1か月 現役引退後をふりかえる
7月に仕事で定年をむかえ現役を引退した。
定年といっても同じ職場で同じ仕事をあと2年間続けることになる。
いわゆる再雇用、嘱託というやつだ。
だからイメージとしては「現役引退」。
少々寂しい思いがあるのは事実である。
「いよいよそんな年齢になっちまったか」と。
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現役と再雇用の大きな違いは労働時間と賃金。
賃金体系は「時給制」への移行。
労働時間は月間の可能な残業が厳しく制限されること。
(むろんその分「労働負荷」はある程度軽減されることになるが。質はそのままに量を軽減)
きわめて当たり前のことである。
当たり前のことではあるが実生活では結構大きな影響となる。
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「仕事を終えた後の時間をどう使うか。」
これが大きな課題だった。
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今の仕事に転職して6年。
それなりに自分のスタイルを築くことはできたとはいえ、余裕ができたわけではない。
毎日深残業を積み重ねながら切り抜けてきたというのが実態。
つまり無理に無理を重ねてやってきた。
加えて4月に一緒にやっていた大先輩が完全退職となった。
彼の持っていた仕事をまるごと引き継ぐことになった。
今年に入ってからその準備も加わりアップアップな状態が続いていた。
結果として心身ともに多くの負荷をため込み、疲れ切っていた。
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「身体のケア」から始めよう。
現役引退後の第一歩はそこからスタートさせることにした。
首~肩~腰にかけての背面がバリバリに張っており、それが痛みになっている。
これまでは土曜日にしか整形外科へ行けなかった。
当面は終業後、「5時ピタ帰り」で毎日整形外科に直行しリハビリをすることとした。
加えて帰宅後には1時間程度散歩することにした。
今年に入りストレスを「食で解消」しており、かなり体重が増えてしまっていた。
健康診断の結果も惨憺たるものだった。
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「身体のケア」を強く意識するようになり、この1か月の生活が大きく変わった。
終業時間内は以前にもまして労働密度が高くなったが、あえて「5時ピタ帰り」を意識する。そのことで生活にリズムが生まれた。
月曜日~金曜日にかけて、生活のオンとオフがはっきりしたということだろう。
毎日整形外科に通うことで土曜日の通院の必要がなくなった。
土曜日をまる一日を自由に使えるようになった。
早朝からかつてのホームスペース「埼玉県民健康福祉村」に再びいりびたることができるようになった。
朝早の長時間散歩をした後、火照った体をプールでしずめる。
水の中を漂いながら「発声練習」も再開することができた。
その後、木陰でギターとたわむれ帰宅。
午後帰宅して軽く昼寝をし、体を休める。
目覚めた後もまだ時間に余裕があるので好きに使える。
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そんな暮らしをまる1か月続けた。
体調は改善し、体も軽くなった。
その結果心も少しずつ軽くなってきている。
今しばらくこの生活リズムを続けたい。
完全に軌道に乗り、体調がいい感じに戻ったら音楽活動重視にシフトしていくつもりだ。
この5年間、新しいことをする余裕がなかった。
長年の貯金を切り崩しながらライブを続けてきた。
たくさんの友人たちに対してもすっかり不義理をしてしまっている。
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「現役引退」1か月経過。
置き去りにしたり、失ってしまったものを取り戻すために舵を切った。
その助走期間として、納得のいく日々だったように思う。
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