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2014.02.02

【知らなかった話 3】 いつ、なぜ洗礼を受けクリスチャンとなりしか

函館という街は異国情緒あふれる街といわれます。

それは江戸時代の末期に長崎、横浜と並んで初めて諸外国に門戸を開いた港町だということが大きいんだろうと思います。

特に当時街の中心だった今の西部地区にはカトリック教会、プロテスタントの教会、ロシア正教の教会などが立ち並んでいます。

キリスト教と共に西洋の文化が持ち込まれることが今の函館の風土を彩ってきたのかなと思います。

でもキリスト教は必ずしも市民の間で一般的なわけではない。

多くの市民はやはり仏教徒であったりするわけです。

元町界隈のキリスト教会群とともに本願寺がデンと構えていたり、護国神社が坂の上にあったり、ちょっと行くと巨大な八幡宮があったりします。

日本に根付いてきた文化と西洋文化との共存が函館の風土を形作っているのかもしれません。

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我が家はカトリックの家庭でした。

父も母もその実家は仏教徒なので、自分の意志でカトリックを選んだのだろうということは容易に想像できます。

でもこれまで両親がなぜ、いつ、どのようにして洗礼を受けたのかということは聞くチャンスがありませんでした。

知っていることは父も母もカトリック元町教会の青年会の活動を通して知り合い、恋におち、家庭を築いたということぐらいでした。

青年会の話は何度か聞いていましたが、その前のことは全く知らなかったのです。

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戦争だね

母は当時のことを初めて語ってくれました。

戦時中、キリスト教は敵性宗教ということでやはりごくごく少数派だったそうです。

たとえば酒井武雄先生一家などは戦時中からの信者でした。

酒井武雄先生は函館の音楽家で、僕の出た潮見中学の校歌を作った方です。

娘の淑子さんは声楽家でもあります。

戦時中は「アーメンさん」と揶揄を込めてよばれていたそうです。

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やがて戦争が終わります。

それまで良しとされてきたの価値観は一変します。

信じ込んできたものが否定され、国に裏切られたという思いが当時の若者たちの広がっていきます。

一方で西洋やロシアの文化が一気に入ってきます。

もともとそういうものを受け入れる土壌のあった函館。

若者たちの少なくない者たちはキリスト教の持つものに新しさを感じ入信していきます。

父も母もそういう若者の一人だったわけです。

終戦の年、父は21歳、母は20歳。

まさに多感な季節でした。

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終戦から70年に近い年月が過ぎ、キリスト教から離れていった人もいます。

反面で自己表現や「若さの発露」としての教会・青年会活動から脱皮し、信仰心を深めていった人たちもまた多い。

父や母はその典型かもしれません。
(父はかなりの紆余曲折があり、晩年に一気に信仰心を固めていったのですが)

戦争だね

そう、母が語る時

戦争というネガティブなものの中にさえ「一粒の麦」は蒔かれているという、確信に満ちた迫力を感じさせます。

僕も幼児洗礼を受けていますが、両親と違いお世辞にもカトリック教徒とはいえず
むしろカストリックな自分にはとうてい到達しえない境地です。

それでも「家族の歴史」の始まりを、たとえその一端でも垣間見ることができたことは大きな収穫となりました。

Photo_3

旭が丘の家にある小聖堂。木彫りの「最後の晩餐」

Photo_4

御御堂にて。
このすぐわきに父の遺骨が眠っている。
数年前、札幌の月寒教会の納骨堂から移し今は母のもとに帰っている。

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