「一粒の麦」
4月13日。
本日は父の命日。
あれから22年。
「もう」なのか「まだ」なのかよくわからない。
ずいぶん時がたち、いろんなことがあったという気持ちもある。
つい先日のできごとだったような気もする。
享年「68歳」が「早過ぎる旅立ち」だったのかどうかもいまだもってよくわからない。
僕は当時38歳だった。
父の闘病生活とその結末としての「帰天」を受け入れるのに充分すぎるほど大人だったはずだ。
でもいまだ受け入れていない部分があるのも事実だ。
「コイケヤーノフ・ノブオンスキー」というペンネームで若い頃からたくさんのエッセイを残した父だった。
ガリ版刷りの膨大な原稿を整理して作った遺稿集「一粒の麦」をあらためて読み返した。
「一粒の麦」を作ったころには気が付かなかった(感じることができなかった)ことが行間から垣間見ることができた。
遺稿集の結びの文章は3人の子供たちが書いた。
僕が書いた文章を再録しておこうと思う。
60歳を目前に控えた今、父の残した宿題
「お前の空白はお前自身で埋めろ」
この問いに答えを出せているのか
今一度ふりかえるべき時かもしれない。
『鐘聲時代』から『空白の時代』へ.文章にみる父の足跡は昭和21年から28年の青年期に書かれた『鐘聲時代』に始まり、30年の『空白の時代』経た末、晩年の10年間『森の声時代』で幕を閉じる。僕の知らない『鐘聲時代』。この約7年間の間に父はカトリックの洗礼を受け、長期にわたる肺結核の療養生活を経験し、やがて結婚へと進んでいく。青年時代の多感な文章を整理しながら、いつか僕は自分自身の青年時代とオーバーラップさせていた。数多く残された文章の中から今回選んだものは、僕自身のフィルターを通して濾過されたもの、僕自身に受け継がれている感覚に通じるものが多くなった。父の文章スタイルはクールでシニカルなものと、暖かく柔らかいものとが交錯している。昔から「情緒過多症」と言われてきた父はそれを自分の天性と受け入れながらも、それだけで終わることを拒否していたように思われる。背伸びを常とする青年期の文章にはその辺の感情の揺れが表れている。温かい文章を書きながらその底にはシニカルな観察が見え隠れしている。クールな批評を書きながらそれに徹しきれない情が見えかくれしている。『鐘聲』を舞台にして毎週のように書き続けた父も、結婚後はほとんど文章を残していない。「情緒過多症」であり、クールであろうとする父は、その自意識の強さのためか教会の空気に徐々になじめなくなり『鐘聲』から遠ざかっていったためと思われる。以降30年近く父の公式の文章を僕は知らない。そしてこの30年は僕が父に育てられ一緒に暮らしてきた時間と重なる。僕は父の生きざまをこの目で見てきた。それは晩年言われたようなダンディーでスマートな生き方では決してなかった。むしろさまざまに迷い、自分に生き方を模索してあがく「道草人生」であった。(エエカッコしいの父は迷ってる素振りをおくびにも出すまいとしていたが…)あがきながら実体験を積み上げ、心のひだを深く刻み込んでいる時期だったのではあるまいか。文章としては『空白の時代』だった。でもその空白こそが父にとって意味のあるものだったように思えてならない。..今僕はまさに「道草人生」の真っただ中にある。その時代の父の心情を読みたかったというのが偽りのない思いである。しかし「空白」であるからこそ意味があり、「空白」であるがゆえにそこに様々なメッセージが込められているように思う。無言のメッセージを投げかけながら父はニヤリと笑ってるような気がする。.「俺の空白は俺が埋めてきた。お前の空白は、お前自身が埋めるもんだ」.
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