« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016.03.27

北海道新幹線

    上野初の夜行列車降りたときから
    青森駅は雪の中

北海道新幹線が先程開通した。
新青森~新函館が新幹線で結ばれた。

...

道民にとっては悲願だったかもしれない。
函館を故郷に持つ自分にとっても、帰郷の選択肢が増えたことになる。

北海道と内地をトンネルを介して繋ぐこと。
そこに新幹線を走らせる。
この思いには長い歴史がある。

発端は昭和29年の台風。
青函連絡船・洞爺丸が沈没し、多くの方が亡くなった事故だ。
(この台風で我が家の屋根が飛ばされた。生まれたばかりの僕は台風の目で一時の青空を見ながら笑っていたと聞く。。。)

昭和39年、青函トンネルを掘り始めた。
長い年月を費やした苦難の工事の末、トンネルが開通したのは昭和63年3月。

北海道が線路で内地と繋がった翌年昭和は終わった。
それからおよそ30年、やっと新幹線が通った。

ちょっとした感慨にひたりっている。
でも心の中に流れるメロディはなぜか「津軽海峡冬景色」

時間はあったが金のない若い日。
北海道と東京を僕は青函連絡船と鈍行(せいぜい急行)を乗り継いで行き来した。
20時間以上も汽車と船に揺られていた。
乗り継ぎ駅のホームで食べる駅そば、偶然乗り合わせた客と酌み交わす酒。
銅鑼の音。桟橋から静かに離れる船。
色とりどり揺れるテープの波。
やがてテープは切れる。なんとも言えぬもの悲しさ。

こんな風景が40年たった今も消えずにこびりついている。
今思うと貴重で有り難い体験だった。

昭和は遠くなりにけり。

明日函館に帰る。
飛行機でね。
長男夫婦と孫を連れて。

嗚呼…
昭和は遠くなりにけり

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.23

おーるどたいむde ライブ 2016 春の陣 with ch@boz(ちゃぼうず)

季節ごとの「おーるどたいむ de ライブ with my friends」

毎回ゲストプレーヤーをお招きし、2人(2組)でじっくりとやっている。

.

今回のゲストはch@boz(ちゃぼうず)さん。

ちゃぼさんとのおつきあいはもう7~8年になるだろうか。

毎年「八ヶ岳・森の音楽会」や「Live in 清津峡」などでご一緒する音楽友達でありキャンプ仲間。

童謡・唱歌や昭和歌謡曲詳しく、まるで生き字引のような方だ。

強い個性の持ち主ながら、それを感じさせぬ控えめなちゃぼさんの歌が僕は好きだ。

いつかかならず出演してほしいと思ってきた。

今回その願いがやっとかなった。

Photo

期待にたがわぬゆったりとしたステージ。

静かだが深い歌声とやわらかいガットギターの響きに身をゆだねる。

そこにいるだけでリラックス。

淡々と流れる、やさしい時間だった。

.

.

休憩をはさんで2部はMartin古池登場。

今回の大きなテーマは「桜・旅立ち・別れと出会い」。

これまでの60年チョイの来し方のあれこれをからめる予定だった。

「だった」というのは、ノッケから予定が狂ってしまったからだ。

お客様から2部スタート直前に熱烈(強引な?)なリクエスト。

カントリーを何曲かやってよ
悪いけど、用事があるんで途中で帰るけど
いる間にやってよ

頼まれればイヤとは言えないたちで…

メドレーにして5曲ばかり。

20160319_de

道草・寄り道は僕のライブでは普通のことだけど、ノッケからってのはそうあるもんじゃない。

カントリー1色にそまった空気をテーマ色にぬりかえるのはちょっとゆるくない。

急きょ曲順を変えてちょっとカントリー・フォーク調の「青春の歌」を橋渡しにした。

若者が卒業し、旅立っていく様子を歌った「青春の歌」から「出発の歌」へとつなげる。

この歌は高校の卒業式の後に体育館でやった「おさらばコンサート」、
5年前の今頃、前職を辞す時にやった「キックオフライブ」など節目節目で昔から歌ってきた。

ここから半ば強引に津軽海峡を渡り、鈍行と急行を載り継ぎ、揺れる心で東京をめざす若者の思いを「浪漫鉄道」に託した。

こんなあんばいでいくつかの切り口で「旅立ち・別れと出会い」を歌う。

20160319_de_2_2

途中、ジャム友達のマッスーと愛ちゃん登場。

3曲を共演した。

わらぶきの屋根

レッド・ウィング

陽のあたる道

フィドルが入ると実に華やかになる。

.

今回どうしても歌いたい歌があった。

僕の星から

イトコのエンタの一周忌に30年前にエンタの書いたこの歌をやりたかった。

そして音楽を通して親しくさせていただいている専太郎さんの「

山形県長井市を根城に40年歌い続けているフォークグループ「影法師」の「花は咲けども

20160319_de_3

ラストソングはお約束の「さよならが云えない

いつものメンバーに加え今回は愛ちゃんのフィドルも参加。

エンディングのマスターとのツインフィドルは気持ちいい。

.

かくして今回もたくさんの人に支えられ、無事にライブを終えることができた。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.14

「欧風屋キックオフ・ライブ」から5年 今回の「おーるどたいむde ライブ」に向けて

Photo

「キックオフライブ:今日までそして明日から」at 欧風屋の記録
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/martin-at-bbcb.html

「おーるどたいむ de ライブ 2016 春の陣」を準備をしている。

最初はいつも通りに定例のライブという感覚でいた。

準備を進めるうちに5年前の3月をふりかえるようになった。

それは「震災」から5年ということが大きく影響しているように思う。

.

5年前の3月。

僕は長年勤めた共同印刷を早期退職することにした。

その辺の事情は今となってはどうでもいいことだが、自分としては一大決心だった。

37年の印刷マンとしての年月への感謝として、そしてこれから先の生き方への決意表明としてライブをやることにした。

「キックオフライブ・今日までそして明日から」と題した。

そんな折、退職の日を前にして突如大震災に見舞われた。

多くのことを考えざるをえなかった。

それは自分の先行きのことであり、この国のことであり。

考えて結論の出ることではなかった。

それは十分承知していた。

ただ前を向いて一歩ずつ大切に生きるのみだった。

.

.

5年が過ぎた。

この5年をどう生きてきたのか。

それをふりかえり結論づけるにはまだ早い。

前を向いて一歩ずつ歩みを進めることができているとは思う。

(時々はふりかえり、立ち止まることもある。でもそれもまた大切なことだろう)

.

今回の「おーるどたいむ de ライブ」のゲストプレーヤーはch@boz(ちゃぼうず)さん。

彼も5年前のキックオフライブに参加してくれた。舞台の袖で聴いていてくれた。

形の上ではいつもと変わらぬ定例ライブ。

でも僕自身にとっては特別な意味を持ちそうな気がする。

De_2016

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.10

忘れぬために。3年前の文章。

2013年暮れから翌年春まで体調不良であえいでいた。

肝臓に鉄分がたまり標準指数80であるべきものが2600に膨れ上がってしまったんだ。

それにともない他の数値も惨憺たるものだった。

顔は土色になりむくんでしまった。

疲れやすく、何をやっても長続きしない。

ようやっと改善しはじめた3月。 少しずつトレーニングを再開。

プールを漂いながら発声練習なんてことを再開した。

これがよかった。 水に漂うことで知らずのうちに体調は戻り、声も出るようになっていった。

最近はプールよりも散歩がメインになっているけど、時々は水に帰ることも必要かも。

おかげさまで肝臓の数値は先日の検査では正常に近かった。

そんな頃書いた文章が見つかった。

忘れぬために残しておく。

**********************************************************************

プールの中を長い時間漂った。

年末来の体調不良で散歩にも出ることができないでいた。
およそ3か月のブランクで体力、筋力が衰えていた。
歌や演奏に影響が出始めていた。...
長時間ギターを弾くと肩が張ってしまうわ、歌っていてもしまりがないわ。
身体をうまくコントロールできてない結果なんだろう。

こんな時は水の中を漂うに限る。
身体中の力を抜いて水の動きに身をゆだねる。
水に身をまかすことに体がなじんで来たら、少しずつ能動的に動き出す。
何も考えずにぼんやり歩くうちに、少しずつ調子が上がってくる。

そこで発声練習をくりかえしながら水中を歩く。
まわりの目が気にならないわけではないが背に腹は代えられない。
明日のコンサートは少しでもいい状態で歌いたい。

大きな声を出す必要はない。呼吸を整えることが目的。
鼻からすっと息を吸い、瞬間的に口を大きく開き音にならない音で「あーっ」とやる。
ロングトーンは尻切れトンボになる前にすっと口を閉じ、その瞬間鼻から息を吸い込む。この繰り返しを延々と続ける。
イメージは身体を空の器にみたて、その空間を音がまわっていく感じ。
腹からずーっと押し上げられていく、のどをストレートに通り過ぎ、後頭部から抜けていくことを意識する。

1時間も続けるうちにイメージに近い感じで声がまわり始めた。
そこで単純な低音のロングトーンに変化をつける。
プールサイドに流れるBGMのルート音→3度上→5度上(あるいは下)を1小節ごとに変えていく。

長い時間水の中を漂いながら、ある程度は体調を整え、呼吸を整えることができた。
あとは本番で声をうまくのせられるか。
まだわからないけど、少なくとも土台を整えることができただけで今日はヨシとしよう。

明日はお寺の本堂で歌う。
これまでもお寺や教会で何度か歌ったことがある。
高い天井は最高の音響設備。まるでスピーカーボックスの中で歌うようなもんだ。
そういうところで歌えることはそう多くはない。
できるだけいい状態で歌い、本堂の空気と自然に調和できればいいな。

20133

.

お寺の本堂で歌った時の文章が出てきたので、追加掲載します。

.

.

「ひとりの手」

先日のRemenber Concertのエンディングに歌った。
40年ぶりのことだ。
お客さんから自然にわきおこる手拍子にのせられる。...
やっぱりいい歌だったんだなぁと感じながら歌い進める。

ピート•シーガーの歌に高石友也が日本語の歌詞をのせた。
本家アメリカでは労働組合運動の中で歌われたという。
日本では70年安保闘争やベ平連などの社会運動とからみあいながら、フォークソングは反戦歌やプロテストソングとして連帯の歌として歌われた。
僕もまたその影響を受け、フォーク集会やフォークフーテナニーで歌い始めた。
僕がまだ10代の頃、45年も前の話だ。

やがて自分が世間知らずのアンチャンにすぎないことを世間に思い知らされ、安易に連帯とは言えなくなる。
そして「ひとりの手」を封印した。

今回その封印を40年ぶりに破った。

「闘いの歌」とはまた違った意味合いを感じ始めていたんだ。

震災に翻弄される人間の弱さ。
(それは天災も人災もだ)
ひとりの人間にできることには限りがあり…

一人じゃ見られない
遠くは見られない
      でもみんなの力でなら
      きっとできる  その日が来る

この短く単純な四行詩に込められた願いを感じずにはいられない。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.05

快感! 反復稽古 ワザは体に叩き込め? 

頭を空っぽにして1音1音を律儀に弾く。
1フレーズをえんえんと弾き続ける。
20分も30分も1小節だけを弾き続ける。

このところ夜な夜なこんな稽古にあけくれている。...
19日の「おーるどたいむ de ライブ」で1曲インストでソロを弾くことになったためだ。

曲は「Red Wing」。
シンプルな曲だが、それだけに粗がすぐわかる。
イメージしているのはドク・ワトソン。
1音1音すべてピッキングしながらの早弾きは、カントリー、ブルーグラスピッカーのお手本とされてきた。

ドクのピッキングをお手本に弾くと、自分の奏法がいかにごまかしかということが分かる。

僕はソロ弾きの時、プリングオフを多用する。
歌い手の伴奏としてはそれで充分だし、効果的と感じているからだ。
でも同時に右手の弱さに目をつぶることにもつながっている。

例えばドクがGランを弾くときすべての音をピッキングする。
僕は最初と最後の音だけピッキングし、あとはハンマリングとプリングオフだけで済ますことが多い。

せっかくソロを弾くんだから1からやり直そうと思っている。
原点のドク・ワトソン帰りというわけだ。

そんなわけで出勤前のひとときと、帰宅後の1時間、ワンフレーズオンリーにあけくれている。
(カミさんには嫌な顔されてるが)

それにしてもこの稽古、はまれば快感この上なし。
なめらかになるにつれ、恍惚感すら生まれてくる。
ピッカーズ・ハイだね。

続きを読む "快感! 反復稽古 ワザは体に叩き込め? "

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.04

「ひまわりの小径」

1972年。
高校3年生だった。

サッカーや音楽、演劇にうつつをぬかしながら、目の前に受験がちらつく落ち着かぬ日々。
頭の中を不安が掠めながら、そんな自分を打ち消したかった。...
「何のための学問ぞ!受験勉強は勉強にあらず」などとオダをあげていた。

チェリッシュの「ひまわりの小径」が流行ったのはそんなころだった。

   恋は風船みたい だからはなさないでね
   風に吹かれ 飛んでゆくわ
   たちどまる二人には かわす言葉もなくて
   恋はいつも 消えてゆくの

このフレーズがやけにしみたのを覚えている。

今思うと恋に破れ、満たされぬ思いをもてあましていたのかもしれない。
それを認めたくない自分がいて、「受験勉強は勉強にあらず」などと強がっていただけなのかもしれない。

ひさしぶりに聴いた「ひまわりの小径」。
18歳の自分を生々しく思い出した。

最近多いんだよな。
昔のヒット曲を聴きながら忘れていたことを思い出すことが。

「ひまわりの小径」の音源→https://www.youtube.com/watch?v=GR3nvR8xmxI

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.03.01

2016年03月のライブ・コンサート予定

3月12日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

   ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

Photo

.

.

3月18日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 

時 間   21:00~23:30
場 所   「お好み焼きの三貴」
         東武伊勢崎線 新越谷(東口)
         武蔵野線 南越谷(南口)
          各徒歩5分
        地 図   

10

.

.

3月19日(土)  歌おーるどたいむ de ライブ with my friends 2016 春の陣

時 間    15:00ごろ~18:00ごろ
場 所    Live cafe おーるどたいむ
         東武スカイツリーライン 北越谷駅徒歩10分ちょい
         越谷郵便局 本局まんまえ
出 演    ca@boz(ちゃぼうず) : Martin古池(と仲間たち)
木戸銭   ¥1000 

De_2016

(チラシでは日曜日になっていますが、土曜日の間違いでした!)

.

.

3月20日(日)  歌おう! 弾こう! うたごえフォークソング vol.2 

時 間    14:00~
場 所    Live cafe おーるどたいむ
         司会&伴奏 Martin古池

おーるどたいむ、新企画の第1回目です。
いい演奏を聴くのも音楽の楽しみ
好きな歌を歌うこともまた音楽の楽しみ
歌いたい人も楽器で参加の人も一緒に楽しくやりましょう!

201602144

201602141

.

.

3月26日(土)  朝市コンサート

時 間   8:30~10:30
場 所   越谷市場
         地 図   

★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

Photo_3

 

.

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「おーるどたいむ」でセッション稽古

20160227

土日のつど「おーるどたいむ」にふらりと集まりセッションに興じることが習慣になっている。

セッションしながら曲を固め、ハーモニーを合わせ、演奏をくりかえす。

まだ数少ないレパートリー。

それでもくりかえしくりかえし、延々と弾き続けるうちになんとなく形になっていく。

学生時代の練習さながらに1フレーズを何十回となく弾いて精度を上げていく。

こんな時間が楽しく、ありがたい。

.

長年ソロでやってきた自分にとって、得難い貴重な時間だ。

マッスーのマンドリンやギター。

愛ちゃんのフィドル。

僕はギターと歌。

.

こうやって積み重ねていくうちにものになった曲をライブで演奏する。

セッション稽古の延長上にライブあり。

3月19日(土)に予定している「おーるどたいむ de ライブ」。

今回は3人で3~4曲やる予定でいる。

僕のソロステージの中に組み込む。

今のところものになりそうで、演奏予定の歌は3曲。

「わらぶきの屋根」
この歌では久しぶりにオートハープを弾くことになった。

「Red Wing」
フィドル、マンドリン、ギターで奏でるインスト曲。
ギターソロを入れるため目下練習中。

「陽のあたる道」
最初から最後までハーモニーを入れて押し通す。
中低音の僕のメインボーカルにマッスーの高温がブルーグラス!
決まれば快感。

.

セッションのいいところは自分の殻や限界に挑戦できることだと思う。

ひとりではどうしてもできないことを3人ならできる。

できるとなると自然にハードルも上がってくる。

うまく演るためにはピッキングをはじめ様々な部分で細かな見直しをすることになる。

演奏技術もおのずと上がってくる(と思う)

そんなことを期待しながら今週末のセッション稽古を心待ちにしている。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

夕陽が沈む 友が逝く

 

201603012016022957

とっても疲れ、気力失せ、すべて投げ棄て 、本日とっとと早帰り。

たまにはいいだろ、明日があるさ。

道すがら、素敵な夕陽とご対面。

得した気分ではあるけれど、 されど心はしめりがち。

あちらの世界に旅出った、かつての相棒M君。

KP印刷時代、発注担当のM君と技術担当だった自分。

やっかいな仕事が入ると、立場の違いを乗り越えて共同戦線よく張った。

あの手この手の丁々発止。

楽しかったなぁ。

繁忙期には会社に泊まり込み 深夜のラーメン屋巡りの毎日だった。

繁忙期を終えるころ体重5キロは増えてたなぁ。

若かりし日、スリムでイケメン、女泣かせのM君がでっぷり肥えたのは繁忙期ラーメン旅のせいに違いない。 (夜泣きそばならぬ、夜な夜なそばだった)

そのMがげっそり痩せ衰えたという。

戦線離脱し、入院し、一気に下り坂を転げ落ち、あっというまに旅立った。

2月29日未明。 享年57歳。

2月29日とはアイツらしい。

まったく人を食った日を選んだものよ。

オマエの命日は4年に1度ってことかい。

かつての相棒に合掌。 沈む夕陽に合掌。 アバヨ。

続きを読む "夕陽が沈む 友が逝く"

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »