小松菜雑煮 2016年始まりに思う
今年も最初の雑煮はじいさんの代から伝わる小松菜雑煮で 始まりました。
明治の終わりに愛知県知多半島からトミばあちゃんと二人 、北海道に渡った義一じいちゃん。
水飲み百姓の次男に生まれ、食い詰め、新天地を北海道に 求めての旅だったとか。
呉服商として身をお越し、後に廉価堂(レンカ堂)という ご祝儀屋さんを作ったのはちょうど100年前のことでし た。...
商人は質素倹約を良しとするとの考えから始まったのが小 松菜だけの雑煮だったと聞きます。
質素倹約の暮らしは美徳ではあるけれど、反面栄養が偏り がち。戦後の食糧事情もあいまって、義一じいさんの子供 たちは何人も肺病でこの世を去っています。
僕の父・信夫は「質素倹約」に反旗をひるがえし家を出ま す。
食生活が貧しいから生きられる命も生きられないと考えた といいます。
父の口癖は「どんなに貧乏しても食い物だけはちゃんと食 わせる。エンゲル係数の高さは俺の誇りだ」でした。
そんな父も小松菜雑煮だけは毎年欠かさず食べていました 。
「餅本来の味をかみしめるには余分なものはいらない」
「雑煮に限らず人生の本質は単純なものだ。余分なものを そぎ落とし最も単純なものを見つめることが大切」
父が模索した生き方は小松菜雑煮に象徴されていたのかも しれません。
母・郁子は古池の家に伝わる小松菜雑煮にどうしてもなじ めなかったといいます。カシワ(鶏肉)を中心にした京風 の雑煮で育ってきたからです。
母は自分の口にも合うように昆布と鰹節で出汁をしっかり と取るようになりました。(当時古池の本家は出汁らしい 出汁は取っていなかったそうです)
かくして我が家の雑煮は父の小松菜雑煮と母の京風の出汁 が合わさって出来上がったものです。
僕が作る小松菜雑煮はそれを受け継いでいます。
毎年かたくなに作り続けるのは子供たちにもこの習慣を何 らかの形で引き継いでほしいという思いからです。
ありがたいことに長男も次男も何の抵抗もなくあたりまえ のものとしてこの雑煮を食べてくれます。
これまで味のバトンは渡せたと思います。
でも本当に伝えたいことはその味に隠された歴史と思いで す。
新天地を求めて「ゼロからの旅」に挑んだ祖父の心意気。
余分なものをそぎ落とし、ことの本質を見定めようと試行錯 誤を続けた父の生き方。
明治の終わりに愛知県知多半島からトミばあちゃんと二人
水飲み百姓の次男に生まれ、食い詰め、新天地を北海道に
呉服商として身をお越し、後に廉価堂(レンカ堂)という
商人は質素倹約を良しとするとの考えから始まったのが小
質素倹約の暮らしは美徳ではあるけれど、反面栄養が偏り
僕の父・信夫は「質素倹約」に反旗をひるがえし家を出ま
食生活が貧しいから生きられる命も生きられないと考えた
父の口癖は「どんなに貧乏しても食い物だけはちゃんと食
そんな父も小松菜雑煮だけは毎年欠かさず食べていました
「餅本来の味をかみしめるには余分なものはいらない」
「雑煮に限らず人生の本質は単純なものだ。余分なものを
父が模索した生き方は小松菜雑煮に象徴されていたのかも
母・郁子は古池の家に伝わる小松菜雑煮にどうしてもなじ
母は自分の口にも合うように昆布と鰹節で出汁をしっかり
かくして我が家の雑煮は父の小松菜雑煮と母の京風の出汁
僕が作る小松菜雑煮はそれを受け継いでいます。
毎年かたくなに作り続けるのは子供たちにもこの習慣を何
ありがたいことに長男も次男も何の抵抗もなくあたりまえ
これまで味のバトンは渡せたと思います。
でも本当に伝えたいことはその味に隠された歴史と思いで
新天地を求めて「ゼロからの旅」に挑んだ祖父の心意気。
余分なものをそぎ落とし、ことの本質を見定めようと試行錯
雑煮の味とともにそんな思いも一緒に伝えていきたい。
でもそれには自分自身がそういう生き方をちゃんと受け継
2016年、新春。
そんな生き方をあらためて志すことが、今年の僕の抱負な
残念なことがひとつ。
小松菜雑煮については毎年FBでも触れてきました。
同じように小松菜雑煮で育ったイトコのエンタは必ずコメ
それが今年からはもう無くなってしまう。
エンタもまた「ゼロからの旅路」を歩み、余分なものをそ
エンタが亡くなって間もなく1年。
年の初めだからこそ、彼に思いをはせることとします。
| 固定リンク | 0
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 松本零士 逝く(2023.02.21)
- 【絵本の歌シリーズ】 「そつえんセブン」(2023.02.10)
- 【おひなさまのいえ】(2023.01.30)
- シャケの飯寿司(いずし)(2023.01.29)
- 赤色エレジー(2023.01.21)
コメント