帰天する母を送る
母が92歳の人生の幕を下ろす。
大正15年9月23日に生を受け、大正・昭和・平成と3つの時代を生きてきた。
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天寿を全うし、天に帰る。
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先週の日曜日、陣中見舞いに行った僕がかけた最後の言葉。
「がんばんなさいよ」
子供のころ登校する度に母に毎朝かけられた言葉だった。
当時は重く感じていた言葉だった。
その同じ言葉を思わず母にかけていた。
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その後1週間、母はついに醒めることがなかった。息を引き取るのは時間の問題と思われた。
知らせを聞いた弟と妹が1週間後駆けつける。
弟たちの呼びかけに意識のない母がかすかに反応する。
その数時間後、母は静かに息を引き取る。
まるで子供たち全員との別れの時を待っていたかのように。
待つことが母の最後の「がんばり」だったのかもしれない。
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「大往生」という感じではなかった。
むしろ静かに静かにろうそくの灯がすっと消えるような最期。
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92年という人生が長かったのか短かったのか。
それを問うことははあまり意味がない。
むろん平均寿命を超えたということでは長い人生だった。
けれども68歳で逝った父の人生もまた充分に長い人生だった。
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「大切に生きれば充分に長い人生の旅路」
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父が亡くなってからの二十余年。
母の日々はひとり旅だった。
それは「目的のある旅ではなく、旅するための人生の旅路」だったように思う。
身体が不自由なため自力では多くのことができない母だった。
限られたことを日々を淡々と大切に生きてきたように思う。
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それを支えてくれたのは特養の職員の皆様の献身的なサポートであり、友人たちだったように思う。
彼女が日々の暮らしに様々な不自由と不安、不満を抱えながらも大切に生きられたのはこういう方々との関わりがあってこそだろう。
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そして何よりも大きかったのは「信仰心」だったと思う。
昭和23年、24歳でカトリックの洗礼を受けた彼女は最後まで強い信仰心を持ち続けていた。
信仰心こそが生きる原動力だったのではないだろうか。
彼女の信仰心は長い年月を経て体や心にしみこみ、揺るぎのないものに固められていた。
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人の人生に問われるもの。
それはいかに生き、いかに死んでいくかだろうと思う。
生き方が死に方につながっていく。
そのすべてが「生き様」となっていくのだろう。
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母の生き方は信仰のうちに生き、信仰のうちに死んでいったように思う。
「天寿を全うし帰天する」
神様にいただいた命を大切に生ききり、やがて天に帰っていく。
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自分にはとてもまねのできぬ生き方だ。
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世の中に対して特別の影響を与えたわけでも、何事かを成し遂げたわけでもない。
決して特別な人ではなかった。
市井の一人の女が信仰のうちに日々を過ごし、天に帰っていった。
これほど強い生き方があるだろうか。
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オレにはできねぇ。とてもマネできねぇ。
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母を失った喪失感。
むろんないわけではない。
もしかしたらそれはこれから感じることなのかもしれない。
むしろ今は不思議な安堵感のほうが強い。
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「安堵感」
それは己が人生を生き切り、帰天という帰結に行き着くことができた。
それを見届けることができたことに安堵しているのかもしれない。
それは己が人生の昇華ともいえるのだろう。
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「お疲れ様」「ご苦労様」「あっぱれ」
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静かな気持ちでそういってあげたいと思う。
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