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2014.06.05

【「1969年」 その1】

このところ自分の音楽の原点について思うともなく思っている。
原点をどうとらえるかってこともあるんだけどね。

...

子供の頃歌謡曲で育ったことが土台になっているとすればそれが原点ともいえる。
父が好きで頻繁に触れるチャンスのあったクラッシックやグレゴリアンも下地になっているともいえるし。
母にせがんで歌ってもらった童謡・唱歌の類だってそれ抜きには考えられない。

でも自らが求めて聴き、なおかつ演ずるようになった音楽をひとまず原点にするべきかな。

そう考えると「1969年」とそれに連なる数年間が僕の中でとてつもなく大きな意味を持ってくる。

この年僕は中学3年生だった。

世の中はきわめて流動的であり、混沌としていた。
高度経済成長の絶頂期で大人たちは「モーレツ」に働いていた。
人類が初めて月面に降り立ち、科学技術の進歩に大人も子供も胸を熱くした。

一方で日米安保条約の撤廃を求める学生運動がピークを迎えた。
その象徴が東大安田講堂に立てこもった学生たちと機動隊の「闘い」だった。
が…安保条約は自動延長となり安田講堂は「落城」した。
ジグザグデモを制圧する機動隊、壁に向かってホールドアップさせられている学生たちの手を映し出すニュース映像が今でも焼き付いている。

時を同じくして新宿西口広場で毎週開かれたフォークゲリラによる反戦フォーク集会。
広場を埋め尽くす若者たちの歌う様子が白黒のテレビに映し出される。
それは北国の小さな町にもつたわってきた。
やがて「広場」は「通路」と改称され、道路交通法違反とされ規制される。
警官に腕をつかまれながらもギターを弾き歌い続ける学生たち。
やがて警察隊に制圧され、収束していくフォーク集会。

熱と挫折に彩られた「1969年」。

田舎の中学生はわずかなニュース映像を便りに妄想をかきたてた。
「社会」について真剣に考え、行動を起こす大学生たちにあこがれた。
カッコいいと思った。
そして同時に「憐憫」を感じた。

「動」なるものと「静」なるものの同居する「1969年」

そんな頃函館の労音会館に高石友也や岡林信康らがやってきた。
フォークソング・フーテナニーってヤツを初めて体験した。
「思い出の赤いヤッケ」に胸を熱くし、身につまされながらも笑い転げた「受験生ブルース」(高校受験をひかえていた)、そして「勝利を我らに」や「友よ」の大合唱に胸が震えた。
フォークは生きている!

そう感じた。

そして自分もまたギターを弾き、歌い始めた。

憧れと妄想が原動力だった。

「1969年」

フォークソングとの出合いの年だった。

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コメント

初めまして、赤蝮といいます。
私も1969年が今の私の原点になってると思うんですよね。
1969年は青柳小学校の五年生でした。
私の場合は音楽じゃなくて性の話ですけど。
同級生が胸が膨らみかけて毛が生えかけた思春期が丁度1969年なんです。
そしてフリーセックスムーブメントの絶頂期です。
この世代に生まれた幸せをしっかり噛み締めています。

投稿: 赤蝮 | 2014.07.19 01:10

赤蝮さん。
コメントありがとうございます。

青柳小学校の同窓生なんですね。
1969年の時5年生ってことはもしかしたら長田君って知りません?

たしかに小学校の5年生ごろが思春期突入の頃ですね。
1969年は政治、音楽だけではなくいろんなことに対して、これまでの社会通念に疑問を投げかけた年でしたね。
フリーセックスも女性は家に男性は外で仕事をという通念にNoとした運動でしたね。

アメリカでも日本でもそれ以降女性の社会進出に拍車がかかったように思います。
現代社会の在り方に大きく一歩踏み出した年、それが1969年だったなんていうといい過ぎかな(笑)

投稿: Martin古池 | 2014.07.22 21:18

知ってる長田君は末広町の人で、牛乳に砂糖を入れて飲む人でした。
Martinさんは、健康優良児のムロタ君や阿部文雄の娘さんなんかの一個上ですね。

投稿: 赤蝮 | 2014.07.23 03:41

赤蝮さん。
僕の知ってる長田君は青柳町の日銀官舎。別の長田君ですね。
阿部ひろみちゃんは小学校の同級生です。
室田は潮見中学で同級生。
室田とは今でも親しくつきあってます。
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_f137.html

投稿: Martin古池 | 2014.07.24 06:46

計算間違いしてました。Martinさんはムロタ君の同級ですか。
三角公園のとこの竹田郁子さんも同学年ですね。いい女でしたよね、妹の竹田尚子ちゃんが同級生でした。
谷地頭のオトッチ。美少女の徳田奈緒子さんなんかも同学年ですね。

投稿: 赤蝮 | 2014.07.24 07:12

すいませんまちがえました。
竹田さんじゃなくて竹内さんでした。

投稿: わたし | 2014.07.24 21:49

わたし(赤蝮?)さん。
竹内郁子さんとも今も親しく付き合ってますよ。
夏休み、時間を合わせて函館に帰省し、同級生たちと盛り上がります。
今年も港祭りのころ、みんなが集まります。

赤蝮さんは、郁子さんの妹と同級生でしたか。

おとっち、徳田奈緒子、懐かしいなぁ。

投稿: Martin古池 | 2014.07.24 22:49

竹内姉妹はなまら性格良かったですね。
そういやムロタ君も、健全な精神は健全な肉体に宿るってのを絵に描いたような性格の良い人でしたね。
Martinさんは性格良い友達に囲まれて幸せ者ですね。Martinさんも性格良いからなんでしょう。
港祭りのころ函館行きたいなー。
ヒッピーの格好して、縦縞のジーパンとか履いて、水元の芝生の上でMartinさんのフォークソング聞いたら心がなごむだろ−なー。熊飼さんで買って来たRCコーラ飲みながら。

投稿: 赤蝮 | 2014.07.25 02:01

ヒッピーの格好して縦縞のジーパン!
40年間の風景がよみがえりますね(笑)
しかも場所は水元公園!
いいですね、それ!。

くわえて熊飼商店、RCコーラ!

40年前の函館の夏ですね。

来週、函館に帰ります。
もちろんギターも旅の友です。
久しぶりに水元公園に行ってみようかな。

投稿: Martin古池 | 2014.07.29 06:48

もしリクエストを受けて下さるなら、
僕のリクエストは、「サニー坊や」と「可愛い人よ」です。

投稿: 赤蝮 | 2014.07.31 01:41

赤蝮さん。
今函館に帰ってます。
明日竹内さんと会う予定です。
竹内さんの妹さんと同級生ってことは、石山幸太郎先生が担任でしたか?
実は僕も3年、4年の時石山先生でした。
して、明日先生と会う予定です。

投稿: Martin古池 | 2014.08.06 08:23

函館いいなー
石山先生は覚えて無いです。
顔を見ればわかるんだろうけど。

1、2が藤沢トシ子先生
3、4が加藤卓二先生
5、6が及川タケ先生
でした

竹内尚子ちゃんと同級だったのは3、4、5、6だったと思います。

投稿: 赤蝮 | 2014.08.07 23:15

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