函館日記2014 夏

2014.08.22

少年時代

1週間の函館帰省、昼間は特養に移った母親の「身辺整理」に追われていました。
(夜は遊びまわてたけどね)

でも1日だけ自分のために使うことができました。

少年時代を過ごした青柳小学校の担任・石山幸太郎先生との再会。

P8070281

そして潮見中学校のプチ(還暦)同窓会。

P8070294

石山先生は3年と4年の時の担任でした。

「熱血漢」という言葉がぴったりの先生。

時にゲンコが飛んできたりしてね。

ゲンコ食らっても、その痛みにちょっとホッとするようなところもありました。

悪ガキはたいがい自分が悪さをしてるのを分かってるワケでね。

悪さをすることが自己主張というか、自分の存在をアピールしたいというところがあって。

そんな時たたかれると、

ああ、先生は見ててくれてる

そんな(ちょっと屈折した)安心感につながるワケで・・・。

(女子はどう感じてたかわからないけど、人気あったなぁ)

石山先生ももう83歳。

今は奥様と二人で地域活動の音頭取りをされてるとか。

老いたりといえど、やはり熱血先生でした。

→(9年前に石山先生を訪ねた時の文章)

→石山先生関連記事①

→駒大苫小牧の暴力事件に石山先生を想う

.

.

夜は同級生・工藤信也が長年営む「サウンドインS」でプチ同窓会。

ほんとうは還暦記念で盛大にとも思ったんですが、同級生たちとなかなか連絡が取れずこじんまり。

それでも毎年この季節に合わせて帰省する同級生たちとの再会はうれしいものです。

昔話はもちろんのこと、それぞれの今を語りあうひととき。

還暦とは子供が独り立ちし、孫ができるころであり、親が老いていく季節。

思うところの多い多感な季節だと感じることひとしおです。

P8070295_2

サウンドインSでの楽しみはマスター信ちゃんとのセッション。

中学時代に胸を熱くしたグループサウンズや加山雄三、そしてフォークソングの数々を歌います。

それぞれの演奏に自分の音をかぶせていきます。

これが最高に楽しい。

おたがい長いこと音楽人生を重ねてきたこと。

同じ時代を生きてきたこと。

語らずとも分かり合えるってのはいいもんです。

P8070298
→以前のプチ同窓会。哀しみをケタケタ笑って受け入れる北国の女たち

.

懐かしく、甘酸っぱい一日。

すっかり少年時代に戻っていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.08.21

長年の夢かなう 「函館野外劇」を観る ~滅びゆくものの美学 そして再生へ

 

P8080320

素晴らしかった。

函館市民によって作られ、函館市民によって準備され、函館市民によって演じられる創作劇。

五稜郭を舞台に函館(はごだぁでぃ)の歴史をふりかえる劇。

古くは縄文時代から始まり、アイヌが出現しさらに和人によって制圧されるいわば前史。

江戸時代高田屋嘉平によってロシアとの交易によって栄え、幕末のペリー来訪を皮切りに各国との通称で開国のきっかけになる。

国内的には江戸幕府が倒れ、明治維新となる。

旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三らが函館に逃れ
五稜郭城を根城に箱館戦争を戦うが無念の敗戦。

劇のハイライト部分だ。

P8080307

その後度重なる大火で壊滅的な打撃を受け、さらに第二次世界大戦。

戦争による空爆を経て終戦。

劇はここで終わる。

戦後の日本は市民一人一人の手で、さらに力を合わせて築いていこうという含み。

戦後70年、開通する北海道新幹線がその象徴とされた。

10484543_599770496810186_2952887284

 

箱館戦争が劇のハイライトであり核心ではある。

でもこの劇のテーマは箱館戦争や大火、さらには戦争という困難に直面し、
そのたびに立ち上がってきた函館。

それはこれからも同じということだろうと思う。

さらにそれは一人一人の人生へのエールでもあるように感じた。

野外劇のテーマソング「星のまち Hakodate」(新井満)の歌詞の中に凝縮されている。

 

旅人よ あきらめないで
夢を信じて 美しい未来を作るため
おーおー函館
おーおー函館
明日に輝け
星の街 函館

http://youtu.be/FStEGdXSSMs
(以前の野外劇の動画より「星のまち Hakodate」)

劇中くりかえし歌われるこの歌だが、エンディングに出演者全員によって(そして観客によって)歌われた時は、自然に涙があふれだしてきた。

P8080342

今回で27年目。

そして五稜郭築造150年の節目にやっとタイミングが合い観ることができた。

これまで野外劇の創始者、グロード神父に何度となく誘われていた。

いつかはと思いつつ、観ることがかなわなかった。

やっと念願かなった時にグロード神父はすでに旅立ってしまっていた。

野外劇を観ながら追悼の思いを込めていた。

もしも野外劇を一言で語れと言われたら・・・。

こんな言葉はどうだろうか

滅びゆく者の美学

そして再生へ

.

.

.

野外劇の生い立ち http://www.yagaigeki.com/ashiato/

続きを読む "長年の夢かなう 「函館野外劇」を観る ~滅びゆくものの美学 そして再生へ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.18

旭が丘の家コンサート 2014 夏

函館に帰るたびにやってきたコンサートも10回を数えます。
これまで会場だったのは有料老人ホームレジダントの食堂「ボンジュール」。
こじんまりとした明るく眺めのいいホールでした。

P8067937

母がレジダントから特養に移ったため、今回からは「ボンジュール」から特養のロビーに場所が変わります。
ボンジュールよりも2倍は広い会場に3倍ほどのご老人たちが集まります。
ほとんどが介護度5の方々で、中には認知症がかなり進んだ方も多いワケで。
ボンジュール・コンサートとはかなり勝手が違います。
どういうコンサートにするか直前まで迷いました。
迷った末、いつも通りのスタンスに。
入居されている方々はほとんどが80代~90代。
まさに僕の親にあたる年代です。(母もまもなく90代)
「子供の世代から、親の世代へのエール」
この思いをコンサートの根底に忍ばせました。
彼らが青春時代を過ごした戦後。
戦後の混乱と苦しさがあった反面、戦争から解放され自由と憧れを謳歌した時代でもあります。
そんな時代の歌から数曲。
また親となり子育てのかたわらラジオやテレビから流れていた歌から数曲。
「銀座カンカン娘」などは幼心に僕もラジオや母が口ずさんでいたのを覚えています。
(この歌は函館出身の高峰秀子さんが歌っていたこともあり、なじみの深い歌です)
さらに子供だった自分が大好きだった流行歌の数々。
(「星のフラメンコ」など)
つまり親として子として時代を共にしてきた歌を中心に選曲しました。

P8067938

ご高齢の方ばかりなのでおしゃべりも含めて30分の枠に収まるようにこころがけました。
ところが!

思いのほか(すこぶる)反応が良くて、アンコールに次ぐアンコール。
(3回もアンコールをいただけるとは思ってもいませんでした)

歌い始めは戸惑いの表情もありました。
でも歌い進めるにつれ表情がどんどんゆるんでいく。
場の空気があったまっていくのが手に取るようにわかります。
身体の自由が効かない方が多い中で、指先で調子をとる人もいます。
かすかに首をふりながら聴く人もいます。
年令と病気のため表情が変わらぬ人も少なくない。
でもかすかな反応を示してくれる。

ほっとひと安心。

P8067939

終わってみると40分を超えるコンサートになりました。

後でヘルパーさんたちにうかがいました。

ご老人たちが40分という長い時間を最後までしっかり聴くことは稀だそうです。
人によっては車椅子に30分座っていられない方も多いとか。(母もその一人)
それが最後までしっかり凝視していたなんてことはまずないそうです。
理由まで分析してくれました。

ひとつは選曲の良さ。誰もが知っている歌だということが大きい。
それでありながら安易に選曲ではなく、琴線に響くものが組み合わされていたこと。

変化をつけるためか歌いながら飛んだり、跳ねたり、しゃべったり。
歌の途中に短いおしゃべりを何度かはさむことで、歌がぐっと近寄った。
(自分としてはごくごく自然にそうなっちゃってるだけなんですが…)

そしてただ歌うだけではなく老人たちに寄り添うように歌っている

それはほめすぎだよと思う反面、やはりうれしいものです。

P8067940

「井戸端ライブ」はご老人たちにも(ほんのわずかだったとしても)成立しうる。
そんな気になりました。(自画自賛と笑うなかれ)

演ずる側と聴く側が混然一体となって共にひとつの空間と時間を築いていく。
そんな
「井戸端ライブ」は僕にとってライブのあり方の理想のひとつです。
共感・共鳴そして共有。
そんなことが少しでもできればやはりうれしい。

新しい環境での「旭が丘の家・コンサート」。
これからも長く続けていければいいな。

P8067941

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.13

サライ

サライという歌がある

谷村新司と加山雄三が歌い、24時間なんとかっていうテレビのテーマソングとして使われていた。
この番組、実はあまり好きではなかった。
谷村新司と加山雄三の歌もアンバランスに感じられたあまり興味がわかなかった。
僕がまだとんがりきっていた40代の頃だろうか。

最近あらためてちゃんと聴くチャンスがあった。
思わずほろっときてしまった。

夢を追いふるさとを捨てた若い日。
時を経て故郷に対する思いがたぎっていく。
そんな内容の歌詞だ。

長年自分のライブ・テーマにして取り上げてきた内容につながる。
そのことに初めて気付かされた。...

60代に入り、こちらの受け止め方も少しずつ変わってきたのだろう。
以前はアンバランスと感じていた二人の歌も悪くはないと感じるようになった。
胸の中に沈み込んでいく歌唱の谷村新司。
どこまでもあっけらかんと歌い飛ばす加山雄三。

ミスマッチであるとは思うが、それもまたヨシと感じる。

「サライ」の歌詞は「いつか帰る」という望郷と願いの歌だ。
(実際は帰れるかどうかわからないのだが…)

40年前、捨てて飛び出した故郷に明日帰る。
その旅は一時的なものだ。
現在越谷に根をおろし暮らしている自分。
帰るとはいえ旅人でしかない。
それでもあえて言おう。

  明日帰る

https://www.youtube.com/watch?v=rvpNeCazxZs
.
.
.
       サライ

              谷村新司 詩  :  弾厚作 曲

遠い夢すてきれずに 故郷(ふるさと)をすてた
穏やかな春の陽射しが ゆれる小さな駅舎(えき)
別離(わかれ)より悲しみより 憧憬(あこがれ)はつよく
淋しさと背中合わせの ひとりきりの旅立ち

動き始めた 汽車の窓辺を
流れゆく景色だけを じっと見ていた
サクラ吹雪の サライの空は
哀しい程青く澄んで 胸が震えた

恋をして恋に破れ 眠れずに過ごす
アパートの窓ガラス越しに 見てた夜空の星
この街で夢追うなら もう少し強く
ならなけりゃ時の流れに 負けてしまいそうで

動き始めた 朝の街角
人の群れに埋もれながら 空を見上げた
サクラ吹雪の サライの空へ
流れてゆく白い雲に 胸が震えた

離れれば離れる程 なおさらにつのる
この想い忘れられずに ひらく古いアルバム
若い日の父と母に 包まれて過ぎた
やわらなか日々の暮らしを なぞりながら生きる

まぶたとじれば 浮かぶ景色が
迷いながらいつか帰る 愛の故郷(ふるさと)
サクラ吹雪の サライの空へ
いつか帰るその時まで 夢はすてない

サクラ吹雪の サライの空へ
いつか帰る いつか帰る きっと帰るから
いつか帰る いつか帰る きっと帰るから
.
.
【追記】
室蘭(伊達紋別)の家を出て、函館まで汽車にゆられる。
連絡船に乗り込み内地に渡る。
3月の末だったと思う。
桜吹雪どころかまだ冬の香りが残る灰色のイメージだった。


青森から乗った夜行列車。
明け方、関東平野に近づくに連れ窓の外は色づき始める。
桜も咲 きほころび始めてたのを思い出す。


別れより、悲しみより、憧れが強かった。

20歳の春。
つい40年前のことだ。
あの時の気持ちは今でも忘れない。
.
.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.08.10

「旭が丘の家」から函館空港まで歩く。そして迷う

Dscn9678

弾丸帰函ツアー。
ドタバタで始まり、ドタバタで終わった。

「旭ヶ丘の家」から函館空港をめざして歩き始める。
いつもはタクシーだが、 地図を見ると5キロ•1時間の道のり。
射程距離としては充分。...
高低も山腹から平地までゆるやかな下り。
なんの迷いもなく歩き始める。

欲をかいた。
どうせ歩くなら雰囲気のある道を行きたい。
地図を見ると沢筋の農道だとほぼ一本道の最短距離。
幹線道路を行けば大きく迂回する。
沢筋の農道は知らない道。地図上ではなんの問題もないように思えた。
いざとなったらGPS地図ソフトもあることだしね。

Photo_8

田園風景の中を気持ち良く歩く。
快調だった。
が、突然舗装が途切れる。
微妙な十字路。

余裕を持って出発したとはいえ、飛行機に乗り遅れると目も当てられない。
ここは思案のしどころ。
地図ソフトを立ち上げ道を確かめる。
ナビは直進を指している。
直進は舗装されていない轍道。
足を踏み入れるのを一瞬ためらったけど、直進。
沢筋なので問題ないだろう。
沢は高きから低きに流れるもの。

しばらく歩くうちに轍道が少しずつ細くなり、やがて轍も消える。
当然足元も悪くなっていく。
とはいえすぐそばを沢は流れる。

そのまま進む。
道は突然沢筋から外れ大きく左にカーブ。登り山路に迂回路のごとし。
そのかわり轍がはっきり表れる。

ここで初めて道を外したことを悟る。
ナビを見ても、そこには道がなく山中を示している。
山歩きであれば迷わず引き返すべき時だ。
ロスした時間は30分。引き返すと60分になる。
搭乗時間がよぎる。

轍があるということは車が通っている道。
車が通れるということはいずれちゃんとした車道に出る。
それが道理というもの。
車道にさえ出れば多少の迂回にはなるだろうけど空港につながるはず。

戻るか進むか、さあどうする!

腹をくくって進むことに。
方角は空港から大きく外れているのはわかっている。
けど、ここはもう進むしかない。
とにもかくにも一刻も早く車道にとびだすしかない。
起動修正はそれからだ。

ピッチを上げガツガツ歩く。
いくつか登りがあり下りがある。
やがて遠くに民家が。
ほっと一安心。
民家があれば道もある。

時間にするとわずか30分。
でも疑心暗鬼の30分。
長ぁい30分だった。

函館空港にたどり着いた時はクッタクタ。
こんなに追い込む歩きをしたのは久しぶり。
体力はもちろん、精神的にも追い込まれ…。

空港のラーメン屋で祝杯❗


無事に飛行機に乗り込むことできたからいいようなものの、ヤバかったなぁ。
またひとつ、「思い出」が増えたと思うことにしよう。

でもこの顛末、口が曲がってもオフクロには言えないな。
また言われちまう。

アンタ、ハンカクサインデナイノ!

母親の目線からすると、僕はハンカクサイことを積み重ねてきたしょうもない子供だからね。

弾丸特急帰省ツアー、ドタバタ劇の一幕でした。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

45年ぶりのカトリック元町教会バザー

Photo_6

明けて日曜の朝、久しぶりに元町教会に行く。

子供の頃毎日曜日通い、ミサにあずかっていた教会。

父と母は個の教会で知り合い、この教会で結婚式を挙げた。

子供たちはみな幼児洗礼を受け、この教会と強く結びつき育った。

これまで日曜日にかけて函館に帰ることがなかったため、訪れる機会はあまりなかった。

せいぜい近くを歩き少年時代を思い起こす程度だった。

せっかくの日曜日だからミサにあずかり自分の原点の一つを確かめたかった。

.

元町教会は年に一度のバザーでミサは通常より早く始まり、すでに終わっていた。

けれど懐かしのバザーにぶつかったのはラッキーだったかもしれない。

45年前、我が家は函館を離れ室蘭(伊達)に転居していた。

今では知る人はほとんどいない。

それでもかすかな記憶を辿り、少年時代からお付き合いのあったN先生をさがしだすことができた。

Photo_5

御年83才。

我が家のすぐそばに住まい、子供たちは青柳小学校の後輩でもあった。

N先生はすっかりお年を召していたが昔の面影をそのまま残していた。

僕のことも覚えていてくれた。

実はN先生、僕のことを「危険な要素」のある少年とみていた。

雅彦は大人になったら左翼の危険思想に走る可能性がある

母にそう告げていた。

当時中学生だった僕はその言葉にはげしく反発した。

しかし先生の予測は見事に的中し、僕は青春時代の一ページを左翼思想に割くことになる。

N先生はそんなことには一切触れず、僕との再会を喜んでくれた。

あんた、このラーメン懐かしいっしょ
昔となんも変わんない味さ
昔はアンタの母さんが、このら―メンは作ってんだヮ
おごるから食ってきなさい

たしかに昔のまんまのシンプルなラーメンだった。

「函館塩ラーメン」などと言い出す前からあったただのラーメン。

たぶんの今の若い人たちには物足りないだろう薄味の、でも上品なラーメンだった。

50

元町教会を後に

する頃、鐘楼から鐘の音が響き始めた。

すかさずその音の録音をする。

Photo_7

札幌のアイリッシュユニットRINKAはこの音を聴きながら「鐘」という曲を書いてる。

「鐘」を元町教会の鐘の音をバックに流しながら聴きたいと思っていた。

懐かしい人、懐かしい味の懐かしい音の余韻に後ろ髪をひかれながら「旭が丘の家」に向かった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

帰り道

Photo_3

老人ホーム「旭ヶ丘の家」での打合せと書類作成無事完了。

気がつくとすでに夕暮れ時。

旭岡の山中から五稜郭の宿まで散歩開始。

いつもならいつもお世話になっているキングタクシーのHさんにお願いするところ。

今回はギターなどの荷物がないので歩くことにした。

旭岡に住む小学校の同級生りょっぺの話では2時間ほどだという。

それくらいならいつも歩いているから問題ない。

ひんやりした風が心地よい。

鶯が啼いてる。

山を抜け街道(83号線)に出るころにはすっかり暗くなっていた。

小一時間も歩くとすっかりおなかがすいてしまった。

街道沿いにあるラッキーピエロでハンバーガーを食べることにした。

Photo_4

函館の新名物と言われて久しい。去年初めて食べてハマった。

この狭い函館に10店舗以上あるらしい。

そんなに需要があるのかしらん。
...
でもたしかにうまいゎ。

パサパサしてないし、ボリュームもある。

これを食べるのが楽しみのひとつになった。 

.

.

道草を食い過ぎて遅くなったので湯の川から路面電車にのり柏木町で降りる。

ここからさらに歩くこと15分。

宿に着いたのは8時を回っていた。

素泊まり専門で(自炊もできるとか)一部屋に6人くらいの相部屋というドミトリ・シルシル。

他のお客さんともじき打ち解け、会話が弾む。

シルシルのオーナーは僕よりもひとつ年上。

若い頃中央線沿線のブルースマンたちと飲み歩き、その後東南アジアを旅して歩いたという人物。

物静かでシャイな感じだが、自分で道を切り開いて生きてきたという自負を感じる。

宿のギターを借りて爪弾きながら話がはずむ。

1

深夜あてがわれた部屋に入るとすでに二人の年輩の客が話し込んでいた。

ひとりはプロテスタントの牧師。

もう一人は定年後奥さんを亡くし、思い出の地をまわっているという方。

3人で人生論や宗教論を語り合う。

それぞれに立場や考えや育ってきた環境は違うが、たがいに尊重しつつも奥深いところまで話が続く。

傷心旅行のおじさんがポツリとひとこと。

まさかこの年になって、
まるで若者のように人生論を戦わせるとはね
40年も昔の学生時代に戻った気持ちですわ

この一言で議論も終わり、長い一日の幕を閉じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幼なじみ

Photo_2
以前同じ特別有料老人ホーム「旭が丘の家・レジダント」に暮らしていた「おさななじみ」。

特別養護老人ホームを見学にいった母。

再会をはたす二人。

.

どちらからともなくすっと手を出して重ね合います。

見つめあいながら静かに話す二人。

とてもおごそかなものを感じました。

母も明日からここの住人になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

弾丸帰郷 お宿はドミトリーに

母親の用事のため今週末急遽函館に帰ることになりました。
今朝あわててネット手配で格安パックを探したんですが、なにせ急なことで…。
往復の飛行機は手配できたんですが、宿がない。
3連休のためかどこも満杯。
1泊5万円とかってとこはあるけどね。寝るだけのために5万はね。
鹿部や大沼公園あたりのホテルはけっこうあったけど、なにせ市街地から遠すぎて…。...
生家は昨年更地にして今は駐車場。

寝袋かツェルト(簡易テント)を持ってこうと腹をくくっていました。
季節は初夏。
特別有料老人ホーム「旭が丘の家」から近い山中にテント泊も悪くないな。
(内心ちょっとわくわく)

そう思いながら、もう一度検索をかけてみたら…
おもしろそうな宿が見つかりました。
http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/56689/56689.html

ドミトリーという素泊まり専用の格安宿。
(一泊税込1980円!)
その代り相部屋。

バイクツーリングやバックパッカーなどが寝泊まりする宿のようです。
要は昔一世を風靡した(?)カニ族の宿。
民営のユースホステルみたいなもんかな。
カニ族ってのは横長のキスリングというリュックを背負って旅して歩く若者たち。その歩く姿がカニみたいなのでカニ族と呼ばれました。
40年ほど前は函館駅n古い駅舎にたむろしてました。
僕もカニ族のようにリュック一つで山旅をしてたこともあり、
気持ちがぐっと傾き、、、
くわえて場所は母校、旧・函館東高校のすぐ近く。

衝動的にぽちっと予約!

今回の函館帰りは決して遊びではなく、あくまでも(ここ強調!)家用。
でもなんとなく楽しみができちゃった。




カーター・ファミリーの名曲「クリンチ・マウンテン・ホーム」に
高石ともやさんがいい歌詞をつけています。



   「母のふるさと」

   若いと言われぬ年になり
   思わず背中が寒くなり
   思わずふりかえる
   母は年老いて 今も静かに
   僕の帰る日を 待っててくれる

   めぐる季節が楽しくて
   歌って過ごしたあのころが
   夜毎に遠ざかる
   母は年老いて 今も静かに
   僕の帰る日を 待っててくれる

   たとえふるさと荒れ果てて
   昔の面影消えたとて
   必ず 会いにゆく
   母は年老いて 今も静かに
   僕の帰る日を 待っててくれる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【プロローグ】 7月 弾丸帰郷 函館へ

母が特定有料老人ホームから特別養護老人ホーム(特養)に移ることになった。

この1年で介護度が2から5にあがり、現状のホームでは充分な介護を受けることが困難になっていたためだ。

手続きのため土日を利用して急遽函館へ向かった。

土曜日に煩雑な手続きを済ませ、翌日曜日には帰るという弾丸帰郷だった。

P8050147

特養の母の部屋からは函館山が真正面に眺められる。
我が家の歴史は60年前、函館山の麓から始まった。

.

.

2週間後の8月。

引っ越し後の後片付けやもろもろの所用で再び函館に帰った。

今度は約1週間と長期滞在となった。

昼間は母のところで所用に忙殺されたが、夜はたっぷりと函館を満喫することができた。

.

「函館日記 2014年夏」では2回にわたる帰省の模様をランダムに何の脈絡なく連ねることにする。

Photo

函館空港に咲く花

| | コメント (0) | トラックバック (0)