「喫茶 いずみ ファイナルコンサート」の思い出
「喫茶 いずみファイナルコンサート」をやって、今日でまる5年。
「喫茶 いずみ」はこの翌日、店を閉じた。
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僕が蒲生の町に移り住んだのは20代後半だった。
産まれたばかりの長男を抱いて商店街を散歩していた。
偶然入った喫茶店が「いずみ」だった。
店の壁にかかっていたギターを触らせてもらったことがきっかけで故・鶴岡マスターとの30年に渡る濃密なつきあいが始まった。
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通常営業の中で飲食をしているお客様に歌い始めた。
お客様の邪魔にならないことは最低条件。ちゃんと聴いていただけるステージにしなければ、次のチャンスはない。
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鶴岡マスターの指摘は厳しかった。自信の欠片はズタズタにされた。まさにいずみ道場だった。
そんな日々が5年ほど続いた。
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歌う場はライブハウス「ぶどうの木」などに変わり、いずみで歌うことは稀になっていた。
やがてマスターもママさんも亡くなった。
息子があとを継いで頑張っていたが、店を閉めることになった。
感謝を込めてさせていただいたファイナルコンサートだった。
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あらためて思う。
今の自分の演奏スタンスは、間違いなく「喫茶 いずみ」が原点になっている。
ここでの「修行」の日々は間違いなく今に連なっている。
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【5年前のファイナルコンサートの記録】
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「いずみ ファイナル・コンサート」
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ありがたかったです。
うれしかったです。
たくさんの人が雨の中をお運びくださいました。
何がうれしかったかって、すべて地元の方々だったことです。
いずみファンのお客さん。
いずみで仲良くなった古い友人。
蒲生でこれまでやってきた様々なライブ・コンサートに来てくださった方々。
地元・越谷を中心に歌い続けて30余年、それが原点「いずみ」でつながった。
そんな気がしました。
今はもうやっていない「すみれコンサート」や「寿コンサート」も決して意味のないことではなかった!
そういうお客さんたちが皆「いずみ」にもお客さんで来ていた!
縁の不思議を感じずにはいられません。
地元に根を張ることの大切さを感じずにはいられません。
お客さんの多くは元ギャルたち。
面白かったのはなんといってもシングアウト。
「津軽海峡冬景色」や「与作」でシングアウトできるなんて、聞いたことがない(笑)
まるで演歌版フォーク・フーテナニーでした。
原点の場で歌う。
それもこれが最後のファイナル・コンサート。
正直気持ちが高ぶり、平常心ではいられませんでした。
歌詞が飛んだり、なんでもないフレーズを弾きそこねたり。
まるで30年前、ドキドキしながら「通常営業中」の店内で歌ってた若造の気分でした。
自然発生的なシングアウトのおかげで、徐々に平常心に戻れました。
あらためて思い知りました。
自分のライブはいつもこうしてお客さんに助けられ、ノセられながらやっとこ成立してるんだってことを。
原点の場「いずみ」で自分のライブの原点・あるべき姿を、最後の最後にまた教えられた思いです。
万感の思いでファイナルコンサートの幕を引くことができました。
感謝!!!
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故・鶴岡マスターや蒲生中央通り商店街の若い衆たちとやった街づくり活動。
その象徴的な歌が「オールマイティ・ストリート蒲生」でした。
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喫茶 いずみの鶴岡マスターの死に際して書いた文章です。
いずみとの出会い。いずみでの演奏。いずみでのセッション。
僕にとって最初の音楽道場。
それが「喫茶 いずみ」でした。
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【いずみ瓦版より 会話(⇒怪話、⇒快話)話し合い(⇒放し合い、⇒離し合い) 】
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