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2016.12.02

「場末のフォークシンガー」

「場末のフォークシンガー」

自分の歌うたいとして描いてきたイメージだった。
若い頃はイメージだけだった。
40代後半「街角ライブ」を始め、「朝市コンサート」や「お好み焼きの三貴ライブ」につながり、「喫茶店JUNEライブ」老人施設などで歌うようになり少しずつ現実的なものになってきた。

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昨年の今頃書いた文章が出てきた。この先「場末のフォークシンガー」としてあるべき姿を感じさせられた1シーン。忘れぬために再掲載することとした。

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今週もなんとか切り抜けた。
寒空に背を丸めてとぼとぼ。
ふらっと足を踏み入れる古ぼけた中華屋。

ラーメンの湯気と煙草の煙。...
あったかい空気と満員のお客のしゃべり声。
濃密。

お客はけっこう年配のおっさんだらけ。
料理人もおっさんなら、接客も白髪パンチパーマのおっさん。
紅一点の皿洗いもオバサン。

そこかしこでオダをあげるおっさんたち。
多分定年過ぎて、第一線を退いた70にちょっと手のかかるおっさんたち。

仕事の仕方談義に唾を飛ばしてる。
でもどこか実態のない論議がちょっと哀しい。

一線を退いても、戦ってきた日々をどこかにまだ引きずっているのかも。
社会や家庭や仲間内の中にあって自分の存在を確かめたいのかも。

あと何年かすると、自分もまた仲間入りするだろうお年頃。
どこか哀しく、どこか親しみを覚えるのは自分もそこに近づいているから?

みんな何十年もこの店にかよいオダをあげてきたんだろうな。

壁には巨人軍の松原選手と駒田選手に寄贈された硝子。年月を感じる。
長い年月かけっぱなしの札が油で茶に薄汚れている。
ラーメン 350円也

餃子とかた焼きそばをつつきながら疲れが少しずつ薄れていくのを感じる。

ふと思う。
オレが一番歌いたいのはこんなおっさんたちになんだよな。

場末の片隅でひっそりと、おっさんたちやオバサンたちに囲まれて。
何とはなしに人生を語りあいながら歌い、時を同じくする。

そんな歌うたいにオレはなりたいんだと思う。

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