440と442
「440と442」
ギターなどのチューニングの話だ。
一般にレギュラーチューニングとされているのは440。
でもちょっとこのピッチに懐疑的になっている。
ギターそれも生音のアコースティックギターに限った話だ。
ラインはもちろんのこと、マイクも使わぬギターそれ自体の音が一番美しく快適に感じられる音。
それはレギュラーチューニング=440よりちょっとだけピッチの上がった音のように感じる。
それをあえて数値で表せば442ということになる。
こちらの方が低音のこもり感がなく中音も存在感を増して感じられる。その割に高音は耳に障らない。
さらにピッチを上げると高音は耳障りに感じられるのかもしれない。
442程度が低音~高音までバランスよくなり、しかも全体にしまって来るように思うのだ。
むろんレギュラーチューニングの大切さはわかっているつもりだ。
アンサンブルでは音程の基準を明確にしなければ気持ちの悪い音になる。
絶対音階を持つ人にしてみれば442を気持ち悪いと感じることだろう。
知り合いで絶対音階を持つ人もほとんど思いあたらない。(あ、内藤まれかちゃんは絶対音階の持ち主だった)
僕の演奏スタイルは幸いにもひとりで奏でる弾き語り。
そんなこともありライブでは時々442でやることがある。(喫茶店JUNEさんでやる時はほとんどこのピッチ)
がんばって弾かなくてもしまりのいい明るい音が深い余韻と共に聞こえてくる。歌いやすいことこの上ない。
メリハリと余韻に包まれるのを感じながら歌うのは心地よい。
僕と442の出合いは古い。
20年ほど前参加していたオカリナアンサンブル かざぐるま時代にさかのぼる。
メンバーが使うオカリナが一番いい音に響くのは442だった。
息の吐き方で音程の変わるオカリナは演奏者が一番息の安定するところでそろえていく必要があった。
最初はレギュラーチューニングの僕のギターとオカリナ隊のピッチが合わず苦労した。
10年の間に「正しくチューニングされた」ギターにオカリナを合わせてもらうのではなく、安定してオカリナがふけるピッチにギターのピッチを合わせるようになった。
それが結果的に442だった。
僕の中でこの頃からレギュラーチューニング信仰が崩れていった。
そういえばカーターファミリーも1音下がりのチューニングで演奏していたりする。ひなびたいい感じの音が現代人の僕にはノスタルジックに感じられる。
ギター本来の音で鳴ってもらうためにはピッキングの技術等を高めることは当然だ。
それだけではなくギター個体の特性をつかんで、それに合った弦の選択やピッチを探すことも大事なような気がする。
ここに書いたことは好みの問題ではある。
生音弾き語りスタイルだからこそ好みのやり方を試せることは(孤独な反面)ありがたいことだと思う。
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