懐かしきトランジスタ・ラジオ
昭和41年ごろ発売のSONYのトランジスターラジオ。
父がなけなしの財布から右側の1台を買ってきたのは僕が小学生高学年の頃。
それまで我が家にあったのは真空管ラジオでした。
このラジオを通して僕はたくさんの音楽に触れながら育っていました。
今思うと真空管ラジオの音は少しくぐもった、あたたかい音色だったように思います。
父がトランジスターラジオのスイッチを入れるとシャキッとしたクリアな音が小さな箱から飛び出してくる。
驚きました。
ヴォーという感じの音とともに聞こえる真空管ラジオに慣れた耳にとても鮮烈に響きました。
.
やがて父は左の1台も手に入れ2台をつなぎステレオで聴かせてくれました。
音の広がりに驚きました。
右と左で違う音が流れてくる。
それが混じり合いまるで音の波にただよっていると感じました。
.
当時の我が家の財政事情は決して裕福ではありませんでした。
家計費の多くは食費に消えていました。食べ盛りの男の子が二人いたわけですから。
父は「貧しても鈍するべからず」とエンゲル係数の高さを誇っていました。(やせ我慢?)
くわえて生来の音楽好き。
衝動を抑えきれなかったんでしょう。
おそらく月賦でこのトランジスターラジオを買ったんだと思います。
.
やがて父は職場に(丸日連合といった)持ち込み、夜なべ残業をしながら聴いていました。
暗い事務所の父の机のまわりだけがぽつんと灯りが点いています。
ラジオから流れるクラシック音楽。
背を丸めて机に向かう父の後ろ姿を1度だけ目撃したことがあります。
たぶん母に頼まれ夜食を届けに行ったんだと思います。
子供心にわけもなく切なく、哀しい気持ちがしたのを思い出します。
.
1枚の写真が思い出させる古い記憶は生々しいものですね。
| 固定リンク | 0
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 【人生最初の記憶】(2025.05.12)
- 空気のような歌い手でありたい(2025.03.25)
- ラヂオの想い出 最終回 「放送委員」(2025.03.25)
- ラヂオの想い出 5 「深夜放送にはまる」(2025.03.25)
- ラヂオの想い出 4 「鉱石ラジオ」(2025.03.25)
コメント