【音楽雑感】 淡々と歌うことのむずかしさ
淡々と歌うことの難しさ。
一人でただ歌うだけならいくらでも歌える。
でもお客さんを前にして淡々と歌うとなれば話は別だ。
淡々とした中にもたしかな存在感を残せなきゃならない。
理想はその場にあって「空気」のような存在たること。
あたりまえのように存在し、かつその場に欠くべからずといった歌い手であること。
強い個性や自己主張はしないけれど、聞く人に心地のよさがしみこんでいたというのがいい。
それは冬の寒さの中のほのかな暖かみだったり、夏の暑さの中の涼やかな風だったり。
十数年、市場やお好み焼き屋さんなどで歌ってきて感じる理想の姿。
市場もお好み焼き屋さんも喫茶店も通常営業の中で不特定の方々に歌っている。
ライブを聴きに来たわけではない方々と時間と空間を分かち合うためには「空気」のような歌い手であることが一番の近道のような気がする。
感情も歌もギターもすべてぎりぎりまで抑える。
でも抑制された中に圧縮された密度の高いものが隠されている。それが情感としてにじみだしてくる。
それが淡々と歌うということのような気がする。
高校生のころ室蘭市民センターで観た宇野重吉と北林谷栄の芝居がそうだった。すべてにおいて抑制された表現だったがなにか深く残るものがあった。
あの静かな感動は40年以上の時を経て、今よみがえってくる。
そんな歌い手になりたい。
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