「喫茶いづみ」 鶴岡マスターのこと
「イケちゃんよぉ。
歌は語るがごとく。
語りは歌うがごとくだよぉ」
故・鶴岡昭二さんの口癖だった。...
鶴岡さんは今はない「喫茶いづみ」のマスター。歌もギターも語りも達者な人だった。
僕たちは店のはねた深夜、ジャムセッションをくりかえし「芸」をみがいた。あれは音楽というよりも「芸」だった。
いかにしてお客様と接点を作り、波長を重ねていくか。歌もギターも語りもそして仕草や表情までもそのための媒体だった。
「いづみ」で歌うということはコーヒーを飲みながらくつろぐお客様に受け入れられなければならないという大前提があった。無論一見のお客様も多かった。
お店によるお膳立てはなに一つない。すべてを自分で作り出すしかなかった。
まだ30をちょっと越えたばかりの僕には高いハードルだった。それは40過ぎの鶴岡マスターにしても同じだった。
僕たちの深夜のジャムセッションは高いハードルを越えるための稽古だった。
とはいえ天賦の才と場数を踏んでいるマスターの表現力や説得力は半端ではなかった。
僕は彼のステージに圧倒され、自分のステージに打ちのめされる日々だった。
鶴岡マスターに激しく反発し、そして嫉妬した。
鶴岡マスターが病に倒れ、この世を去って10年近くになる。
彼が旅立った年齢に僕もさしかかっている。
ふと思う。
自分の歌は往年のマスターの領域に達しているだろうか。
無論答えなど出ようはずもない。
でも多少なりともわかってきた。
「歌は語るがごとく…」の意味が。
語るがごとく歌いつつ、フレーズとフレーズ(語りと語り)の狭間に「情感」を漂わすこと。それが僕のめざしたい姿。
自然にそういう風に歌えるように、明日はなりたいものだ。
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越えようとしても絶対に超えられぬ壁のような存在だった。
卓越した表現力や説得力は圧倒的で絶対的だった。
それは「個性の違いがそれぞれの魅力」などというものを完全に凌駕していた。
「個性の違い」なんて言葉はあまっちょろい逃げ口上にすら思えた。まさに「天賦の才」っていうやつだ。かなわないと思った。
彼のようなあふれんばかりの天賦の才に少しでも食い下がるには努力しかないと思った。
挑戦と反省と努力。
鶴岡マスターのステージに打ちのめされる僕に出きることはただそれだけだった。
今に至る音楽に対する姿勢と試みはこの頃から始まった。
勢いだけで歌っていた10代~20代の頃から一歩踏み出すことができたのは、鶴岡マスターにノックアウトされたおかげだとしみじみ感じる。
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コメント
越えようとしても絶対に超えられぬ壁のような存在だった。
卓越した表現力や説得力は圧倒的で絶対的だった。
それは「個性の違いがそれぞれの魅力」などというものを完全に凌駕していた。
「個性の違い」なんて言葉はあまっちょろい逃げ口上にすら思えた。まさに「天賦の才」っていうやつだ。かなわないと思った。
彼のようなあふれんばかりの天賦の才に少しでも食い下がるには努力しかないと思った。
挑戦と反省と努力。
鶴岡マスターのステージに打ちのめされる僕に出きることはただそれだけだった。
今に至る音楽に対する姿勢と試みはこの頃から始まった。
勢いだけで歌っていた10代~20代の頃から一歩踏み出すことができたのは、鶴岡マスターにノックアウトされたおかげだとしみじみ感じる。
投稿: Martin古池 | 2018.02.07 20:40