ステージネーム「Martin古池」の背景
人生にはいくつかの節目があるように、音楽と共に歩いてきた道のりにも節目がある。
「Martin古池」というステージネームを名乗るようになったこともそのひとつ。
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20年ほど前にさかのぼる。
それまでのおよそ10年間、僕の主な演奏場所はライブハウス「ぶどうの木」(旧あがれば)だった。
ここで僕は数多くのソロライブをさせてもらい、様々な試みに挑戦させてもらった。
「ぶどうの木」というライブハウスとそこに来られるお客様に守られながら育てていただいた。
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諸事情から「ぶどうの木」はお店をたたむことになった。
僕はその後2年ほど、自力ライブと称して公共施設やスナックなどを借り切ってライブ活動を続けた。
そしていやというほど痛感したのが、自分はいかにお店やお客さんに守られてきたかということだ。
同時に自分のライブがどれほど独りよがりなものであったかということを思い知った。
このままじゃダメだ。
不特定多数の方々にもちゃんと聴いてもらえるような歌い手になりたい。
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そう思った僕は「守られた場所」でのライブはやめて街に出た。
駅、公園などで道行く人に歌いかける「街角ライブ」を始めた。
たしか48歳の頃だと思う。
いいおっさんが街角で歌うということは、僕にとっては一大決心だった。
周囲も当初は好奇の目で遠巻きにして眺めていた。
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そういう周囲の目や、なにより自分の弱気の虫と闘うために僕はステージネームをつけることにした。
それがMartin古池の始まりだった。
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Martinは無論ギターのメーカー名。
その頃Martinギターは僕の主力、代名詞的なギターだった。
それに自分の本名を重ね合わせた。
思いのままにはいかぬ街角ライブ。自分を鼓舞するためにこの名を使い続けた。
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今でこそ不特定多数の方々を前にして歌うことが僕のライブスタイルに定着している。以前のように鼓舞することも少なくなった。(無いわけでは全然ないけど)
「Martin古池」というステージネームにこだわりもなくなった。
でも長年使い続けてきたから愛着はある。
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次の「おーるどたいむライブ 春の陣」には「ぶどうの木」のママさんが来てくれるそうだ。お会いするのは十数年ぶり。
僕がまだ「Martin古池」を名乗る前のライブスタイルと今につながるスタイルをうまく表現できるようなステージにしたいと思う。
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