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2015.02.25

古池エンタ幸介が旅立っていった

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イトコの古池エンタ幸介(ゆきよし)が昨日2月23日、11時半ごろ旅立った。
1年半に及ぶ闘病生活。
入退院をくりかえし、癌と告知された後も絶えず前を向いて歩こうとしていた。
それは闘いにつぐ闘いだった。
病との闘いであり、自分との闘いだったように思う。...
闘いの果てに矢尽き刀折れ、旅立っていった。

亡くなる前日、僕はエンタを見舞っていた。
このところの様子を見ると「その日」は近い、そんな予感はがあった。
僕にできることはいつものようにベッドのそばにいることだけだった。
多くを語ることもない、いつものようにふるまう、ただそれだけだった。
エンタはエンタでいつも僕に気を使わせまいと気丈にふるまっていた。
けっして楽なことではなかったと思う。

その日はいつもと違って時折苦しそうな顔をのぞかせながらも柔和な顔つきだった。
小一時間時を過ごし、別れしな握手を交わした。
60年のつきあいの中で最初で最後の握手は思いのほか力強かった。
何度も力をこめてぽつりと一言つぶやいた。

  まさ坊
  がんばれよ

函館山の麓で僕たちは兄弟のように育った。
本家の末っ子だったエンタは僕を弟のように感じていたようだ。
分家の長男だった僕はエンタを兄貴のように感じていた。
きかん坊のエンタの後をくっついて歩いた記憶がある。
(その後ろを僕の弟もくっついて歩いていた)

高校生になったエンタはビートルズの影響でドラムを始めた。
函館西高校の文化祭でドラムを叩くエンタに黄色い声が飛び交っていた
カッコよかった。あこがれた。
中学生だった僕はポツポツギターを弾くようになっていた。
そんな僕にエンタはコードを覚えて歌えと言った。
(たぶん単なる思いつきか気まぐれだろうが)
いくつかの基本コードを習い、PPMをお手本に僕は歌い始めた。

やがてエンタは東京に、僕は室蘭に移り住み音信は途絶えた。
時折風の便りにいまだ音楽をやっているという噂が聞こえてくるくらいだった。

35年ほど時が流れた。
ネット検索に「ENTA巣」が引っかかった。
直感的に「えんちゃんだ!」そう思った。

ほどなくENTA巣を訪ねてみた。
引き戸を開け顔をのぞかせた。

  えんちゃんかい?

  おお、まさ坊か!

ご無沙汰のあいさつも抜きでエンタはいきなり切り込んできた。

  おめ、これ知ってるか?
  ブエナ・ビスタ。
  なまらいいぞ!

  おお、オレも大好きだ!

35年の時を一瞬のうちに飛び越えてしまった。
それからおよそ10年。
僕たちの音楽談義はとどまるところを知らなかった。
頻繁に会うわけではないが、いつも核心について語り合った。

当時僕は自分の音楽の方向性を模索して紆余曲折をくり返していた。
ライブハウスなどで歌うことに居心地の悪さを感じ、歌う場を暮しに近いところを選んで試行錯誤をしていた。
そのことで音楽を介した友との軋轢もおきたりしていた。
そんな僕に遠慮のない意見をエンタは浴びせかけてきた。
しかしその底には深い理解と肯定があった。
批判的意見であっても、僕はあたたかさを感じていた。

  最初で最後の握手
  「がんばれよ」の一言
  精一杯の笑顔

これがエンタと最後に交わしたやりとりだった。

  オマエはオマエの思った通りにやってけ
  迷うな
  それがまさ坊にとっての唯一の音楽の道なんだ

エンタの最後のメッセージだと僕は受け止めている。
エンタはこの時自分の最後の一歩をすでに悟っていたんじゃないか。
そう思えてならない。

翌朝、いつものように看護師を笑わせ元気にふるまっていたというエンタ。
ほんのわずかなスキをねらって眠るように息を引きとったそうだ。
最後の最後までカッコよく生き、カッコよく死んでいった。

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【告別式 お別れの会】

2月27日(金) 10:00~11:00
平安祭典 高円寺
  JR高円寺駅 北口 徒歩3分
  北口を線路沿いに右折、JIROKICHIの前を直進
  http://heiansaiten.co.jp/hall/

★音楽キチガイ・コイケエンタにふさわしく音楽葬とする予定

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2015.02.07

【おしらせ】3月 「おーるどたいむ」で二つのライブ

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季節ごとのお届けする「おーるどたいむ de ライブ with my friends」。

今回は「紡音(つむぎね)」をゲストにお迎えします。

「紡音」はマンドリン2本とギターのトリオ。

映画音楽やフォークソング、そしてフラメンコなどを演奏するユニットです。

マンドリンとギターのさわやかな音色をお楽しみください。

マンドリンのMiyajimaご夫妻には以前蒲生のすみれ美容室でやっていた「すみれコンサート」でレギュラー出演をお願いしていました。

3年ぶりの共演にワクワクしています。

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1週間後にマッキー星野さん主催のおーるどたいむライブにゲスト出演させていただきます。

マッキーさんは前回の「おーるどたいむ de ライブ」に出演していただいた道産子シンガー。

くわえて松ちゃんと3人が出演します。

初めてご一緒する松ちゃんは坂庭しょうごさんのフォロワーだそうです。

僕も大好きな坂庭しょうごさんの歌の数々をどのように歌ってくれるかとても楽しみ。

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2015.02.05

歌初め2015 出逢い

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毎年恒例になった「歌初め」

長年の友、柴ちゃんが企画するこのライブに今年も出演します。

柴ちゃんとの付き合いは 「第2回 Live in 清津峡」から始まり、その後彼が立ち上げた音楽コミュ「へたくそ親父のギター弾き語り」(へたおや)につながり、現在にいたっています。

おもな舞台は「南丹沢・清津峡キャンプ場」ですが、年に1回彼のライブに出演。

これがとても楽しみになっています。

今年は若きイケメン弾き語りスト・つかさも初参加。

なんでも清津峡で僕の弾くギターと歌に憧れて中学時代から始めたと言っちょります。

(おせじでも嬉しいもんです)

若さゆえの吸収力と努力のせいか、はたまた才能なのか、

今ではすっかりおいこされてしまい・・・

そんな彼の成長を眺めるのも楽しみです。

20代のつかさ、30代の順子(Lazy✩Lovers)、40代の柴ちゃん。

我らエイぼん&Martinのジジババコンビにかかってらっしゃい!

そんなノリでお届けできればいいなって思います。

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