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2014.08.18

旭が丘の家コンサート 2014 夏

函館に帰るたびにやってきたコンサートも10回を数えます。
これまで会場だったのは有料老人ホームレジダントの食堂「ボンジュール」。
こじんまりとした明るく眺めのいいホールでした。

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母がレジダントから特養に移ったため、今回からは「ボンジュール」から特養のロビーに場所が変わります。
ボンジュールよりも2倍は広い会場に3倍ほどのご老人たちが集まります。
ほとんどが介護度5の方々で、中には認知症がかなり進んだ方も多いワケで。
ボンジュール・コンサートとはかなり勝手が違います。
どういうコンサートにするか直前まで迷いました。
迷った末、いつも通りのスタンスに。
入居されている方々はほとんどが80代~90代。
まさに僕の親にあたる年代です。(母もまもなく90代)
「子供の世代から、親の世代へのエール」
この思いをコンサートの根底に忍ばせました。
彼らが青春時代を過ごした戦後。
戦後の混乱と苦しさがあった反面、戦争から解放され自由と憧れを謳歌した時代でもあります。
そんな時代の歌から数曲。
また親となり子育てのかたわらラジオやテレビから流れていた歌から数曲。
「銀座カンカン娘」などは幼心に僕もラジオや母が口ずさんでいたのを覚えています。
(この歌は函館出身の高峰秀子さんが歌っていたこともあり、なじみの深い歌です)
さらに子供だった自分が大好きだった流行歌の数々。
(「星のフラメンコ」など)
つまり親として子として時代を共にしてきた歌を中心に選曲しました。

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ご高齢の方ばかりなのでおしゃべりも含めて30分の枠に収まるようにこころがけました。
ところが!

思いのほか(すこぶる)反応が良くて、アンコールに次ぐアンコール。
(3回もアンコールをいただけるとは思ってもいませんでした)

歌い始めは戸惑いの表情もありました。
でも歌い進めるにつれ表情がどんどんゆるんでいく。
場の空気があったまっていくのが手に取るようにわかります。
身体の自由が効かない方が多い中で、指先で調子をとる人もいます。
かすかに首をふりながら聴く人もいます。
年令と病気のため表情が変わらぬ人も少なくない。
でもかすかな反応を示してくれる。

ほっとひと安心。

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終わってみると40分を超えるコンサートになりました。

後でヘルパーさんたちにうかがいました。

ご老人たちが40分という長い時間を最後までしっかり聴くことは稀だそうです。
人によっては車椅子に30分座っていられない方も多いとか。(母もその一人)
それが最後までしっかり凝視していたなんてことはまずないそうです。
理由まで分析してくれました。

ひとつは選曲の良さ。誰もが知っている歌だということが大きい。
それでありながら安易に選曲ではなく、琴線に響くものが組み合わされていたこと。

変化をつけるためか歌いながら飛んだり、跳ねたり、しゃべったり。
歌の途中に短いおしゃべりを何度かはさむことで、歌がぐっと近寄った。
(自分としてはごくごく自然にそうなっちゃってるだけなんですが…)

そしてただ歌うだけではなく老人たちに寄り添うように歌っている

それはほめすぎだよと思う反面、やはりうれしいものです。

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「井戸端ライブ」はご老人たちにも(ほんのわずかだったとしても)成立しうる。
そんな気になりました。(自画自賛と笑うなかれ)

演ずる側と聴く側が混然一体となって共にひとつの空間と時間を築いていく。
そんな
「井戸端ライブ」は僕にとってライブのあり方の理想のひとつです。
共感・共鳴そして共有。
そんなことが少しでもできればやはりうれしい。

新しい環境での「旭が丘の家・コンサート」。
これからも長く続けていければいいな。

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