山本熱史+Martin古池 スペシャル・トーク・ライブ at GINZA TRILL
山本熱史さんとの「スペシャル・トーク・ライブ」。
おもしろかったの一語に尽きます。
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熱史さんとの共演、いつか実現させたかったんです。
おたがいカントリー・ミュージックが大好きで、共にトミ藤山さんを敬愛する仲。
トミさんのライブや、仲間内の音楽イベントなどで時々はご一緒してきました。
でもがっぷり四つに組んでのライブはお互いに都合がなかなか合わず実現できずに来ました。
熱史さんのお骨折りで「GINZA TRILL」でこのたび実現の運びになったのです。
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ライブは熱史さんとたまさんのユニットWindy Wagonによるオープニング・アクトで華やかに幕をあけます。
たまさんが去り、一人残った熱史さん。
ごあいさつの1曲はジミー・ロジャースから。
熱史さんに呼ばれ僕はMartin古池のテーマを弾きながら登場。
ブルーグラス風のインスト。
かくしてむさくるしいおっさん二人のトーク・ライブが始まります。
おたがいカントリー音楽が好きでも演奏方法がまったく違います。
熱史さんはチェット・アトキンスの影響が強く、ギャロッピング奏法が達者。
一方僕はブルーグラスの影響が強く、カーター・ファミリー・ピッキングがなじんでいます。
そんな一面を浮き彫りにしつつ、それぞれ歩んできた音楽の道のりを歌とトークで紡いでいくというコンセプト。
ひとくちに歩んできた道のりといっても40年以上にわたってやってきたことです。さまざまな紆余曲折があります。
とても「ひとくち」(ライブは2時間)で語り、歌いつくせるものではありません。
そこで僕は次のように分け、時代ごとに自分を通り抜けた象徴的な歌をやることにしました。
音楽ことはじめとなった10代 (1960年代)
・想い出の赤いヤッケ (フォークソングとの出合い)
・まぼろしの翼 (社会派プロテスト・フォークへの傾斜)胸をふくらませ上京し、挫折を味わう20代 (1970年代)
・こうき心 (東京へのあこがれ)
・ふるさと (挫折)再生の出発点となり現在のスタイルに至る30代を象徴する唄 (1980年代)
・ROCKDOM 風に吹かれて (青春への鎮魂歌)
・おじいさんの古時計 (暮らしの中で歌うことの模索、再生へ)
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「おじいさんの古時計」はブルーグラス・カントリー音楽との出会いを象徴する意味も込めました。
ふたりの共通項であるカントリー音楽の名曲を2曲、それぞれのアレンジで演奏する試みにつなげるためでした。
その名曲は
ジャニー・ギター
テネシー・ワルツ
これがおもしろかった。
熱史さんのアレンジはジャニーギターをギャロッピング奏法で、テネシー・ワルツを正統派(?)の3拍子で。
僕は逆にジャニー・ギターは正統派(???)で、テネシー・ワルツを組曲にして8ビート~3拍子へ。
「青い瞳のステラ 1962年夏・・・」
進駐軍と共に日本に来た女性と、彼女にかわいがられた日本の子供の物語りです。
故郷テネシーに帰ることを夢見ながら、日本に骨を埋めたステラ。
テネシーワルツを歌いながら、子供の頃ステラにならったステップを刻む大人に成長した少年。
「テネシー・ワルツ」を背景としたひとつのドラマとの組曲という発想です。
8ビートで始め最後はスローワルツに帰っていくというアレンジ。
2曲とも二人が敬愛し、師と仰ぐトミ藤山さんのレパートリーです。
テネシー・ワルツはトミさんがグランド・オール・オープリーで歌われ、今もライブのエンディングで必ず歌われる名曲。
な、なんとトミ藤山さんがいらしてくれていて、ご本人の目の前で歌うワケで・・・
緊張しました!
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ライブの最後は2人で一緒の演奏。
上を向いて歩こう
お客さんと一緒にみんなで歌うことができました。
ありがたいことに(!)アンコールもいただき、「カントリー・ロード」で終演。
大いに歌い、それ以上に(?)しゃべった「スペシャル・トーク・ライブ」となりました。
けっこう長時間にわたりました。
最後までおつきあいくださった方々。
お店のママさん、マスター。
そしておぜん立てと共演をしてくれた山本熱史さん。
深く感謝いたします!
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熱史さんとは同じスタイルの「トーク・ライブ」を12月、
今度は僕のホームグランド、北越谷の「おーるどタイム」で予定しています。
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