叔母の記憶
根室に向かっている。
叔母が亡くなった。
96歳の大往生。
写真の二人から生まれた最初の娘。
僕の母の1歳年長の大正12年生まれ。
「根室のおばちゃん」の記憶は数えるほどしかない。
僕が生まれた時すでに根室に嫁いでいた。
北海道の西の端・函館と東の端・根室は遠い。
叔母が里帰りをした時数回会ったくらいだ。
それでも叔母のエピソードは母から数多く聞かされていた。
きかない娘で男の子をぞろぞろ引き連れて遊んでいたらしい。
「ゴロベスやるもの、この指止ーまれ」と大声を張り上げていたとか。
(ゴロベスとは球を転がす野球だそうだ)
母はいつもその後ろに隠れるように付いてまわったらしい。
つきあいの薄い叔母だったが、達筆の年賀状を毎年送ってくれていた。その達筆はほとんど判読不能の行書体だった。郵便屋さんも苦労したことだろう。
叔母からの年賀状が途絶えて10年ほどになろうか。すでに体がいけなかったらしい。
先に亡くなった夫の後を引き継いで漁師の網元を張っていたとのことだ。荒くれ漁師たちを束ねるのはなかなかゆるくない(大変)ことだろう。しかしゴロベス娘にとっては天職だったかもしれない。
数少ない叔母の記憶だが、ドスのきいた張りのある声はよく覚えている。
2018年5月13日。
大正、昭和、平成。
三つの時代を生きた市井の豪傑。
5人の娘たちに見守られ、母の日の深夜この世を旅立った。
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