« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015.05.24

2015年06月 ライブ・コンサート予定

06月01日(月)  函館旭丘の家コンサート

             時 間   昼~午後の予定
             場 所   函館特別養護老人ホーム・旭丘の家

20141005_0911020

.

.

06月13日(土)  朝市コンサート

             時 間   8:30~10:30
             場 所   越谷市場
             地 図   

             ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

Photo

 

.

.

06月19日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 

             時 間   21:00~23:30
             場 所   「お好み焼きの三貴」
                      東武伊勢崎線 新越谷(東口)
                      武蔵野線 南越谷(南口)
                       各徒歩5分
              地 図   

       おかげさまで11年目に突入いたします。
       これからも細々とでも続けていければと思います。

2012

.

.

06月21日(日)  喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ with Sow Sow
           

             時 間   14:00 開場  16:00 開演
             場 所   tea room JUNE
                     東武スカイツリーライン 松原団地 東口 徒歩3分
                           http://tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11013496/dtlmap/
             出 演   Martin古池
             

     ★昭和の香り漂う喫茶店で
       昭和を彷彿とさせる歌の数々をおとどけします

     ★先月に引き続きパーカッショニスト・Sow Sowさんとのコラボです。

Junesowsow

.

.

06月27日(土)  朝市コンサート

             時 間   8:00~09:30
             場 所   越谷市場
             地 図   

             ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

             ★今回は早めに初めて、9時半には終了予定です

.

.

06月27日(土)  おーるどたいむ de ライブ with  「Far Away Eyes」

             時 間   17:00 開場  17:30ごろ 開演
             場 所   Live cafe おーるどたいむ
                     東武スカイツリー線 北越谷駅・東口・徒歩10分
                     越谷郵便局真ん前

             ★今回はブルース・デュオ「Far Away Eyes」をお迎えします。
              

.

.

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.05.17

「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」に新たなる展開?

 

Martinsowsow

「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」に新たなる展開が!

パーカッションのSow Sowさんとの新ユニットで出演します。

事の発端は先月の「JUNEライブ」。 飛び入り参加したSow Sowさんと意気投合。

GSとフォークソングのユニット結成とあいなったわけです。

Martinsowsow3

本日その最初のリズム合わせ(音合わせではない!)

Sow Sowさんの奥様のキビシイ指導のもと、無事修了。

来週の「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」に臨むことととあいなりました。

練習と本番を積み重ね、老人ホームや他の場所での演奏も今後展開していければとおもしろいだろうな!

で、その「旗揚げ公演」は出会いの場となった tea room JUNE で。

G.Sだらけの2部構成でお届けします。

.

.

【喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ】   

時 間  5月24日(日) 14:00 開場  16:00 開演   

場 所  tea room JUNE         

      東武スカイツリーライン 松原団地 東口 徒歩3分                   http://tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11013496/dtlmap/   

出 演   Martin古池 with Sow Sow

木戸銭  ご飲食のみ   

★ぜひともおはこびくださいませ★  

Martinsowsow_2

Martinsowsow_3

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.05.10

「朝市コンサート」10年をふりかえって

前回の「朝市コンサート」はイベントがあったため買い物客でごったがえしていた。久々の大盛況だった。

うってかわり、今朝の越谷市場は閑散としている。

セッティングを終え、どのタイミングで歌い始めようか迷っていた。それほどお客さんは少なかった。

向かいの乾物屋の親父さんが話しかけてきた。

.

ほんとに客が減ったよね
震災で客足がぐっと遠のいたんだよ
やっと少し回復したかと思ったら消費税だろ
これで一気に冷え込んじまった
売上のデータにハッキリ表れてるよ
入口の八百屋も先月いっぱいで廃業したしな
あんたも長いこと、ここで歌ってるからわかるだろ
ギャラももらえなくなったんだろ

.

3~4年前からかな
元々は前の組合長に頼まれて始めたことでね
「足代」としてちょこっとはもらってたけどね
組合長が変わった後、景気が落ち込んでそれも無くなったよ

.

オレも当時は執行部だったから事情はよく知ってる
あんたにゃ申し訳ないと思うよ
あれでもう市場には来なくなるかなって思ってたけど
今でもこうして歌ってくれてる
ありがたいと思ってるよ

.

そんな話をしていると、友人のMさんがひょっこり顔を出してくれた

川口からわざわざ足を運んでくれたんだ

それをきっかけに湿っぽい話を切り上げて「朝市コンサート」をスタートさせた。

10

.

.

2005年4月25日に「朝市コンサート」はスタートした。

新越谷駅前で「街角ライブ」をやっている時に市場の元組合長に声をかけられた。それがきっかけだった。

最初は1回こっきりの出前コンサートのつもりだった。

思いのほか反応が良く、なりゆき上2回目もやることになった。

事実上の旗揚げは10年前の今日ということになる。

⇒第1回「朝市コンサート」の記録

.

最初の5~6年、「朝市コンサート」は一般客に市場での買物を楽しんでもらうためのアトラクション的なものだった。

客層は多岐にわたってはいたが総じてやや高めの年齢層だった。飲食店などの仕入れの人たちが多いためだった。

越谷市場ではそういう固定客以外にも一般消費者も呼び込みたいという思いがあった。そのため第2、第4土曜日を市場開放デイとして位置づけていた。1000円以上の買い物で景品をもらえるという取り組みだった。

一般のお客さんの年齢層は40代~70代とバラバラだった。

僕の役目は景品交換所の前で演奏し、お客さんに楽しんでもらうというものだった。

そのためにどんな選曲をして、どのようなアレンジや唱法で歌うか。毎回勉強しながらいろいろ試していた。基本はお客さんがよく知っているものがメイン。自分の嗜好は二の次にせざるを得なかった。あまり好まない歌でも歌わざるを得ないという部分もあった。

まずはお客さんに沿った歌を重ね、その中に少しだけ自分がその時歌いたい歌をもぐりこませるという形をとった。

定着した選曲の柱は昭和の歌謡曲やグループサウンズやフォークソングなどだった。
実は僕は『場末のフォークシンガー』と名乗りながら「フォークソング」と言われるものをそれまで歌うことはあまりなかった。フォークソングに対する強いこだわりがあったためだ。どんなにヒットした歌でも自分にとってフォークソングたりうるかということにこだわていた。市場のアトラクションとして歌う以上はそれに拘泥してはいけないと考えるようになった。(「街角ライブ」で不特定多数の人に歌うようになってからは多少緩和されてきてはいたが)

まずはお客さんありき
おのれを殺すべし

そういう縛りの中で最大限できることを追求する。

けっして簡単なことではなかった。むしろ思い通りに行かずうちのめされることの方が圧倒的に多かった。

なにしろじっくり聴いてくれる人が少ない。ほとんどの客は忙しく買物を済ませ足早に帰っていく。
そんな状況が毎回続くと市場で歌うことに疑問が生まれてくる。同時に自分の歌に自信が持てなくなってくる。
それまでの数年間、「街角ライブ」でおのれを鍛えてきたというプライドがあった。毎回オーディエンスが途切れることがなかったという自負も強かった。
それらのものがすべて吹っ飛んでしまった。
お客さんにしてみると買い物のあいまにじっくり聴くなんてことはできるものではない。ちょっと足を止め何曲か聞いてくださるのが関の山。
街角と市場の条件の違いは分かっていたはずだが、それでも反応の悪さには自信喪失になりがち。
自分の弱気の虫との闘いから始まった。
その上でたえず流動する客の流れになにがしかのインパクトを与える。そのためになにをなすべきか。試行錯誤をつみかさねた。五里霧中だった。

試行錯誤を何年もくりかえすうちに、市場の商店主や買い物客からも次第に認知されるようになってきた。

手をふりながら通りすぎたり、会釈をしてくれたり、微笑んでくれたりという消極的ではあるが、好意ある反応を返してもらえるようになった。

つらかったのは、たまにやってくる音楽友達の反応だった。

マーチンさん
あんた一体何やってるんだい
そんなのライブでもコンサートでもないでしょ

口にこそ出さぬが目が語っている。彼らは僕がライブハウス「ぶどうの木」でやっていた時代を知っている連中だった。「わがままライブ」を縦横無尽に展開していた頃の僕を知っているだけに、「朝市コンサート」でのやり方が驚きにだったものと思われる。(僕の知らぬところでそんな話をしていた人もいたという)

オレは音楽嗜好の強い人や、あんたらプレイヤーの目線で納得、満足するようなものを目指しているわけじゃない。ごくごく「普通」の人たちが聴いて良かったと思ってもらえる、そんなライブが目標なんだ。

自分にそう言いきかせながら回を重ねていった。

.

.

4年ほど前、僕に声をかけてくれた件の元組合長がすまなそうな顔をしてこう言った。

.

古池さん、ゴメン
組合総会で経費節減が決定して
今までみたいに「謝礼」が払えなくなったんだ
だからやめても仕方ない
続けてくれるならば場所はこれまでどおり提供させてもらうよ
あんたの好きな方を選んでくれ

.

冗談じゃないと思った。

ここでやめたらこれまで積み重ねてきたものが灰燼に帰してしまう。ようやっと軌道に乗ってきたところじゃないか。

.

このまま続けさせてもらうよ
お金の問題じゃなく、自分のポリシーの問題だから

.

あんたなら、きっとそう言うと思ったよ

.

同じ年の元組合長はどうやら僕の性格も呑み込んでくれていたようだった。

反面でチャンスとも思った。

これまで「縛り」になっていた集客のためのアトラクションから解放されるワケだから。むろん市場という場を借りて歌うわけだから、この先も意識せざるを得ないことではある。でもそれはもう「義務」ではない。
客受けのいいフォークソングや歌謡曲にこだわる必要も無くなった。
自分の好きな歌をもっと歌えるだろうし、様々な実験的な試みもやれるようになる。

そんな試みを市場というたやすくはない環境の中でやる。
それも組合の後ろ盾を失った状態で歌い続ける。
これ以上の修行の場はないと思った。

.

同時に「朝市コンサート」の新たな位置づけをしなければならないと考えた。

.

「市場の風物詩たらんこと」

.

買い物の場であり、越谷の台所でもある「越谷市場」。

その中で「歌う」という異質のものが共存しうる状態を目指す。

これが新たな位置づけであり目標となった。

目標とはいっても「市場の風物詩」であるかどうかは自ら評価できることではないし、するべきことでもない。

歌い続けたその結果そうなっていたというたぐいのものである。気がついたら当たり前にそこにあった。無きゃ無くとも困りはしないが、なにか物足りない。

風物詩とはそんなもののような気がする。

言葉を変えると市場という場との共存。市場にいる人・来る人との共存。
それがいいあんばいでできている状態とでも言うのだろうか。

大事なことは可能な限り、できるところまでやり続けること。
  市場から拒絶されることだってありえない話ではない。
  自分の体調や精神状態が変わることだって充分に考えうる年齢にもなっている。

問題は「今」を「1回1回」「1曲1曲」を大切に歌い続けることができるかどうかだと思う。
ありふれた、わかりきった結論ではあるが結局はそれ以外ない。

.

まる10年経過した「朝市コンサート」。

大きな節目であるには違いないが、ひとつの一里塚に過ぎないこともまた事実。

「継続は力なり」などと嘯き「10年の経験」にあぐらをかくことなく、一歩ずつ進んでいきたい。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.05.05

清津峡 春の陣 2 静かなるひととき

P5040159

キャンプ前半、清津峡には静かな時間が流れていた。

時が止まっているかのように感じることがここではしばしばある。

まさにそんな感じだった。

明るいうちからちびりちびり。

ギタをつま弾き、なれしたしんだ歌を口ずさむ。

小さな焚き火をつつきながら友とぼそぼそ語り合う。

とってもすきなひととき。

「優しい時間」とでもいうのだろうか。

何者にも代えがたいひととき。

Photo_3

P5030131

P5030135

キャンプ飯は楽しみのひとつ。

一人旅の時は簡単にさっと済ませるのが常だった。

この10年、仲間たちとともにキャンプをするようになってからはだいぶ凝るようになった。

家族できていた頃のようにいろいろ手をいれ工夫している。

とはいってもしょせん山料理の延長。たいしたものは作らない。

なにしろ清津峡は体に背負えるものしか持ってこられない。

中には大きなザックにギターをくくりつけ、肩からでかいクーラーボックスをぶら下げて来る豪の者もいるけれどね。

僕のやり方はその時居合わせた仲間たちが持ち寄った食材で何ができるか考えて作る。

自分も食材はあれこれ持っていくけれど、友の持ってきたものも遠慮なく使わせてもらっている。

できあがったものをみんなでつつきながら食べるメシがうまいのは、味そのものよりも自然の空気というスパイスが効いているためだろう。

P5040151

夜の帳が降り、あたりが闇に包まれる。

空気も冷え込んでくるころ、あちこちで盛大に焚き火が始まる。

闇の中に妖しく揺れる炎は美しい。

P5030148

夕飯を終え、のんびりしたあと片手に酒瓶、片手にギターを持ち管理棟の前テーブルにふらふらと遊びに行く。

まるで蝶や蛾が灯りに集まるように、テーブルに揺れるランプの灯りに集まっていく。

飲みながら、歌いながら、しゃべりながら始まる宴。

30年前から変わらぬ光景。

それ以前から管理棟前の宴はお約束だった。

先代管理人・清津の仙人は時々毒舌を吐きながらみんなのおしゃべりを見守っていた。

この宴にギターや歌を持ち込んだのは僕だった。

仙人のクラシックギターを借りて歌ったのが最初だった。

最初はお客さんのおしゃべりの合間に歌うという感じだった。

何年か経ち、歌の集いのように変わりそれが「丑三つライブ」につながっていった。

テーブルを囲むキャンプ客だけではなく、闇の中のテントやバンガローからリクエストの声がかかるようになり、すっかり定着した。

仙人が亡くなり、息子のアキラッチが跡を継いでからも「丑三つライブ」は続いた。

この「丑三つライブ」がやがて「Live in 清津峡」につながり、現在のように音楽キャンプのようになっていく。それについてはまたの機会に。

P5030122

キャンプ場の朝はすがすがしい。

ちょっとひんやりした空気。

木々の間を朝の光が差し込む。

僕の好きな時間だ。

今日はにぎやかな仲間たちが集まってくるはずだ。

ドンチャン騒ぎの前のひと時の静寂はいいもんだ。

静かなるひとときに身をまかせたキャンプ前半だった。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

清津峡 2015年 春の陣  変わり果てた景色

第2東名高速の予備工事が始まった。

清津峡キャンプ場への降り口に立ち、あまりの変貌ぶりに息をのむ。

Photo

山の斜面にやぐらが組まれ、その上にそびえ立つ重機。

ゴールデンウィークのため作業はしてはいなかった。

でも普段の道路工事の様子は容易に想像できる。

これから高速本道のトンネルを掘るための予備道路が作られ、5年後には第2東名のトンネルは完成する予定とか。

Photo_2

降り口からは鉄パイプで仮設階段が組まれ谷に向かってのびている。

かなりの急傾斜で、幅も人一人が通れる程度しかない。

不安定な山の斜面に急設された階段ゆえ、一段降りるたびにきしんだ音をたてながら揺れる。

荷物、ましてギターを持って階段を下りていくことに不安を感じながら数十メートルを降り立った。

見上げる。

あまりの無残な姿に声も出ない。

山の斜面に群生していた木々はすっかり切り刈り取られ、丸裸になっていた。

なにもここまでしなくたって…。

怒りともあきらめともつかぬイヤぁな気持ちになる。

.

.

「緑のタイムトンネル」

僕たちはここをそう呼んでいた。

木々が群生し、鬱蒼と生い茂った山の斜面につけられた踏み跡が谷底のキャンプ場まで続いていた。

踏み跡道はまるでトンネルのようだった。

僕たちは日常のあれこれを背負いながらこの「緑のタイムトンネル」を下った。

うさや憂いや煩わしさをひとつひとつぬぐいさり、脱ぎ捨てながらキャンプ場に降り立った。

ガスも電気も何もない清津峡キャンプ場で数日を過ごす。

ゆったり流れる時間に身をゆだねつつ。

戻り道、再び「緑のタイムトンネル」を喘ぎながら登る。

一歩登るたびに、日常の暮らしへの新たな覚悟を刻みこむ。

「緑のタイムトンネル」は日常と非日常をつなぐ、大切な時間・空間だった。

.

.

「緑のタイムトンネル」は数年前のたびかさなる大雨と台風で一度は失われた。

キャンプ場管理人・アキアラッチの(そして清津峡ファンの切なる願いと応援で)気の遠くなるような復旧作業が続けられ、再び道はつながった。

「緑のタイムトンネル」は失われたが、木々の成長とともにいずれは新たなトンネルは徐々にできていくはずだった。

僕はトンネルが再びかたちづくられるまで、体力、気力を維持しながら清津峡に通い続ける覚悟を固めていた。

第2東名の工事が近いことは知っていたが、工事が終われば「タイムトンネル」は10年先くらいには復活するだろうと願っていた。

.

.

鉄パイプの階段を下り切り、ふりかえり、見上げる。

丸裸にされた斜面とその上にそびえるやぐらとクレーン車。

まるで旧約聖書の中にある「バベルの塔」のように思えてならなかった。

人は己の力を過信・盲信し、神を超えようと巨大な「バベルの塔」の建設を始める。

神は空高く伸びていく塔に雨、風、雷をもってその全てを破壊しつくした。

この話が僕にはとても暗示的に思えてならない。

再び長雨や台風が直撃した時、丸裸にされた山の斜面は持ちこたえることができるのだろうか。

数年前の土砂崩れも破壊的だったが、生い茂る木々のおかげで土砂崩れはキャンプ場の上でかろうじて止まった。

丸裸にされた斜面が崩れた時どんなことになるのか。

杞憂で終わることを祈るばかりだ。

.

.

僕が清津峡に通える残された時間。

それはけっして長くはない。

第2東名の完成は5年後だそうだ。

高速道路は山の中のトンネルを走るそうだが、今建設が始まったトンネル掘りの工事用道路はそのまま放置されるだろう。

樹木が育つのに10年。

「緑のタイムトンネル」が部分的せよ復活するのにさらに10年。

合わせて20年!

その頃僕は80歳を超えている。

はたして生きているかどうかもあやしい。

よしんば生きていたとして山道を昇り降りする体力、筋力、気力が残っているかどうか。

暗澹たる気分になる。

.

それでも清津峡キャンプ場は健在。

それが救い。

清津峡キャンプ場はこの30年の僕の足跡の中で欠くことのできぬ大切なもだった。そのことを今ほど強く感じたことはなかった。

60歳を過ぎた今、1回1回の清津峡通いがとてもとても貴重なものに思える。

| | | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »