45年ぶりのカトリック元町教会バザー
明けて日曜の朝、久しぶりに元町教会に行く。
子供の頃毎日曜日通い、ミサにあずかっていた教会。
父と母は個の教会で知り合い、この教会で結婚式を挙げた。
子供たちはみな幼児洗礼を受け、この教会と強く結びつき育った。
これまで日曜日にかけて函館に帰ることがなかったため、訪れる機会はあまりなかった。
せいぜい近くを歩き少年時代を思い起こす程度だった。
せっかくの日曜日だからミサにあずかり自分の原点の一つを確かめたかった。
.
元町教会は年に一度のバザーでミサは通常より早く始まり、すでに終わっていた。
けれど懐かしのバザーにぶつかったのはラッキーだったかもしれない。
45年前、我が家は函館を離れ室蘭(伊達)に転居していた。
今では知る人はほとんどいない。
それでもかすかな記憶を辿り、少年時代からお付き合いのあったN先生をさがしだすことができた。
御年83才。
我が家のすぐそばに住まい、子供たちは青柳小学校の後輩でもあった。
N先生はすっかりお年を召していたが昔の面影をそのまま残していた。
僕のことも覚えていてくれた。
実はN先生、僕のことを「危険な要素」のある少年とみていた。
雅彦は大人になったら左翼の危険思想に走る可能性がある
母にそう告げていた。
当時中学生だった僕はその言葉にはげしく反発した。
しかし先生の予測は見事に的中し、僕は青春時代の一ページを左翼思想に割くことになる。
N先生はそんなことには一切触れず、僕との再会を喜んでくれた。
あんた、このラーメン懐かしいっしょ
昔となんも変わんない味さ
昔はアンタの母さんが、このら―メンは作ってんだヮ
おごるから食ってきなさい
たしかに昔のまんまのシンプルなラーメンだった。
「函館塩ラーメン」などと言い出す前からあったただのラーメン。
たぶんの今の若い人たちには物足りないだろう薄味の、でも上品なラーメンだった。
元町教会を後に
する頃、鐘楼から鐘の音が響き始めた。
すかさずその音の録音をする。
札幌のアイリッシュユニットRINKAはこの音を聴きながら「鐘」という曲を書いてる。
「鐘」を元町教会の鐘の音をバックに流しながら聴きたいと思っていた。
懐かしい人、懐かしい味の懐かしい音の余韻に後ろ髪をひかれながら「旭が丘の家」に向かった。
| 固定リンク | 0
「函館日記2014 夏」カテゴリの記事
- 少年時代(2014.08.22)
- 長年の夢かなう 「函館野外劇」を観る ~滅びゆくものの美学 そして再生へ(2014.08.21)
- 旭が丘の家コンサート 2014 夏(2014.08.18)
- サライ(2014.08.13)
- 「旭が丘の家」から函館空港まで歩く。そして迷う(2014.08.10)
コメント
マーチン古池さん 先日はコメント感謝。お久しぶりでお互い還暦。ブログも迫力満点、臨場感満点!同年としても、とても刺激になります。これからが私たちの60代、情報発信していきましょう!
投稿: shun | 2014.08.17 17:36