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2020.01.17

【「戊辰戦争 敗者の明治維新」を読む】

 

2ヶ月近くをかけ、やっと読了した。

ノートをとり、年表や地図を作り、調べ物をしながら本を読む。
こんなことは学生時代以来かもしれない。
仕事で必要な知識を得るためにそういう読み方はしていた。でも自分の興味のためだけにやるのはほんとうに久しぶりだ。

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学生の頃調べ物をするのに「現代用語の基礎知識」は欠かせなかった。
今ではネット検索を活用している。
ネットの場合は信憑性の点で不安があるので関連する記事を3種類は読むようにした。
そして史実とその背景の確認をするにとどめるように心がけている。
そんなわけで1冊読み上げるのに時間がかかった。

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「戊辰戦争 敗者の明治維新」というタイトルにあるように、
著者・佐々木克さんは破れた旧徳川幕府軍に軸足を置いている。
(彼が秋田出身ということもあるのかもしれない)

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多くの場合歴史は勝者の側の立ち位置で塗られていくことが多い。
けれども勝者がいれば必ず敗者がいる。
敗者にも「正義」と「論理」があるものだが、無視される。
「負け犬の遠吠え」と。

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僕の興味は戊辰戦争の最終章でもある「箱館戦争」を立体的に理解することにあった。
それは自分の故郷である函館をはじめ北海道全体の歴史の中に、
道産子としての自分のアイデンティティを確かめたいという欲求があるためだ。
若い頃北海道を棄て、飛び出した僕だ。この欲求には抑えがたいものがある。

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もう一つの興味は「白川以北一山百文」という言葉の影響を知りたいというものだ。
戊辰戦争に負けた奥羽越列藩同盟に対し、新政府(薩長主導)は「遅れた東北」を見下げる言葉として使っていた。
驚くべき蔑視は東北の民衆にとって重たい「負の遺産」となって残った。

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本書は15代将軍・徳川慶喜による大政奉還から「鳥羽伏見戦争」を経て、「東北・北越戦争の敗北」。
さらには旧幕府軍の最後の抵抗「箱館戦争」までを詳述している。

著者は箱館戦争を戊辰戦争の副次的・派生的な戦争として大きな位置づけをしていない。
いわば「戊辰戦争のあだ花」だ。
薩長軍との戦に敗れた旧幕府軍の残党が津軽海峡を渡り最後の抵抗を試みたのが箱館戦争。
「戊辰戦争のあだ花」は歴史的な意味合いから考えても正しい位置づけだろうと思う。

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しかしながら函館に生を受けたものとして、
この地に「蝦夷共和国」を作ろうとし、叶わず敗れた榎本武揚らへの限りない共感がある。
それは哀感を伴って去来する思いだ。

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子供の頃の遊び場の一つに護国神社がある。
護国神社の境内に「アベックの観察」に行ったり、他中学との果たし合いの場にしたり、さらには異性への告白の場として親しんだ。
函館山の麓、広く長い坂の上に市内を見下ろすように立てられた護国神社の大鳥居。
それはまるで眼下の函館の街を見守るようでもあり、見下げるようでもある。

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この神社に祀られているのは戦争によって殉死した人たちである。
ところがここに祀られているのは薩長軍の殉死者たちで、榎本軍は「賊軍」として祀られていない。
榎本軍の戦死者たちは埋葬されることを禁じられ、長い間放置されていた。その数800人という。
明治8年になってようやっと「賊軍慰霊」が許される。

函館の侠客・柳川熊吉が榎本武揚や大鳥圭介らとともに旧幕府軍の慰霊碑として「碧血碑」(へっけつひ)を建てることができた。
「荘子」に記された言葉から名付けたという。
忠義を貫いて死んだものの流した血は三年を経れば地中で碧玉と化すという言い伝えだ。

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一昨年、碧血碑を訪ねたところ碑のまわりを掃除している女性と出会った。僕とほぼ同年代の女性だ。
こうして掃除をしながらお参りを続けているとのことだ。

  したって、土方歳三さんたち
  一生懸命戦って死んでも
  長いことほったらかされてたっしょ
  かわいそうだべさ

この方の言葉に深く感動した。

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箱館戦争の詳しい内容は「武揚伝」(著・佐々木譲)につまびらかにされている。
史実に準拠した長編小説だが、実に興味深い内容の本だ。

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「戊辰戦争 敗者の明治維新」を読み終え、断片的に知っていた事柄が自分の中に形をもって位置づけられた。
しかしやっと入り口に足を踏み入れられたという思いも強い。

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箱館戦争後の函館の民衆はどうだったのか。
明治政府の肝いりで派遣された屯田兵や入植者たちのこと。
その多くは「賊軍」であり、東北出身だったと思われる。
彼らにとって「白川以北~」の呪縛はあったのだろうか。あったとすればどのようなものであったのか。
先住民アイヌとの関わりはどうだったのか。

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僕は学者ではない。そういったことを学術的に調べていくだけの技量も残念ながらない。
しかしながらたとえ「ミーハー的」であったとしても、これからも少しずつ歴史探検を続けていきたい。

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「俺は何者なのか」という自分に対する問いに答えるために。

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