旭が丘の家コンサート 2014 夏
「子供の世代から、親の世代へのエール」
思いのほか(すこぶる)反応が良くて、アンコールに次ぐアンコール。
(3回もアンコールをいただけるとは思ってもいませんでした)
歌い始めは戸惑いの表情もありました。
でも歌い進めるにつれ表情がどんどんゆるんでいく。
場の空気があったまっていくのが手に取るようにわかります。
身体の自由が効かない方が多い中で、指先で調子をとる人もいます。
かすかに首をふりながら聴く人もいます。
年令と病気のため表情が変わらぬ人も少なくない。
でもかすかな反応を示してくれる。
ほっとひと安心。
終わってみると40分を超えるコンサートになりました。
後でヘルパーさんたちにうかがいました。
ご老人たちが40分という長い時間を最後までしっかり聴くことは稀だそうです。
人によっては車椅子に30分座っていられない方も多いとか。(母もその一人)
それが最後までしっかり凝視していたなんてことはまずないそうです。
理由まで分析してくれました。
ひとつは選曲の良さ。誰もが知っている歌だということが大きい。
それでありながら安易に選曲ではなく、琴線に響くものが組み合わされていたこと。変化をつけるためか歌いながら飛んだり、跳ねたり、しゃべったり。
歌の途中に短いおしゃべりを何度かはさむことで、歌がぐっと近寄った。
(自分としてはごくごく自然にそうなっちゃってるだけなんですが…)そしてただ歌うだけではなく老人たちに寄り添うように歌っている
それはほめすぎだよと思う反面、やはりうれしいものです。
「井戸端ライブ」はご老人たちにも(ほんのわずかだったとしても)成立しうる。
そんな気になりました。(自画自賛と笑うなかれ)
演ずる側と聴く側が混然一体となって共にひとつの空間と時間を築いていく。
そんな「井戸端ライブ」は僕にとってライブのあり方の理想のひとつです。
共感・共鳴そして共有。
そんなことが少しでもできればやはりうれしい。
新しい環境での「旭が丘の家・コンサート」。
これからも長く続けていければいいな。
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