやっており、いろいろ難しい事々も多かった。

時代は70年安保闘争に「敗北」したものの、学生運動の余波がいまだ残るころだった。同時に「三無主義」という言葉が言われるようになったころだった。

僕たちの立ち位置は微妙に違っていた。
彼は学校改革をめざして積極的に動いていた。
僕は前年までの「左翼的生徒会」に対して批判的で、「一人の百歩より、百人の一歩」という立場だった。
立ち位置の違いはあったが、ともに生徒の思い、意思に立とうという点で共通していた。

情報交換や意見交換の手紙が行き交っていた。
レポート用紙数枚に小さな文字でびっちり書き連ねられた手紙の数々。
そのほかにも「人生如何に生くべきか」など青春時代を送る若者の屈託だらけの心情が吐露されている。
(この命題は初老を迎えた昨今も変わらず己に問いかけているものだ)

そんな手紙の中に「高石ともやとナターシャセブン」の函館労音での公演案内が紛れ込んでいた。
昭和44年、やっちゃんに誘われ僕は初めて高石さんのリサイタルを観に行った。場所は同じ函館労音会館だった。
僕の音楽の方向性が定まった出来事だった。
道に迷い、屈託だらけの青春時代にひとつの灯りを感じていた。

47

 

| | | コメント (0)

【身辺整理品 その2】室蘭東高校・校歌の譜面

 

今思えば小中学校に比べ、この校歌を歌うことはそう多くなかった。
学生運動の余波で生徒と学校が対立関係にあるという雰囲気がなんとなく漂っていた影響もあるような気がする。
入学したのは1970年。70年安保闘争の年だ。
一部の「先進的(?)」先輩たちが生徒会執行部の中心メンバーだった。
そんな中でなんとはなしにぴりぴりした雰囲気が底辺に合ったように思う。
一方で間違いなくノンポリ層の生徒も多く、学校への帰属意識も薄かったような気がする。

.

むしろこの校歌で強い印象があるとすれば、学校祭のステージで1年先輩のベッチャカさんがエレキ片手にロックアレンジで歌ったことだ。
ウッドストックのジミヘンを強く意識した演奏だった。
さすがに歯で弾くことはなかったが、演奏中に弦を切り指から鮮血が飛び散ったのを覚えている。

おもしろい、すごい時代だったなぁ。

Photo_20200410083001

| | | コメント (0)

【身辺整理】50年前の高校卒業記念「精魂皿」を発見

身辺整理をしていて古い段ボールの中から出てきたお皿。
室蘭東高校を卒業した時に「同窓会」が卒業生に贈ったもののようだ。
なんと50年近くも段ボールの中で眠っていた。
自分の記憶からもすっかり抜け落ちていた。

.

「精魂」の二文字に力がみなぎっているように感じる。
広辞苑によると「精魂」は心、精神という意味合い。
「精魂をこめる」というように使われる。
誠心誠意ことにあたるとか、情熱をこめるとか、丹精込めるというような意味合いだ。

.

労働者(労働力を切り売りして生活の資を得る者)、給与所得者(サラリーマン)を卒業して間もなく1年になる。
いわば人生浪人生だ。
第二の卒業を経てあらためて思う。
「社会人」であった頃にもまして、日々の暮らしを精魂込めて大切に過ごしたい。

.

およそ50年の時を経て出てきた「精魂皿」は自分にそんなことを語っていると受け止めることにした。

ちなみに室蘭東高校同窓会は「蘭岳会」という名で室蘭中心に活動しているらしい。

Photo_20200410071201 2

| | | コメント (0)

【お知らせ】 4月のライブ・コンサートはすべて中止させていただきます

新型コロナウィルスの世界的に感染が蔓延しています。

自分が感染しないことは同時に人様に感染させないこと。

それには人との接触を極力避けることがなにより大切。

今しばらくは人様の前で歌うことを封印しなければならない。

残念なことですが、当面音楽活動は積極的に中止するべきと判断いたしました。

封印が解ける日が一日でも早くおとずれることを願ってやみません。

 

| | | コメント (0)

2020.04.04

身辺整理

このところ終日「古いもの」整理に没頭している。
古くは小学校時代の文集や写真から始まり、中学、高校を経て上京後のあれこれがしこたまある。
そいつらがいくつもの段ボールや竹行李の中に雑然と詰め込まれている。

.

死んでしまえばそいつらはただのガラクタ、ゴミにすぎない。
「断捨離」よろしく段ボールごと燃えるゴミに出してしまえばすむのだが、それができない。

.

.


20歳の秋だったろうか。
札幌の実家に帰った時、僕は中学時代から書きためた「ある日突然」と名付けた日記をすべて焼いた。
段ボールに3つか4つあった「日記」は庭の片隅ですべて灰になった。
「俺は北海道を棄てて内地に行ったんだ。過去にとらわれることは金輪際やめよう」
そんな思いだった。

.

その時は若さにまかせた一大決心だった。
でもずいぶん後になって自分の若き足跡を灰燼に帰したことを悔やんだ。

赤裸々な足跡は自分の人生の中で消え去るものではなく、むしろ今の自分につながる大切な一歩だったはずだ。

.

とはいえ、いつまでも(死ぬまで)タンスの肥やしにしておくわけにもいかない。
古い足跡をスキャンし、現物は処分することにした。
この2日間で段ボール3つ分を処分した。
まだ2つ分は残っている。
今しばらく、この作業に没頭することになるだろう。

.

**************************

.

Photo_20200404221101
199712

このライブ案内通知は「ぶどうの木ライブ」のものだ。
このライブは30代半ばから40代半ばまでやっていた定期ライブ。
最初のころはワープロ「書院」で素材を作り、切り貼りしながら作っていた。
後にイラストデザイナーをしている共演者・なんちゃんがPCで作ってくれるようになった。

今みるとバリバリに力が入っているのが見てとれる。
当時は全力投球で攻めまくる直球一本槍のライブだったように思う。
今のようなゆるゆるのライブになるには、この後20年の歳月を要した。

ちらし1枚からその当時の自分をふりかえることができる。
おもしろいものだ。

| | | コメント (0)

2020.04.03

【お知らせ】「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」は中止させていただきます

4月5日(日)に予定していた「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」は中止とさせていただきます。

コロナの感染状況が厳しさを増しています。
経路がはっきりしない感染も増えています。
お店とも相談の上、4月の昼下がりライブは大事をとって中止とさせていただきます。

来月以降の開催については状況をみながら判断していきたいと思います。

June4

| | | コメント (0)

2020.04.01

2020年04月 ライブ・コンサート予定


新型コロナによる困難な状況が続いております。
4月のライブも開催の要否について真剣に考えなければならない事態となっております。

すでに事前に決まっている予定をご案内いたします。
しかしながらこの先中止を要するライブもあろうかと思われます。
状況を勘案しつつ、お店・会場とも相談のうえ、中止等の変更については追ってご連絡いたします。

.

.

04月05日(日) 喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ 

時 間  15:00~17:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)

★昭和の香り漂う喫茶店。
 昭和を彷彿とさせる歌の数々。
 通常営業中のライブです。
 珈琲や食事をしながら日曜の昼下がりをまったりとお過ごしください。
 そんなひとときのお供にMartin古池の歌をどうぞ。

.

.

04月11日(土) 朝市コンサート

時 間  08:00~10:00
場 所  越谷市場 景品交換所そば
出 演  Martin古池

★越谷の台所で歌います。
 「街角ライブ」の雰囲気をお楽しみください

.

.

04月17日(金) お好み焼きの三貴ライブ

 

時 間  20:30~23:00
場 所  お好み焼きの三貴
      東武スカイツリーライン 新越谷 東口
      武蔵野線 南越谷 南口
出 演  Martin古池
木戸銭  ご飲食のみ

 

★通常営業中のライブです。
 お酒と食事のお供にMartin古池の歌をお楽しみください。

.

.

04月18日(土) すまいる歌声音楽会 

時 間    13:30~14:30
場 所    デイサービス さんすまいる
        東武スカイツリーライン 蒲生駅 西口
水先案内人  Martin古池

地元・越谷の蒲生で人生の先輩方と共に歌うひととき。
いつも濃密な1時間を過ごさせていただいています。

.

.

04月25日(土) 朝市コンサート

時 間  08:00~10:00
場 所  越谷市場 景品交換所そば
出 演  Martin古池

★越谷の台所で歌います。
 「街角ライブ」の雰囲気をお楽しみください

| | | コメント (0)

自粛モード漂う「朝市コンサート」

自粛モードの「朝市コンサート」。

越谷市場に到着すると、開口一番「今日はボリュームを抑えてくださいな。役所からイベント自粛要請が来てるんです」とのこと。

「じゃ、生音でやりましょう」ということで演奏許可を得る。
普段から音量はさほど大きくはない。ギター音を補助的に拾うくらい。

生音演奏でもやることはいつもとあまり変わらない。
いつも通りに歌い、ちょっとだけギターを強く弾く程度。
普段は音の届く範囲を入り口のある30メートル先に置いているが、今日は景品交換所の先まで20メートルくらいを意識した。

コロナの外出自粛モードのためか、いつにもまして閑散としている市場。
今日は冷凍マグロを切るチェーンソーの音もしない。

歌の神様に淡々と歌いなさいと言われているような今日の市場。
じっくり、まったりと歌った1時間半。
福引きコーナーも今日は早めに終わったので、こちらもいつもよりはちょっと早じまい。

丁寧に歌えたのでこれでヨシとしよう。

帰りがけに言われた。
「マイク使っても、使わなくてもあまり変わらないね」

「そりゃ、普段から完全生音でライブやってるからね」

でかかった言葉を飲み込み、にこりと笑って会場を後にした。

| | | コメント (0)

« 2020年3月 | トップページ | 2020年5月 »