« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »

2016.07.31

2016年08月 ライブ・コンサート予定

8月19日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 

時 間   20:00~23:30
場 所   「お好み焼きの三貴」
         東武スカイツリーライン 新越谷(東口)
         武蔵野線 南越谷(南口)
          各徒歩5分
        地 図   

10

.

.

8月20日(土)  さんすまいるコンサート

時 間    10:00
場 所    デイサービスさんすまいる

.

.

8月21日(日)  歌おう! 弾こう! うたごえフォークソング vol.4

時 間    14:00~
場 所    Live cafe おーるどたいむ
         司会&伴奏 Martin古池
会 費    500円

いい演奏を聴くのも音楽の楽しみ
好きな歌を歌うこともまた音楽の楽しみ
歌いたい人も楽器で参加の人も一緒に楽しくやりましょう!

201604

.

.

8月27日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

   ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

.

.

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.24

「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ 7月」 記録

June20167

梅雨も明けんとする昨今の天気。

ちょっと雨混じりながらも時折真夏の日差しが照りつけている。

今回のテーマは「梅雨から夏へ」。雨の歌を特集して歌えるのも今年はこれが最後。

そうふんで雨の歌を中心に夏を展望するという構成にしようと思っていた。

がっ!

本日朝からばっちり真夏日。

構成を逆にした。過行く梅雨と夏到来。

.

今回のお客様の年齢層は広かった。

昭和6年生まれの方を筆頭に80代、70代、60代そして50代の方々。

親子三代でみえたお客さんは3~4歳のお子さん2人に30代のお母さん。そしてそのお父さんは60代かな。

くわえて遠く神奈川から音楽友達のUZUちゃんがふらっと来てくれた。

時折足を運んでくださる松本さんは馴れぬ代車で板橋から。

小さな子供たち以外は昭和初期生まれから昭和末期生まれまんべんなくそろった感じだ。

「昭和の香り漂う喫茶店で、昭和を彷彿とさせる歌の数々」がキャッチフレーズのJUNEライブ。

思いっきり昭和の流行歌を歌った。

「雨の中の二人」、「ほおずき」、「どうぞこのまま」など雨混じりの歌。

「思い出の渚」、「砂に消えた涙」、「恋のバカンス」などGSやポップス。

「夜空を仰いで」「夜空の星」「青い星屑」「海その愛」など加山雄三シリーズ。

そして日本語混じりのカントリー・ソングス。「知りたくないの」、「世界の果てまで」、「テネシー・ワルツ」などなど。

.

さすがに人生の達人が多かっただけある。歌のひとつひとつおしゃべりのひとつひとつに食らいついてくる。一緒に歌う人あり、ハーモニーをつける人あり。さながら歌声喫茶。

あげくの果てにはご自身の思い出話が飛び出して来たり。

いやぁ面白かった。最高面白かった。

「通常営業中のライブ」と言いながら喫茶店JUNEライブはいつも店内が歌とおしゃべりで一体感につつまれる。(偶然足を踏み入れてしまったお客さんもね)

ステージ席とお客さんたち。そしてお客さん相互の関係がいい感じで相乗的に化学変化を起こしていく。そんな感じすらする。

うれしい、そしてありがたいライブだ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.22

「ナマギターとナマ歌へのこだわり」にちょっと迷いが

ここ5~6年ライブのセッティングは完全アコースティック(ナマギターとナマ歌)に強くこだわってきた。

ちゃんと歌を届けるためには素の状態で演奏することが一番いいと感じてきたからだ。

スピーカーを通した音は素の音量を増幅してくれるけど、その分体内から絞りだされた情感のようなものが薄まってしまう感じがしてきたからだ。

お客様との間に薄いベールがかぶされてしまうような気がしてきた。

だからライブの基本は完全アコースティック。

「朝市コンサート」のようなだだっ広いところで歌う状況ではコンデンサーマイクを1本だけ立てギターと歌がうまくミックスされたところを拾うようにしてきた。

ギターの音をラインで拾うのは「お好み焼きの三貴ライブ」のような喧騒の酒席ライブくらいだった。

完全ナマ音ライブをやるために呼吸法や発生法を鍛錬した。また使うギターもその場の環境に合わせて選んできた。

声を張り、ギターをかき鳴らせば少しくらい広いスペースや大人数でも十二分に音は伝わる。でもそれでは歌の情感は失われてしまう。大事なのはピアニシモの声を届かせること、それに見合ったギターの奏法を工夫すること。そのための研究や鍛錬を積み重ねてきた。

ここ数年、かなり納得のいくところまで持ってこれるようになったと思う。

.

そんな「自負」にちょっと迷いが生じてきている。

それは函館帰省のたびにやってきた「特養・旭ヶ丘の家コンサート」の録音を聴いてからだ。

妙な力が入っていて、演奏が雑に感じられたのだ。

コンサート会場はかなり広いスペースで、そこに何十人ものご老人たちが集まる。年が年だけに耳が遠い方も多い。

そんなところで歌うためか知らずのうちに力みが出ているように感じられたのだ。

ふりかえれば1時間ちょっとのコンサートの半ばで何度か声がかすれてしまい、それをごまかす唱法になっていた。

どれだけ歌っても喉をつぶさず歌える自信があっただけにこれはショックだった。

.

その後特に広いところで歌う「朝市コンサート」でもその傾向があることに気がついた。広さと買い物客の喧騒に負けぬよう、知らずのうちに力み出ているのだ。その結果喉が締まっていることに気がついた。

     「自然に歌えてない」

これが迷いの生じた大きな要素だ。

(続く)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.15

いざ、お好み焼きの三貴ライブ

本日これから「お好み焼きの三貴ライブ」。

仕事を終え、帰宅し準備をしている。~
準備と言っても今日のギターを選び、譜面を用意し、珈琲で一服。
それだけのこと。
淡々と過ごす時間が最大の準備。

ふと思い出した。
三貴ライブを始めて12年。
最初の数年は大量の譜面を用意していた。譜面バッグに目一杯。おそらく700~800曲分は用意したと思う。

お客さんからのリクエストにお応えすることをいつも想定していたからだ。
始めたばかりのライブで何が飛び出すのか想像がつかなかった不安感もあった。
なによりも数年続けてきた「街角ライブ」の延長として三貴ライブをとらえていたことが大きかった。

ライブハウスなどでの演奏をやめ、街に飛び出し不特定多数の人に聴いてもらう。そのためにはどんな状況にでも対応できるようにしておく必要が「街角ライブ」にはあった。
「三貴ライブ」や「朝市コンサート」も同じ発想で臨んでいた。

「三貴ライブ」がちょっと厳しかったのは街角や市場と違って逃げ場がないことだった。
演奏する僕にも逃げ場はないし、たまたま居合わせたお客さんもまた逃げ場がない閉ざされた空間だった。
(もちろん今も同じだが)
絶対に失敗は許されないと思っていた。

そのストレスのあまり「三貴ライブ」に出かける30分ほど前から、毎回胃が痛くなり、吐き気がして逃げ出したくなっていた。

   今ならまだ逃げられる

今回用意した譜面はその当時に比べると1割以下だ。
膨大な数の歌の歌詞をすべて覚えたというわけではない。
むしろ年と共に物忘れが激しくなっている。覚えるより忘れる方が多いくらいだ。

たぶん昔に比べ、閉ざされた場と共存するすべを覚えたためかもしれない。
その結果、以前に比べ今時分が歌いたい歌がやれるようになってきた。

12年の間に客層がずいぶん変わったということもある。
初期の頃多かった同年代は姿を消し、今の若者が主流になっている。
彼らの好む歌ははなからできやしない。


   まず、オレの世代の歌を聴いてけれや


そんな気持ちになっている。

なんにしろ自分にとっては大切なレギュラーライブ。
今なりのアプローチで全力投球するしかない。

珈琲をすすりながらそんなことを考えていた。

いざゆかん!
お好み焼きの三貴ライブ。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.13

物語ライブ

ストーリー性のあるライブを意識的に始めてからどれくらいになるだろう。

ライブハウス「ぶどうの木」でレギュラーライブをしていた後半だから、40代前半。

かれこれ20年近く「物語ライブ」というスタイルのライブを続けている。

テーマを決め、そのテーマに沿って物語を組み上げる。物語に即した歌を選び、トークとともに展開する。これが「物語ライブ」のスタイルだ。

「ぶどうの木」時代は1部、2部をそれぞれ別の物語を組んだ。別の物語ではあるけど底辺では大きなテーマのもとに連関している。そんなライブをめざしていた。

問題点はあった。ややもすると頭でっかちで独りよがりに陥ってしまいかねないということだ。

コアなファンにはいいが、一般受けしないということもあった。

.

.

その後ライブの場は街角や市場、お好み焼屋さんなどに変わっていく。「ぶどうの木」でやったような「物語ライブ」はできなくなり、お客さんとおしゃべりしながら展開する「井戸端ライブ」にスタイルを変えた。

スタイルは変わったが毎回テーマを設けて臨む点では変わりがない。

大きなテーマを設けそれに沿った選曲でライブに臨む。それらをもとにして場の空気、お客さんとのやり取りの中でどんどん変えていくスタイルだ。時には大きく脱線することもあるが、最後にはテーマに戻っていくというのが醍醐味になった。

.

「物語ライブ」の名残を今でも残しているのは季節ごとにやっている「おーるどたいむ de ライブ」。

テーマを決めゆるい物語を組んで臨んでいる。(今回のテーマは「初恋」だった)

「物語ライブ」と「井戸端ライブ」ブレンドしたタッチのライブになっており、大いに気に入っている。

.

.

毎回テーマを決めたり、(ゆるい)物語を組んだりするようになったきっかけはなんだったのか。

録画した音楽番組でザ・フーの「トミー」を観ていてハッと気がついた。

1968年録音の「トミー」をザ・フーは「ロック・オペラ」と称した。(当時僕はザ・フーの存在すら知らなかった)

その後1973年、僕はロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スパースター」に夢中になっていた。

ロック・オペラのはしりは「トミー」だったのか!

初めてそれを知り、興奮した。

物語がありそれをロック演奏でつないでいくロック・オペラ。

この手法に僕は知らずのうちに大きな影響を受けていたのかもしれない。

19歳の夏。伊達紋別の小さな教会の「馬小屋」で寝起きし、受験勉強(?)をしていた頃だ。

大きな影響を受けたロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」だったが、その手法を稚拙ながらに取り入れ始めた時、40歳をゆうに過ぎていた。

おそらく意識下にはこの手法は眠っていたのかもしれないが、それを試みるには若すぎたのかもしれない。

物語を構築するには人生経験が浅すぎた。音楽表現するには技術が伴わなかった。

なんとかこんとか試すことができるまでに20年以上の年月を費やしたということになる。

そのころ中島みゆきさんが「夜会」をスタートさせていた。その影響もきっかけのひとつだったように思う。

.

あらためて「ジーザス・クライスト・スーパースター」をユーチューブで見ながらこれを書いている。

北海道で暮らした最後の1年の(暗かった)思い出が鮮やかによみがえってきた。

.

「ゲッセマネの園」

「私はイエスがわからない」

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.09

朝市コンサート

梅雨真っただ中の「朝市コンサート」。

さすがに買い物客の数は多くはなかった。

「雨まじりの歌」が今日のテーマ。

1部は雨の歌でそろえた。

梅雨の季節は長くはない。この季節、毎年歌っている唄とはいえお久しぶりの歌が多い。

手さぐりをしながら歌った感じがちょっと否めない。

先日「おーるどたいむ de ライブ」を終えてからつかのまの充電期間。

この期間はまったりと懐かしい歌を歌うのがいいかもしれない。

手さぐりしながら、それが次のアイデアにつながっていくものだから。

今日のセットはKヤイリのギター。

弦鳴りの繊細さが特徴のギター。どちらかというと閉じられた空間で静かに弾くのに適したギター。

だだっ広く開放的な市場ではあまり使ったことがなかった。

思っていた以上に、市場でもいい感じで鳴ってくれた。

.

.

後学のために何曲か動画をアップすることにした。

カントリー・ソングのメドレー(Silver Wing  ~ I'll Hold You In My Heart ~ テネシーワルツ)

坂道で

窓ガラス

傘がない

色えんぴつの花束

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.08

懐かしい記事

たなばたさまについて過去書いた文章を読み直していて、懐かしい記事にであった。

「唄の驛」という音楽サークルで七夕をテーマにしてやった実験的演奏。

2012年7月7日だった。

遠く離れ、年に1度しか会えぬ二人の切ない恋をテーマにした。

やったのはたったの3曲。

①竹にたんざく七夕祭り~青葉城恋歌
②I'll Hold You In My Heart
③彗星

⇒過去記事

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

竹にたんざく 七夕祭り

今年もまた七夕がやってきた。

北海道には今も残る七夕の風習がある。

子供たちが手に手に提灯やカンテラに火をともして町内を練り歩く。

1軒1軒、戸口に立っては七夕の歌を歌いろうそくをもらい歩く。

たけにたんざく たなばたまつり

おおいにいわおう

ろうそく1本 ちょうだいな

くれなきゃかっちゃくぞ

函館近郊ではこの歌だが、札幌などではまた違った歌詞だそうだ。

夜遊びなどめったにできない子供たちにとって、七夕祭りは大いに楽しみだった。

.

.

仕事を早く終え、いつもの元荒川沿いの散歩コースを歩く。

夕暮れ時から少しずつ夕闇が迫ってくる。

昼間のお天気がウソのように薄い雲に覆われる空。

今年は星が見れないかなぁ

あきらめつつ歩みを進める。

やがて不動橋を越え、人通りも灯りもほとんどない暗い道にさしかかる。

北の空が急に開けてきた。

星が瞬くのが見える。

うれしかった。

北の空に向かい、故郷に向かい思わず歌う。

たけぇにたんざく たなばたまつり

七夕の晩、子供の頃を思い出し、北海道を思い出しながら歩く。

僕にとっては毎年の大切な儀式。

.

⇒過去の「たなばたさま」の記事

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »