「昭和歌謡」について
このところ「昭和歌謡」を歌う機会が続いています。
9月の末、函館の特養「旭が丘の家」で開催されたそれいゆフェスタでの「Martin古池 歌謡ショー」。翌週、喫茶店JUNEでの「第1回 たそがれ歌声音楽会」。そして先週、定例の「さんすまいる歌声音楽会」。
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一口に「昭和歌謡」といってもなにせ昭和は長い。
足かけ64年の歴史の中で日本の歴史は大きく揺れ動いています。
いくつかの戦争の渦中をくぐり抜け、完膚なきまでたたきのめされ、そこからはいあがる。
急ぎすぎた復活劇はやがて頓挫。
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歌謡曲は歴史の流れとそれに翻弄されながら生きてきた人々の思いを反映しながら生まれ、歌い継がれてきました。
まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」です。
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歌謡曲の歴史については思うところ多々ありますが、それはいずれの機会に譲ることにします。
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オレはこの先いつまで「昭和の歌謡曲」を歌うことができるのかな
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昭和の歌謡曲(流行歌)を歌うたびに最近ちょっと寂しさが残ります。
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僕が歌謡曲を歌うのはここ10年ほどの間にご老人=人生の先達たちと歌う機会が増えてきたからです。
特に函館の「旭が丘の家」での歌謡ショーは大きかった。
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母がお世話になっていた施設で、陣中見舞いに帰省するたびに歌ってきました。
当初は子の世代から親の世代へのエールというつもりでした。
大正から昭和の始めに生まれた方々は戦中戦後に青春時代を送りました。
そんな時代に胸熱くして歌っただろう唄を選んでいたんです。おもに戦後の流行歌でした。
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何度かやるうちに背伸びをしている自分に気がつきました。
「赤いりんごにくちびるよせて~」とか「若く明るい歌声が~」と歌っても実感が伴わないのです。
戦争がやっと終わって明るい世の中への期待感。
戦後生まれの自分には本当のところがわからない。
ボランティアや「慰問」として歌うことに無理や限界を感じたのです。
なにしろ自分の中にはない歌を歌うわけですからね。
どことなく頭でっかちな歌唱になっていたようです。
(「ボランティア」とか「慰問」という言葉自体にもどこか鼻持ちならないニュアンスを感じていました)
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考え方をあらためました。
子供として親と共に聞いてきた歌をやろう。
自分も好きで、親の世代もごくあたりまえに聞いていた唄を歌おう。
そういう唄を通して同じ時代を共有したい。
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昭和30年代~40年代の流行歌が中心となっていきました。
子供の頃歌謡曲少年だった僕はラジオ(後にテレビ)から流れていた歌、親や近所のおじさんたちの鼻歌が身体の中にしみこんでいました。
昔の唄は息が長いから僕の生まれる前の昭和20年代の唄もあたりまえのように流れていました。
僕もなんとはなしに口ずさんでいました。(「銀座のカンカン娘」は名曲だ!)
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「Martin古池の歌謡ショー」はご老人たちも僕も共に楽しめるものになっていきました。
(「Martin古池の歌謡ショー」と名付けてくれたのは旭が丘の家の当時の担当の方でした)
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その後ご縁があり、地元・越谷のデイサービス・さんすまいるでも歌うようになりました。
こちらはご老人といっても特養に比べると若く、お元気な方々ばかりです。(僕よりも10~15歳くらい先輩方)
選曲は少し時代が進み、昭和40年代の唄が主流です。(グループサウンズもいけちゃう)
何度かやるうちに聴くだけではなくご自身も歌いたい様子を感じはじめました。
そこでみんなで一緒に歌う「歌声音楽会」にしました。
これが良かった。音楽会に魂が入りました。
こじんまりとした音楽会ですが、唄を通しておしゃべりの花が咲きます。
おしゃべりを通して唄の裏に流れる時代背景や、それぞれの方の若き日の思い出がポロリと出てきます。
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ご老人たちと歌うということが僕にとっては欠かせないものになっています。
歌謡ショーや歌声音楽会を通してさらに古い時代の歌謡曲を知ることもできるようになりました。
知識としてしか知らなかった戦中戦後の空気も生々しく感じられるようになりました。
10年前に背伸びをしていると思い歌えなくなった歌も、ごく自然に歌えるようになりました。(「長崎の鐘」や「青い山脈」等々)
戦中戦後の生き証人の方々と歌えることは幸せなことです。
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今年の3月に大正生まれの母が亡くなりました。
「旭が丘の家」の入居者の方々も顔ぶれが少しずつ変わっています。
ご存命の方々も少しずつ、あるいは急激に老いが進んでいます。
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デイサービスの先達たちもやはり老いが進んでいる。
デイサービスに来られなくなり、特養などに移られた方もいると聞きます。
戦中戦後の歌謡曲をいつまで歌い続けることができるんだろうか。共に楽しんでくれるご老人たちはいつまで達者でいられるのだろうか。
ちょっと寂しくなります。
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そしてはっと気がつきます。
歌っている自分自身もまた「高齢者」=老人の仲間入りをしていることを。
(じょうだんじゃねぇ! と思いつつもね)
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