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2018.03.10

あの日の自分 3月11日 その1

【あの日のこと その1】

共同印刷退職を2週間後にひかえ、心落ち着かぬ日々を過ごしていた。
残されたわずかな日々で後輩たちに、そして親しくしてきた協力会社に何を残していけるのか。
そんな使命感に駆られ、今できる最大限のことに力を尽くしていた。

3月11日の午後。

突然大きな揺れがおきる。
それはしばらく続き、その後も揺れは断続的に続く。
突然のことに身体がすくみ動けぬ者。とっさにデスクの下に身を隠す者。いち早く外に飛び出す者。

僕の脳裏には中学生の頃体験した十勝沖地震のことがよぎる。

あれは大きな地震だった。
体育の授業中で体育館で腹筋運動をしていた僕たち。普段はなにものにも動じない体育のコン先生のあわてふためいた顔が妙に印象に残っている。
地割れした地面。三角屋根が真ん中から裂けた同級生の家。
そして3階建ての函館大学の校舎の1階が押し潰され2階建(❓)になってしまった。

まずい。外にでなくちゃ。

戦前からある5階建ての古い建家の1階が僕らの職場だった。声をかけ出入り口まで走る。

外に飛び出そうとして踏みとどまる。
建家と屋外通路にはヒビが入り左右逆に揺れている。
建家には全面に直径10センチ以上の鉄のパイプが這わされている。
もし万が一この揺れでパイプが外れ、頭上に落下したらおだぶつだ。

出入口で地面の揺れをじっと見つめながら身構える。
建家が崩れそうになったらすぐにでも飛び出そう。

やがて揺れは落ち着く。
断続的な余震は続いていたがひとごこちついた様子。

社内放送で避難の呼びかけ。
会社そばの播磨坂のグリーンベルトが避難場所。
何百人の従業員たちは押し合うこともなく、粛々と正門からグリーンベルトを目指す。
グリーンベルトには近所の住人たちがすでにたくさん集まっている。

寒い夕暮れだった。
あと1週間もすれば播磨坂は桜が咲き乱れ、桜のトンネルになるはずだ。
しかしまだつぼみの桜は寒さをいっそうきわだたせる。

時間にすればわずか30分ほど。
とてつもなく長く感じられた。

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