ストーリー性のあるライブを意識的に始めてからどれくらいになるだろう。
ライブハウス「ぶどうの木」でレギュラーライブをしていた後半だから、40代前半。
かれこれ20年近く「物語ライブ」というスタイルのライブを続けている。
テーマを決め、そのテーマに沿って物語を組み上げる。物語に即した歌を選び、トークとともに展開する。これが「物語ライブ」のスタイルだ。
「ぶどうの木」時代は1部、2部をそれぞれ別の物語を組んだ。別の物語ではあるけど底辺では大きなテーマのもとに連関している。そんなライブをめざしていた。
問題点はあった。ややもすると頭でっかちで独りよがりに陥ってしまいかねないということだ。
コアなファンにはいいが、一般受けしないということもあった。
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その後ライブの場は街角や市場、お好み焼屋さんなどに変わっていく。「ぶどうの木」でやったような「物語ライブ」はできなくなり、お客さんとおしゃべりしながら展開する「井戸端ライブ」にスタイルを変えた。
スタイルは変わったが毎回テーマを設けて臨む点では変わりがない。
大きなテーマを設けそれに沿った選曲でライブに臨む。それらをもとにして場の空気、お客さんとのやり取りの中でどんどん変えていくスタイルだ。時には大きく脱線することもあるが、最後にはテーマに戻っていくというのが醍醐味になった。
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「物語ライブ」の名残を今でも残しているのは季節ごとにやっている「おーるどたいむ de ライブ」。
テーマを決めゆるい物語を組んで臨んでいる。(今回のテーマは「初恋」だった)
「物語ライブ」と「井戸端ライブ」ブレンドしたタッチのライブになっており、大いに気に入っている。
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毎回テーマを決めたり、(ゆるい)物語を組んだりするようになったきっかけはなんだったのか。
録画した音楽番組でザ・フーの「トミー」を観ていてハッと気がついた。
1968年録音の「トミー」をザ・フーは「ロック・オペラ」と称した。(当時僕はザ・フーの存在すら知らなかった)
その後1973年、僕はロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スパースター」に夢中になっていた。
ロック・オペラのはしりは「トミー」だったのか!
初めてそれを知り、興奮した。
物語がありそれをロック演奏でつないでいくロック・オペラ。
この手法に僕は知らずのうちに大きな影響を受けていたのかもしれない。
19歳の夏。伊達紋別の小さな教会の「馬小屋」で寝起きし、受験勉強(?)をしていた頃だ。
大きな影響を受けたロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」だったが、その手法を稚拙ながらに取り入れ始めた時、40歳をゆうに過ぎていた。
おそらく意識下にはこの手法は眠っていたのかもしれないが、それを試みるには若すぎたのかもしれない。
物語を構築するには人生経験が浅すぎた。音楽表現するには技術が伴わなかった。
なんとかこんとか試すことができるまでに20年以上の年月を費やしたということになる。
そのころ中島みゆきさんが「夜会」をスタートさせていた。その影響もきっかけのひとつだったように思う。
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あらためて「ジーザス・クライスト・スーパースター」をユーチューブで見ながらこれを書いている。
北海道で暮らした最後の1年の(暗かった)思い出が鮮やかによみがえってきた。
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「ゲッセマネの園」
「私はイエスがわからない」
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