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2015.04.14

父という壁

今日は父が亡くなって23回目の命日。

毎年この日が来るたびに今の自分と同じ年の父に思いをはせる慣わしが定着した。

生前の父は「万年文学青年」とか「情緒過多症」といわれていた。

それは父の青年期、元町カトリック教会の通信、「鐘聲」(しょうせい)に毎週投稿していたということ。そして晩年、小野幌カトリック教会の通信「森の声」に頻繁に投稿していたことに起因している。

若いころは自分の名前「古池信夫」をロシアの文豪に模して「コイケヤーノフ・ノブオンスキー」と称していたという。

情緒あふれる文体へのファンも少なからずいたようだ。

一方で仕事では「計数管理の鬼」と言われていたらしい。

前身が紙問屋だった大丸藤井に勤め、三十数年間営業畑を歩き続けた。

「御用聞き」という古い営業体質から脱却するためQC(品質管理)技法を学び、営業活動に数値管理の導入を試みたようだ。

僕が高校生の頃、父は「QC思考」の話をよくしてくれた。それは自分が学んだことを僕に話すことで、自分の中に定着させようとしているようであった。
(後に印刷という製造業に努めた僕にこの時の父のレクチャーが大きな影響を与えてくれた。QC手法はまさに製造業のためにある考え方だった。

文学青年としての顔、そして相反する理数系の顔。双方を合わせ持つ父に僕は憧れ、大きな影響を受けた。

反面でそれは自分にはとうてい到達しえない大きな壁となって立ちはだかった。

「文学青年」としての父の後を追いかけ、僕も若いころからたくさんの文章を書き散らしてきた。(このブログ「街角の歌芸人」を始めて十年になるが、すでに1500もの投稿を書いている)

一方で印刷業に身を置いていたころは「QC思考」をベースに多くの仕事を手掛けた。熟練した職人や技能者だけではなく、誰もが同じやり方で均一な(安定した)印刷物を作れるようになることが目標だった。

けれどどんなに投稿の数をこなしても、父の書く文章に届いたと感じたことはいまだにない。父の書く文章は心のひだにすっと忍び込み、気が付くと共感、共鳴を呼ぶような性格のものだった。残念ながら僕はそういう自然な文章をいまだに書けないでいる。

QC思考をどんなに凝らしても、タチ行いくことのできぬものを感じ続けてきた。自分なりにQC思考を追及した結果得た結論。それは皮肉なことにQC思考では否定されるKKD(勘と経験と度胸)に裏打ちされていなければ絵に描いた餅というものだった。
父は同じQC思考で多くの営業実績を上げたそうだ。
どこか勘所をつかんでいたんだろうと思わざるを得ない。

それはなにかということが最近分かってきたような気がする。

「普遍化」ということがキーワードであり、答えであるような気がする。

ひとりひとりは違った人間である。感じ方が違えば考え方も違う。それは生まれ育った生い立ちからして皆違うものだ。

父はまず違いに対するこだわりから考え方をスタートさせていた。

その上でどこかに必ず重なりあえる部分があるはずだと信じていた。

強烈な楽観論と人を受容する心が父にはあったんだろうと思う。

個々の特性を受け入れつつ、重なり合うところにすっと忍び寄っていく。
それが父の書いた文章の本質であり、仕事の仕方の本質であったのではないかと思う。

最初からそうであったはずがない。

おそらく僕の知らぬところでもがき、悩み、打ちのめされながら少しずつ形作られていったに違いない。

父の死後、残された膨大な量の文章から選別して遺稿集「一粒の麦」を作った。
残された家族が協力して1年かけてまとめたものだ。

20代の頃「鐘聲」に描かれた文章と晩年の「森の声」に描かれた文章を読み比べると、晩年の文章ははるかにあたたかく感じる。

「個」から「普遍」へと年とともに心もようが変遷していったのだと思う。

全く残念なことにこの「変遷の時」試行錯誤しながらもがいていたであろう時代の文章を父は残していない。

「そこが知りたい」ところではあるが、今となっては想像するしか手立てがない。

「父の壁」と題したが、おそらく僕にとってこの空白の時こそが父の壁なんだろうと思う。

この20年「空白」を埋めようと悪戦苦闘してきた。

そしてやっとそのとっかかりに手が着いた状態だ。

父が死んだのは68歳だった。

その年に到達するまであと7年。空白を埋める作業は続くのだろう。

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最後に父の遺稿集「一粒の麦」の巻末に書いた文章を再録しておく。

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「鐘聲時代」から「空白の時代」へ

文章に見る父の足跡は昭和21年から28年の青年期に書かれた「鐘聲時代」に始まり、30年の「空白の時代」を経た末、晩年の10年間「森の声時代で幕を閉じる。

僕の知らない「鐘聲時代」。この7年の間に父はカトリックの洗礼を受け、長期にわたる肺結核の療養生活を経験し、やがて結婚へと進んでいく。

青年時代の多感な文章を整理しながら、いつか僕は自分自身の青年時代とオーバーラップさせていた。数多く残された文書の中から今回選んだものは、僕自身のフィルターを通して濾過されたもの、僕自身に受け継がれている感覚に通じるものが多くなった。

父の文章スタイルはクールでシニカルなものと、暖かく柔らかなものとが交錯している。昔から「情緒過多症」と言われてきた父はそれを自分の転生と受け入れながらも、それだけで終わることを拒否していたように思われる。背伸びを常とする青年期の文章にはその辺の感情の揺れが表れている。あたたかい文章を書きながらその底にはシニカルな観察が見え隠れしている。クールな批評を書きながらそれに徹しきれない情が見え隠れしている。

「鐘聲」を舞台にして毎週のように書き続けた父も、結婚後はほとんど文章を残していない。「情緒過多症」でありクールであろうとする父は、その自我意識の強さのためか、教会の空気に徐々になじめなくなり「鐘聲」から遠ざかって行ったためと思われる。

以降30年近くもの間、父の公式の文章を僕は知らない。そしてこの30年は僕が父に育てられ一緒に暮らしてきた時期と重なる。僕は父の生きざまをこの目で見てきた。それは晩年言われるようなダンディでスマートな生き方では決してなかった。むしろさまざまに迷い、自分の生き方を模索してあがく「道草人生」であった。(エーカッコシィの父は迷ってる素振りなどおくびにも出すまいとしていたが…)あがきながら実体験を積み重ね、心のひだを深く刻み込んでいる時期だったのではあるまいか。ぶんしょうとしては「空白の時代」だった。でもその空白こそが父にとって意味あるものだ多様に思えてならない。

今僕はまさに「道草人生」の真っただ中にある。その時代の父の心情を読みたかったというのが偽りのない思いである。しかし「空白」であるからこそ意味があり、「空白」であるがゆえにそこに様々なメッセージが込められているように思う。

無言のメッセージを投げかけながら父はニヤリと笑っているような気がする。

「俺の空白は俺が埋めてきた。お前の空白はお前自身が埋めるもんだ」

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