【記録】 おーるどたいむ de ライブ 2017年春の陣 with ツカサ
これまで何年も続けてきた「おーるどたいむ de ライブ」に初めて平成生まれのゲストプレーヤー登場。
清津の若武者・ツカサ。
ツカサが中学2年の時に清津峡キャンプ場で初めてであった。
「Live in 清津峡」だった。
嬉々としてギターに興じるおっさん、おばさんたちを目にしてギターを始めたツカサ。
以降秋の「Live in 清津峡」や年明け「Againライブ」で競演しながら成長を眺めてきた。
雨後のたけのこのように力をつけてきたツカサと「おーるどたいむ」で共演するのを楽しみにしていた。
透き通った透明な歌声、繊細なギターワーク、さわやかな笑顔。
新鮮で気持ちのいいステージを展開してくれた。
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1部が終了しての休憩時間にツカサと話していて驚くべき事実が判明した。
このお店、ブルーグラスのお店なんですね
僕のおじもブルーグラスのバンドでマンドリン弾いてるんです
彼の口から「ブルーグラス」って言葉を聞いたのは初めてで驚いて聞くとなんと「JELLY FISH」のマンドリン弾き・石坂研介さんだという。
おーるどたいむでも何度も演奏しているベテランマンドリン弾き。
その話をマスターやママさんに話すとびっくり、一同大興奮。
10年つきあってきて今日初めて知った事実。
驚きと興奮を引きずったまま2部に突入。
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僕が歌い始めたのはツカサと同じ中学2年生。
反戦・プロテストフォーク全盛の頃だった。
70年安保闘争やベトナム反戦運動を時代背景に
「歌で世の中が変えられるんじゃないか」
そんな熱病のような空気があった。
やがて70年安保闘争の敗北、ベトナム反戦運動の終息のなかで「社会派フォーク」も下火になっていく。
そんな流れの中で僕は自分の歌うべき歌は何かともがいていた。
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一方で北海道から東京に出てきた僕は3畳一間の学生下宿で1年を過ごしていた。
当時の学生のご多分に漏れず、腹をすかせながらわびしい貧乏生活をしていた。
それがツカサと同じ年頃の僕の毎日だった。
少々屈折した、決して明るいとは言えぬ時代は30歳ごろまで続いた。
そんな時代に別れを告げたきっかけは子供たちの誕生だった。
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暮らしに根差した歌を歌いたい。
社会的な歌もまた暮らしの中から生まれてくるものだろう。
そんな思いで僕は自分なりの羅針盤を作った。
人のなにげない営み、家族の歴史そんなことが大きなテーマになっていった。
この日、孫の奏吾(2歳半)が初めてライブに連れられてやってきた。
ジイチャンになった僕はこれまで「家族」の守備範囲は自分の両親と自分と子供たちだった。
孫ができることでその守備範囲が自分のじいさん、ばあさんから始まり孫にいたるまでの五代に広がった。
家族の歴史が一直線で見通せるようになった。
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平成生まれのツカサをゲストに迎えた今回のライブ。
自分の歌の足跡をたどる試みになった。
45年の歩みを1ステージに詰め込むことはできないが、大きな流れだけでもさらうことができて良かったと思う。
部活・虎の穴で1曲インスト。今回マッスーはお休み。あいちゃんのハープ初登場
エンディングテーマの「さよならが云えない」。名ブルーグラッサー研さんの甥っ子ツカサも参加
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反省点がいくつかある。
演奏の質が今ひとつだったこと。
トークが長くステージの時間が長引いてしまったこと。
「壮大なテーマ」に挑んだだけに、もっと余分なものをそぎ落とすべきだった。
テーマに沿った新曲が多かった。
そのため納得のいくところまで仕上げきれていなかった。
今後の大きな課題として残った。
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次の「おーるどたいむ de ライブは8月」。
7~8年前、一緒にやっていたちさこちゃんをゲストにお迎えする。
何曲かは一緒に歌おうと思っている。
今から楽しみだ。
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