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2019.11.25

喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会

黄昏時の喫茶店。

まったりした空気が流れる。
懐かしいひととき。

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できたての唄本が大活躍してくれた「第2回 たそがれ歌声音楽会」。

参加いただいた方は最初とまどったようだった。
唄本をどう扱っていいか分からない様子。

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「日曜昼下がりライブ」の時は僕の選曲にしたがって歌を聴く。
それに対してのリアクションとしてチャチャを入れる。
僕はそれを受けて話を膨らませるという形。
でも「歌声音楽会」は参加者が歌いたいものを選んでくださいと、最初からボールを預ける形になる。どうしていいか戸惑うのも道理。

でもそれが僕の狙い目。参加者全員で音楽会を作っていくのが「たそがれ歌声音楽会」だと思っている。

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常連Tさんも「勝手が違うな」と思っているご様子。

じゃあ、とりあえずグループサウンズから始めようか

と、最初のボールを投げてくれた。

おずおずと歌いながらも、歌うにつれ調子が出てきたご様子。
GSを7~8曲もやった頃、おしゃべりの中に「氷雨」という言葉が。
電光石火で「氷雨」に飛ぶ。
そこからが大変。演歌系歌謡曲からムード歌謡に飛び火。
もう絶好調で歌ってくれる。

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「津軽海峡冬景色」を歌い終えるとSさんが急にご自分の若い頃のことを話し出す。

ボクは若い頃北海道で仕事をしてたんだよ。

上野から青森まで延々と汽車にゆられて、青森につくのは朝方。

そこから青函連絡船で4時間もかかってやっと函館。

 

すかさず返す。

ボクはその函館で生まれ育ったんですよ

 

そこから北海道がらみの歌のオンパレード。

やがてそれまで静かに聞いてくれていた方が我慢できなくなったか、急に口を開く。

股旅ものは唄本に入ってるのかね

 

間髪いれず「潮来傘」へ。
そこから話題は御三家へ。
「高校3年生」「君だけを」とつなげる。

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おしゃべりと歌で気がついたら予定の2時間に近づいている。
休みなしのぶっとおしだったがあっという間だった。

音楽会が始まる前は黄昏た落ち着いた喫茶店だったが。
終わる頃には楽しき混沌で沸騰していた。

「星のフラメンコ」を手拍子と大合唱。
「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」の幕を閉じるのにふさわしい1曲だった。

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みんなで歌おう・弾こうフォークソング at おーるどたいむ

冷たい雨が降り続く。
玲子ママさんと「今日は皆さん来られないかもね」と話ながら様子をうかがう。

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Tさんが雨ガッパを着込んでやってくる。
雨の中を自転車にのって5キロの道のりを来てくれたという。さすがは普段から体を鍛えているだけある。
ありがたくも頭が下がる思いだ。

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ママさんを含めて3人の「和」で歌声音楽会は始まる。
今日は徹底的にTさん好みの歌をやることにする。
Tさんの高校生の頃によく聴いていたフォークソングからスタート。
チェリッシュや吉田拓郎がお好きだったとのこと。
僕とは1才違いの同世代。当然聴いていた歌はかぶっている。
それぞれの思い出話もまじえつつ、おしゃべりにも花が咲く。

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1曲毎に当時の時代背景を加味しつつ、歌詞を解析し解釈を加えていく。
歌ごとにかける時間と中身の密度が高い。
さながら歌に見る時代考証。
「歌は世につれ、世は歌につれ」を体感する音楽会だ。

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加えて歌のアレンジやコード使いについても私見を加えていく。
この歌のここにクリシェを使ったり、ディミニッシュコードを1つ入れるだけで曲調が変わる。おしゃれになるとか、アンニュイな感じになるとかやりながら実演していく。
さながらフーテナニーだ。

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こじんまりと、しっとりとした時間がゆっくり流れる。

2部は高校生の頃のアイドル歌手の歌をいろいろとやる。
天地真理から始まりシンシア・南沙織、小柳ルミ子へと続く。

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最後はお約束の「街」。
3人でしっとりと歌うこの歌もまたいいものだ。

  「いつものにぎやかな「歌声音楽会」もいいけど、
   今日みたいのもいいですね」

そう言い残して、Tさんは雨の中に消えていった。

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いいひとときだった。

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2019.11.20

「唄本」作成完了! 「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」用

できたぁ!

「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」で使う唄本。

20191120
1週間がかりで第1号・試刷りがやっとこ完成。

当初はある程度曲数がたまったら中断するつもりでいた。
でも歌詞の入力作業をやっているうちに欲が出た。
もう少し、もう少しと思っているうちに160曲になった。

歌声音楽会でやるのは20曲がいいところだろう。
それでも160曲あればリクエストの選択肢が広がる。
参加者の方々の満足度も上がることだろう。

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今回載せきれなかった歌もたくさんある。
他にもリクエストをちょうだいすることだろう。
そういう歌は次回までに追加すればいい。
今回は唄本のベースができたことで大満足だ。

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選曲は多岐にわたっている。
大雑把に分けると次の通り。

戦後編(昭和20年~30年)
高度成長期編(昭和30年~40年代)
バブルとその崩壊期(昭和50~64年)

「リリース年」も正確に記載した。
目次は見事「昭和*年」の文字が羅列されている。
昭和は歌の宝庫だね。
それもたくさんの人が共有できるような歌がね。

他にも歌手別索引を作ったり、大まかなジャンル分けもしてみた。

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実はフォークソング系はほとんど入っていない。
今回は「歌謡曲」「流行歌」というくくりで統一した。
フォークソングは初期のものは別としても、その多くはポピュラリティがあるとはいえない。
「シンガーソングライター」の多くは自分の世界を自分の言葉で表現している。

それを共有しているのは一定の世代だったり、そのシンガーのフォロワーだったりする。
フォークソングは「お茶の間」でじいさんもばあさんも父さんも母さんも、そして子供達も一緒に歌われた歌では決してなかった。
独自性がフォークソングの存在意義であり、同時に狭さでもあるということだろう。

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「たそがれ歌声音楽会」の参加者は60代半ば~70代前半。
いわば黄昏の世代が、黄昏時にみんなで歌う音楽会。
多くの方は実はフォークソングとはなじみが薄い。
フォークソングを牽引してきたシンガーたちはこの世代なのにね。
演奏する人と聴く人の間に乖離があるってことなのかもしれない。

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フォークソング系は今後ぼちぼち追加していこうと思っている。
それが出来上がれば同年代でやっている歌声音楽会でも使えるだろうな。
なにしろこちらの参加者はみな「フォークソング世代」だから。

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160もの唄をひとつひとつトレースしながら、その背景などもおさらいした1週間。
いろんなことを感じ、いろんなことを考えることができた。
(歌詞を入力しながら何度むせび泣いたことかf(^_^; )
とても貴重な1週間だった。

そしてその果実としての「唄本」がほぼ完成し、ほっとすると共にとてもとてもうれしい。

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あとは印刷、丁合、製本を残すのみ。
なんとか明日の「たそがれ歌声音楽会」に間に合いそうだ。

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喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 2019年11月21日 17:00~19:00 

 

 

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2019.11.19

達者でな

わらにまみれてヨー 育てた栗毛
  今日は買われてヨー 町へ行く アーア~アー
  オーラ オーラ 達者でな
  オーラ オーラ 風邪ひくな
  離す手綱がヨー ふる ふるえるぜ

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目頭がじわーっとあつくなる。

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昭和35年、三橋美智也さんの名曲のひとつ「達者でな」。
子供の頃、その意味も理解せぬまま「ワーラーニ マミレテヨー」と大声で歌っていた。

当時函館の町でも車に混じり、数こそ多くはないが馬車や馬そりが走っていた(歩いていた)。
馬糞を踏むと背が伸びるなんてこと本気で信じていた。

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それにしても昭和の歌謡曲にはちゃんと筋書きがありドラマになっている。
情景がふわっと浮かんでくる。
数少ない言葉の裏側かにいろんなことを想像させられる。

三橋美智也さんの「夕焼けとんび」にしても「古城」にしても同じ。
まさに「3分間ドラマ」だ。
歌詞、メロディ、歌唱の三拍子がしっかりかみ合ってのことなんだろうな。

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三橋美智也さんは函館のすぐお隣、上磯町出身だと言うことを知ったのはずっと後になってからのことだった。
高校3年の時、学校祭でファイヤーストームの前で「北海盆唄」を歌う企画を立てたことがある。
三橋美智也さんのお弟子さんに民謡風の歌い方を教えてもらえることになり、汽車に揺られて豊浦まで行った。
その方は僕の歌を聴くと「おめ、三橋先生のレコードケルから(やるから)、よっぐ聴いて真似しれ」とドーナツ盤を1枚くれた。
多分、こいつには民謡の才がなく、教えようがないと即座に思ったんだろう。

かなり三橋美智也唄う「北海盆唄」を聴きこんだが、結局モノにはならなかった。

でも以来「歌手・三橋美智也」は僕にとって憧れ以上の存在になった。

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→「達者でな」

 

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2019.11.16

「お好み焼きの三貴ライブ」

淡々、じっくりと『お好み焼きの三貴ライブ』。

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本日のお客様はみな20代と思われる。
小グループでそれぞれに内向きなイメージ。
仲間同士、会話しながら静かに食べている。
演奏に対する反応も極めて薄い。
先月の異様な盛り上がりとは対照的だ。

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こういう時は淡々とBGM的に歌うしかない。
でも決して投げやりな気分を持ってはいけない。
むしろ普段以上にていねいに歌うべきだ。

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トークはほとんど入れずに、間断なく歌い続ける。
選曲は今月末の「おーるどたいむライブ」のプログラムを中心にした。
お客さんの知らない(知るはずのない)歌がほとんどだ。
通常営業中のライブではポピュラリティのある歌を中心に歌うのが常だ。
でも今回は若いお客さんばかり。
ポピュラリティのある歌をやったとしても共有はできないだろう。
何を歌っても「知らない歌」オンパレード。

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むしろ「知らない歌」を歌ってもそれを届けられるかどうかということが歌い手に問われる。
だからこそ普段以上にていねいに、きっちりと歌うことを心がけなければならない。

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お客さんに多少なりとも届いたかどうかは不明ではある。
でも演じ手としてはやるべきはやれたかなと思う。

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今日は常連・MATUMURA君に加え、時折来てくださる盟友・ふく助さんご夫妻が足を運んでくださった。

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本日の使用ギターもHEADWAYのOMタイプ。
立ち上がりがよく、音に芯があり、各弦のバランスもいい。
弾いている時のイメージはサウンドホールから音の束が放出されていく感じ。
喧噪を切り裂いて音が直進していく感じは生音ライブでは大きな安心感につながる。
まさにお好み焼き屋さんでのライブのために作られたかのようなギター。
お気に入りの1本だ。

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「港が見える丘」

名曲だ。
「港が見える丘」。

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昭和22年。
戦後まだ2年。
東京にはまだ焼け跡にバラック。闇市が全盛の頃なんだろうな。
上野地下道なんかには戦災孤児もたくさんいたんだろうな。
歌の舞台の横浜はどうだったんだろうな。横浜も焼夷弾に焼かれたと聞いている。
敗戦を色濃く引きずりながらも、そこから這い上がらなければという時代。
この歌はそんなときにラジオから流れていたんだろうか。

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僕はこの歌を歌うとき、函館の元町公園から眺める函館港を思い浮かべる。
函館もまた空襲を受けている。特に青函連絡船を狙った爆撃は執拗であったと聞く。(1945年7月)

古くは箱館戦争で榎本武揚率いる「蝦夷共和国」(旧幕府軍)と薩長率いる新政府軍との戦いの場となった弁天台場から見る函館港を思い浮かべる。
弁天台場の窮地を救うため五稜郭から打って出た土方歳三はその道すがら戦死している。

時は1869年5月。函館に桜の咲く頃ではなかったか。

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戦後、函館の元町で両親は出会った。
母は時々「港が見える丘」を口ずさんでいたのが幼い記憶として残っている。

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「情緒過多症」と笑われるが、この歌を歌うとき古い戦のイメージがよぎるともなくよぎる。

(特に函館の特養「旭が丘の家」でやる歌謡ショーではそんな思いが強い)

ちあきなおみさんのカバーもぐっとくるが、平野愛子さんの歌は時代の持つ力のようなものを感じる。

好きな歌だ。

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→「港が見える丘」 by 平野愛子

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「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」の唄本作り

11月の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」の日程が決まる。

11月21日(木)17時~19時。
文字通りのたそがれ時に喫茶店JUNEで開催される。

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今回が第2回目。
前回はお店のカラオケセットと水先案内人・Martin古池のギターでやった。
カラオケに表示される歌詞のスピードとギターの伴奏テンポがうまく噛み合わず難しかった。

今回は唄本を作る予定で今準備している。

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「歌は世につれ、世は歌につれ」という。
昭和(特に戦後から昭和40年代)の歌はそれを如実に表している。
まだ歌がお茶の間にあった時代だ。

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昭和の香り漂う喫茶店でそんな歌を参加者みんなで歌う。
一つ一つの歌に投影された時代を肴におしゃべりをしながら。

それをそれぞれのひとが歩んできた道のりをふりかえり、確かめるというようなものになれば嬉しい。

古きを尋ね新しきを知るような音楽会になれば嬉しい。

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唄本は大雑把な時代ごとに分け、今回は100曲くらい用意しようと思っている。
選曲はこれまで特養や老人ホーム、デイサービスなどでやって来た歌を中心にした。
核になる歌が決まればそこから徐々に膨らませていくことができる。
会を重ねるごとに少しずつ増えていくのがいい。

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目下歌詞入力に追われている。

やっとこ戦後編が終わり、高度経済成長期編ににさしかかった。
いわば自分のとっては追体験の歌達が多い。
ただ入力するだけではない。それぞれの歌に投影されている時代背景も確かめながらやっている。
やたら時間がかかる。
これから僕が思春期の頃の歌編になる。実体験した時代の歌たちだ。
さらに時間がかかるだろうな。
目もしょぼしょぼになるし、肩もこる。

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でもそういう時間がとても楽しく、とても勉強にもなる。

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2019.11.12

「へたくそ親父のギター弾き語り」のこと

2007年。
クサレ縁のキャンプ仲間、しばちゃんは「へたくそ親父のギター弾き語り」(通称「へた親」)という音楽コミュニティを立ち上げた。
もう一昔も前のことになる。

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その頃は今と違い演奏する場がまだ少ない頃だった。

ギターなどの弾き語りをしたいがライブハウスなどでは敷居が高い。
ノルマもある。
そんなこと気にせず発表できる場所があればありがたい。
ギターは弾いているがへたくそだ。
たとえへたくそでも仲間同士で音楽を楽しみたい。

そんな人達を対象にしたコミュニティだった。
日常的にはネット(mixi)への書き込みで情報や状況を共有する形だった。
同時に時折オフ会を開催し、発表の場として親交をあたためた。
一堂に会し、刺激を与え合うオフ会は楽しかった。
メンバーは初心者も多かったが、達者な人もまたいた。

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「へた親」の活動は5~6年も続いただろうか。
しばちゃん(通称・隊長)の仕事が多忙になったこと。
ライブバーなどが林立し、気軽に演奏できる場が増えてきたこと。
メンバーの技量が上がってきたこと。
それらが重なり、残念ながら現在は休眠状態になっている。
メンバーの多くはそれぞれの場で地道に演奏活動を続けている。
「へた親」の役割はすでに果たせたのかもしれない。

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僕にとって「へた親」はとても大きな存在だった。
音楽を通して様々なつながりができ、楽しさを共有できる数少ない場だった。

 

それまで僕は長年ひとりでライブ活動をしてきた。
幸いなことにいろんなご縁が重なり、演奏の場に困ることはなかった。
ほとんどのライブは「独演会」の形だった。
ライブ活動を通してお客様とのやりとりの中で育てていただいてきた。

でも「独演会」では音楽の楽しみを共有することはできない。
自分の出す音はお客様のフィルターを通して自分に帰ってくる。
お客様からいい反応を返していただくためにした準備はいったんそこで終わる。
「自己完結」とも云える。
少しでも納得のいくライブにするため、結構ストイックに準備をする。
でもライブを終えた後、その楽しみを共有する仲間はいない。
ライブ活動とは基本的にそういうものだとは今も思っている。

 

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「へた親」に参加した時、しばちゃんを応援する気持ちが強かった。
クサレ縁の彼の作ったコミュニティに自分の経験を活かしてもらえればいいくらいの気持ちだった。
でも実際に「へた親」の活動をするうちに「音を楽しむこと」の幅広さや、「楽しさを共有すること」のありがたみを感じるようになった。
「音楽ライブ活動は孤独な営み」ではあるがけっしてそれだけではないということが身にしみた。

「へた親」での経験は自分の独演会ライブにも反映されているようにも思う。
歌とおしゃべりが織りなす「井戸端音楽会」的なライブスタイルは「へた親」での経験で鍛えられたように思う。

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今度の「おーるどたいむ de ライブ」では友人たちの作った唄を歌うという特集を組む予定だ。
「へた親」の友人たちの唄もやらせていただこうと思っている。
共に同じ時間を過ごした友への感謝の気持ちを込めて。

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★「へた親」に関する他の記事★

 

 

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2019.11.09

「朝市コンサート」 音楽実験の場

「朝市コンサート」ではいろんな音楽的な実験ができる。

今日はギターをラインに繋げて演奏する実験をした。

僕は8割ほどは生音によるライブをやっている。お客様との間に少しでも必要のない壁やベールを作りたくないという思いからだ。息づかいをダイレクトに伝えるには生音に勝るものはないと思う。
そのために歌もギターも「生」でもちゃんと伝えらることを想定した稽古を長年やってきた。

とはいえ市場のようなだだっ広く、喧騒の真っ只中で歌うのは「生」では難しいことも多い。
そこで次善の策としてコンデンサーマイクを1本立ててギターと歌を拾うようにしてきた。声とギターの音がほどよく混じり合うところの音をコンデンサーマイクで拾う。
この場合演奏方法は生音演奏とほぼ同じ。生音をまるごと拾って増幅するという考え方だ。

今日の実験はギターの出音をラインで直接アンプに送ることがポイント。多くの人にとっては当たり前にやっていることだ。でも僕にとっては(未知ではないが)あまりなじみのあることではない。

ライン使用では軽いピッキングタッチでもけっこうの音量となる。また指やピックの弦への接触音がまず強調されるようだ。ボディ鳴りの余韻音は後から付いてくる感じだった。
あまり好きな音ではない。
そこでピッキングのタッチをやわらかめにした。
またアンプのトーン調整で中低音をブーストさせないようにした。
これで比較的生音の方向に近づいた。(電気音が緩和された)

それでも音量はかなり大きい。ギター音量に合わせてボーカルマイクの位置を口に近づけた。
(普段はオフマイクぎみにしている)
この状態でいつものように歌うと音が膨らみすぎてやかましい感じになる。
そこでキーや歌い方を変えてみた。いつもより1音下げ、歌い方も声をあまり張らないようにした。
張る部分はマイクから少し離れて発声して位置調整をした。

これでギター音量とボーカルの音量のバランスはとれた。
ところがギターのカッティングがやかましくまた平板に感じられる。ダウンストロークとアップストロークの差が少なく、メリハリが感じられない。
アップストロークをやめてみた。1コーラスのつなぎめで必要な部分だけ入れてみた。これでいい感じに落ち着くことが分かった。

このやり方を見つけるのに10曲くらいは費やした。でも後半は違和感なく演奏できほっとする。

同じ弾き語りでも完全生音とギターラインどりでは奏法や歌唱法がまったく違うということを実感する。

安定して演奏できるようになった後半、ちょうどいいタイミングで時々聴きに来てくださるグループがやってきた。ベンチに腰を落ち着かせしっかり聴いてくれる。(しかも時に涙を浮かべながら!)
うれしいグループだ。

彼らの中の1人りは函館出身。
「函館物語」はもちろん、今金のお寺のご住職の歌「まだかね今金」などもやる。
そして次から次へと来るリクエストにお応えしながらあっという間に2時間は過ぎ去った。

本日はいい実験もできた。いいお客様にも恵まれた。
秋晴れのいい「朝市コンサート」だった。

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「喫茶 いずみ ファイナルコンサート」の思い出

「喫茶 いずみファイナルコンサート」をやって、今日でまる5年。
「喫茶 いずみ」はこの翌日、店を閉じた。

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僕が蒲生の町に移り住んだのは20代後半だった。

産まれたばかりの長男を抱いて商店街を散歩していた。

偶然入った喫茶店が「いずみ」だった。
店の壁にかかっていたギターを触らせてもらったことがきっかけで故・鶴岡マスターとの30年に渡る濃密なつきあいが始まった。

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通常営業の中で飲食をしているお客様に歌い始めた。
お客様の邪魔にならないことは最低条件。ちゃんと聴いていただけるステージにしなければ、次のチャンスはない。

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鶴岡マスターの指摘は厳しかった。自信の欠片はズタズタにされた。まさにいずみ道場だった。
そんな日々が5年ほど続いた。

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歌う場はライブハウス「ぶどうの木」などに変わり、いずみで歌うことは稀になっていた。

やがてマスターもママさんも亡くなった。

息子があとを継いで頑張っていたが、店を閉めることになった。

感謝を込めてさせていただいたファイナルコンサートだった。

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あらためて思う。
今の自分の演奏スタンスは、間違いなく「喫茶 いずみ」が原点になっている。
ここでの「修行」の日々は間違いなく今に連なっている。

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【5年前のファイナルコンサートの記録】

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「いずみ ファイナル・コンサート」

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ありがたかったです。
うれしかったです。
たくさんの人が雨の中をお運びくださいました。
何がうれしかったかって、すべて地元の方々だったことです。


  いずみファンのお客さん。
  いずみで仲良くなった古い友人。
  蒲生でこれまでやってきた様々なライブ・コンサートに来てくださった方々。

地元・越谷を中心に歌い続けて30余年、それが原点「いずみ」でつながった。
そんな気がしました。
今はもうやっていない「すみれコンサート」や「寿コンサート」も決して意味のないことではなかった!

そういうお客さんたちが皆「いずみ」にもお客さんで来ていた!
縁の不思議を感じずにはいられません。
地元に根を張ることの大切さを感じずにはいられません。

お客さんの多くは元ギャルたち。
面白かったのはなんといってもシングアウト。
「津軽海峡冬景色」や「与作」でシングアウトできるなんて、聞いたことがない(笑)
まるで演歌版フォーク・フーテナニーでした。

原点の場で歌う。
それもこれが最後のファイナル・コンサート。
正直気持ちが高ぶり、平常心ではいられませんでした。
歌詞が飛んだり、なんでもないフレーズを弾きそこねたり。
まるで30年前、ドキドキしながら「通常営業中」の店内で歌ってた若造の気分でした。

自然発生的なシングアウトのおかげで、徐々に平常心に戻れました。

あらためて思い知りました。
自分のライブはいつもこうしてお客さんに助けられ、ノセられながらやっとこ成立してるんだってことを。

原点の場「いずみ」で自分のライブの原点・あるべき姿を、最後の最後にまた教えられた思いです。

万感の思いでファイナルコンサートの幕を引くことができました。

感謝!!!

 

【ファイナルコンサートに向けて・雑感】

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【オールマイティ・ストリート蒲生】

故・鶴岡マスターや蒲生中央通り商店街の若い衆たちとやった街づくり活動。
その象徴的な歌が「オールマイティ・ストリート蒲生」でした。

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【古い音楽仲間の死】

喫茶 いずみの鶴岡マスターの死に際して書いた文章です。
いずみとの出会い。いずみでの演奏。いずみでのセッション。
僕にとって最初の音楽道場。
それが「喫茶 いずみ」でした。

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【若き日の音楽道場 いずみ】

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【いずみ瓦版より 会話(⇒怪話、⇒快話)話し合い(⇒放し合い、⇒離し合い) 】

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【いずみ瓦版より そのうち】

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