朝市コンサート 13年目のスタートの教訓
気がつくと本日で13年目を迎えた「朝市コンサート」。
あっという間だったような、とてつもなく長い道のりだったような。。。
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昨夜から咳が止まらず、体調は今ひとつだった。
演奏中は咳に悩まされることはなかったが、声が鼻の奥にたまり抜けていかない。
無理に声を出そうとするから声がかたくなりぶつぎれになってしまう。
意識が声に行っているからギターの音もなんとなく耳に入ってこない。
知らずのうちに力が入り、ピッキングが雑な感じになってしまう。
普段なら歌もギターも自分の中から波動のように外に広がって出ていくイメージ。
ところが今朝は自分の中に音がとどまったまま、外に向かっていかない感が強い。
はた目には問題なく聞こえているとは思う。少なくとも演奏は破たんしていないと思う。
でも自分の中では「うまくいかない感」が渦まいている。
それはライブ・音楽会成功の成否は僕の場合「場の空気に同化できたか否か」が大きな要素になっているからだと思う。
ギターや歌全体としての音とそれにのせる自分の「気分」がうまく外に出せていない。
自分の中にとどまっているという感じ。
なんとかしようとつい力み空回りをしてしまう自家撞着。
こんな状態で「場の空気に同化する」など問題外。
つまりそれは敗北を意味する。
おのれをコントロールできなかった自分に対する敗北。
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長めの休憩をとり2部では多少修正できた。
でも全体としては「?」な本日の「朝市コンサート」だった。
.救ってくれたのは友人・松本さんの登場だった。
早めに終了し、撤収作業をしているところに彼はやってきた。
せっかく遠路足を運んでくれたのだ。急きょ2曲追加して歌う。
「万里の河」と「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」をアップテンポで。
気持ちがノッた。
それまでのもやもや感は消え、爽快に歌い飛ばすことができた。
おかげで感じていた「敗北感」から脱出することができた。
「終わりよければ・・・」だ。
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うまくいかなかった理由はなにか?
多分その時の状態を正しく把握できなかったことだろう。
不調なのは明らか。なのに普段通りのアプローチに終始してしまった。
不調に気づいたらその段階で気持ちも演奏のアプローチも切り替えるべきだった。
「その時にできる最大限をやる」
いいかえると「その時できないことはやらない」ということだ。
この切り替えができていれば、選曲もアレンジや演奏のアプローチも変わってきただろう。
たとえ演奏の質は普段には及ばなかったとしても、自分の中では整理され納得できている。
だから音も気分も外に向かって発信できるはずだ。
そうなって初めて「場との同化」につながる。
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松本さんが来てくれてから歌った2曲。
これは外に向かっていた。
ターゲットが不特定多数ではなく、松本さんただひとりに絞られたから。
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市場での演奏、それは不特定多数が常態だ。
ターゲットを絞れない市場での演奏の難しさ。
通常の状態ならなんなく対応できる。
そうじゃない時でもその時々の自分を把握し、切り替えていく柔軟性の大切さ。
13年目を迎え、なお生まれいずるあらたなる課題。
いい教訓を得ることができた。
そんな13回目の一里塚が本日の「朝市コンサート」だった。
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