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2015.06.28

おーるどたいむ de ライブ with my friends 2015初夏

今回のゲストプレーヤーは「FAR AWAY EYES」

ゆんぴょう秋山君、KP木下君のおふたり。

2015martin

ゆんぴょうは20年来の音楽友達で昔一緒になんちゃってブルースバンドをやっていました。炎のようなギターソロを聴かせてくれました。(僕にはとてもマネできないソロだった!)

木下君は以前僕が勤めていた共同印刷の営業マン。彼の演奏を聴くのは初めてですが浅からぬご縁。

およそ一回り下の二人は普段はディストーションをバリバリ効かせた演奏をしているそうです。

今回はアコースティック音楽のお店・おーるどたいむでのステージとあって、ディストーションなしのクリーンな演奏を準備してきました。(おーるどたいむでエレキを使ったステージは彼らが初めてだそうです)

ローリング・ストーンズのカバーを中心にゆったりした演奏を聴かせてくれました。

アンコールではディストーションバリバリのストーンズナンバーを聴かせてくれましたが、どっちもいい。

2015farawayeyes

第2部はいつものようにMartin古池のステージ。

今回のテーマは「旅の途中」。

先日母の住むふるさと函館に帰省しました。

背の高い雑草生い茂る生家の跡地にたたずみ、ギターを取り出し爪弾いていました。

Photo
(数年前、住む人もいない生家を取り壊すことになり別れを告げに行った時のカット)

自分の音楽のスタート地点はここだった
さまざまに夢を描きながら内地に飛び出したっけ
いろんなことがあったなぁ
いいこともたくさんあったけど挫折や傷ついたこともいっぱいあったなぁ
なんだかんだと還暦の峠を越えここまで来てしまった
でもまだまだやりたいことがいっぱいある
いまだ旅は半ば

そんな感慨にひたりながら、今回のテーマを決めたんです。

2015

旅の途中
出発の歌
ふるさと
My Sweet Home Town
おじいさんの古時計
マイ・ボーイ

2015_2
(ここから数曲は増尾さんにバックアップをしていただきました)

母のふるさと
わらぶきの屋根
丘の上の校舎
十字架に帰ろう

僕の星から
サンフランシスコ・ベイ・ブルース
あ・り・が・と・う・の歌

2015_3

エンディングはお約束の「さよならが云えない」
椋野マスターのフィドルも入ります。

2015_4

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(今回もまた)大いに歌い、大いにしゃべりのステージとなりました。

写真は例によって友人・みやこちゃんに写していただきました。
ありがとう!

次回は10月末頃に予定しています。

ゲストプレーヤーは「アロマ」のおふたり。

ぺぐさん御夫妻によるおしどりユニット。

Photo_2

今から楽しみです。

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2015.06.21

デイサービス「さんすまいるコンサート」

10人程度のこじんまりとしたコンサート。
それでも毎回楽しみに待ってくれているじいちゃん、ばあちゃんたち。
2年もやってるうちに、すっかりアットホームなコンサートに変貌した。

最初の頃はどちらかというと一方通行だった。...
歌やおしゃべりを発信しては反応を探り、少しずつ起動修正をしながら組み立てていく。
そんなコンサートだった。
演奏するこちらも、聴く側もお互い手探り。

そのうち僕の歌に合わせて一緒に口ずさんでくれるようになった。
やがて歌詞を先導しながら一緒に歌うという形に変わってきた。
スタッフの岩田さんが歌本も作ってくれた。
新しい歌を歌うたびに増えていくページ。

今年に入り次回宿題のリクエストが増えてきた。
知ってはいても歌ったことのない歌を2ヶ月かけて仕上げていく。
宿題を出してくれた方はもちろん、みんなが嬉しそうに聴いてくれる。

  「あんたが出した宿題だよ」

なんて会話をしながらコンサートは進んでく。

一緒に歌うことで、時間と空間を濃密に共有できる。
ステージ席を円のように取り巻く「客席」。
今では完全に相互通行。
歌い手(僕)⇔ 客 ⇔ お客さん同士がうまいあんばいで「和」になっていく。

60歳の僕が子供時代、80歳の彼らは子育て時代。
同じ歌をそれぞれの立場で聞き、口ずさんでいた。
そんな1曲、1曲がそれぞれの心の中に思い出を蘇らせる。
それぞれにポツリポツリと口に出す。
ににこにこ相槌を打ったり、話が膨らんでいったり。
親の世代と子の世代が歌を通して結ばれていくという感じ。

たまらないひと時だ。
たまらなくいい感じの時間と空間。
あっという間の1時間。

今回特に感じたことのひとつ。
歌の意味、内容は何十年という長い年月の中ではすっかりかすんでしまうということ。それは悪いこっちゃない、全然ね。

「悲しい酒」のセリフをあるばあちゃんが喜々として語る。

   ああ、未練なのねぇ・・・

にこにこしながら語るからちっとも未練じゃない。
切ない、切ない女心を歌った「悲しい酒」。
長ぁい時間の中で歌の持つ切なさ、悲しさなんてとっくに飛び越えちゃって昇華されている。
80年を生き抜いてきたじいちゃん、ばあちゃんたちのたくましさにはぶっ飛ばされてしまう。(特にばあちゃんたち)

僕は歌い手としてひとつの歌の世界を演じようと努めてきた。
そのために歌の解釈やら背景やらに思いを馳せてはイメージをいっぱい膨らませる。

ばあちゃんたちはそんなものをいとも簡単に飛び越え、笑い飛ばしてしまう。

車椅子だったり、杖に支えられたりしながよたよた帰っていくじいちゃん、ばあちゃんたち。
声をかけてくれる。

   まぁちんさん
   次も楽しみにしてるからね
   今度の宿題は「奥飛騨慕情」だからね

ありがたいよねぇ。
うれしいよねぇ。

はいはい分かりました
ハードルのちと高い宿題だけど、
ちゃんと勉強して歌いこまなきゃね

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2015.06.04

「旭丘の家コンサート 2015 初夏」 

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特別養護老人ホーム(特養)のロビーで3回目のコンサート。

去年までの10年間は同じ老人ホーム「旭が丘の家」でも自立したご老人たちが暮らす「レジダント」で歌ってきた。

母の介護度がいよいよ高くなりレジダントから特養に移った昨年夏。

「旭が丘の家コンサート」の場所も特養のロビーに移動した。

場所が変わっただけではない。

人も変わった。

レジダントでは身体がしっかりしたご老人たちで、ご自分の意志でコンサートに参加してくださった。

特養の入居者の大半は車椅子暮らし。

自分の意志だけではいかんせん暮らしが成り立たない。

介護が必要となる。

くわえて認知症の方も多い。

同じ老人ホームでの演奏でも、やる側にとっては大きな環境変化だった。

初めて特養で演った時は戸惑いが大きかった。

たくさんの方が来てくださるが無表情の方も多い。

それは病気がなせるわざ。

楽しんでくれて、大喜びしてくださる方のそのすぐ隣に表情のない方がすわってる。

演じる側としてはどういう顔をして歌い、どんなトーンで語ればよいものか迷う。

むろん演奏が始まればいつも通りのことをいつも通りのようにやるだけ。

つまり聴いてくださる方々の反応に合わせて「変幻自在」に進めていく。オーディエンスの反応を読みながら進めていくのが僕のライブの生命線。

過去2回はいい反応をたくさんもらい、「大盛況」のいいステージにさせてもらった。

それでも迷いは残る。

反応のない人、表情の乏しい人の目が記憶に突きささる。

最後まで「読めない」人がいる。

このことは一種の敗北感に似た気分を残す。

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気がついたことがある。

表情がないことイコール拒絶ではかならずしもない。また無関心でもないということだ。

演奏にたいしてなにか感じるところはあっても、それを表すことができない。そんなことがどうやらありそうだ。

それは失われた体力や病気のためとも云えそうだ。

3回目の今回、それを確かめたいと思って臨んだ。

いつも以上にアンテナをはりめぐらした。ほんのわずかな反応も見逃すまいと思った。

無表情な方々の表情の裏にあるものを感じようと思った。

ロビーから20メートルほど離れたところで遠巻きにしながら座っている人たちの反応を見逃すまいと思った。
(10人ばかりのこの人たちは体がしっかりしていて、介護度が比較的低い人たちのようだ)

テーマは「函館につながりうる古き良き時代の歌」。

演目も歌いなれたものばかりにし、港町・故郷を感じさせるものを選んだ。

ご老人たちにとっては青春時代の歌ばかり。

「銀座カンカン娘」~「リンゴの木の下で」をオープニングして様子をうかがう。

悪くはない。

銀座をスタート。りんごの青森を経由して津軽海峡へ。終着は函館という設定。(こじつけ!)

「津軽海峡冬景色」(「はつかり5号」車内放送のナレーションバージョン)から「函館の女」。

この辺りから座が一気に暖まっていく。(「函館の女」で早くもシングアウト状態)

「港の見える丘」~「舟唄」~「涙の連絡船」とつなぐ。

さらに函館出身の北島三郎さんの「与作」。三橋美智也さんの「夕焼けとんび」。

歌詞をさりげなく先導するとほとんどの方が一緒に歌いだす。

「表情なき人たち」の表情は相変わらず動きがない。

でも、体が微妙に揺れている。

遠巻きにしていた人たちはいつのまにか体の向きがステージに向かって移動している。

ラストソング「見上げてごらん夜の星を」を静かに歌う。

静かな合唱になっていく。

アンコール1曲目は「上を向いて歩こう」。

じいちゃん、ばあちゃんのシングアウト。

2曲目は「テネシーワルツ」(江利ちえみバージョン)は一転してじっくり耳を傾けてくれる。

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コンサートを終え、みなさんそれぞれの部屋に戻っていく。

「夕焼けとんび」聴いてて、故郷の青森を思い出した

と津軽弁丸出しのおばあさん。

(戦争から)引き揚げてきた時、
初めて聴き覚えた歌は「テネシーワルツ」
なつかしくて、切なくて涙でてきたヮ

と別のおばあさん。

オレ、函館野外劇の黒子やってるんです
歌聴いてて、なんだか知らないけど泣けてきて
なんだか知らないけど力わいてきました
今年もやります「野外劇」!

おばあちゃんの付添で来ていた若者が目を真っ赤にしてそう言ってくれる。

青春時代を思い出す

なつかしく、大切な思い出をよみがえらせてもらった

何人もの人が車椅子でやってきて、そんな感想を述べてくださる。

ありがたく、うれしいことだ。

始まりは表情をあらわにしなかった方々も徐々に(微妙にだが)目がゆるんでいた。

でも最後まで無表情だった方がお二人いた。最後まで反応を読むことができなかった。

かたくなに歌を拒んでいるのだろうか。そこだけが気になる。

.

特養のスタッフに言われた。

どうすればあんなに惹きつけられるんでしょう
どうすればあんなに伝わるんでしょうか
普段から入居者さんを見ているからよくわかるけど
まちがいなく全員が楽しんでましたよ
表情には出ないけど、それは出せないだけ
歌やおしゃべりは心の糸をくすぐってましたよ
私がやっても、とてもああはいかない
焼きもち、焼いちゃいますヨ

最後まで顔色ひとつ変えない方もいましたけどね

あの方々はどんな音楽会でも最後までもたないんですよ
途中で寝ちゃうの
今日は最後までしっかり起きてました
それどころか指でかすかに調子をとってましたよ

うれしい一言だった。

それにしてもさすがにプロの介護士。ご老人たちをつぶさに観察されている。

見るところが違う。

感心しきりの一幕だった。

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