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2013.04.06

冥土の土産

年度末の超繁忙をなんとかこんとか乗り切った。
なのにあいかわらずあたふた、ジタバタ。
4月に入ったら函館に帰ろうと思ってたんだがなぁ。

オフクロに電話したら「アンタの演奏を心待ちにしてる人がたくさんいるよ」と言う。
ありがたいことだけどネ。
でも本当はオフクロの口実、照れ隠し。
本人が一番楽しみにしてるんだろうな。
最近すっかり気弱になってしまった。

あと何度、あと何年、函館の老人ホームで歌えるんだろう。
できる限り続けていきたいと思う。
そこには待っててくれる人もいることだしね。

ここで歌う時、いつもいろんなことに気づかされ、考えさせられる。
80年も90年も生きてきた人たちの視線はきびしく、そしてやさしい。
そんな人たちの前で歌う時、知らずのうちに襟をただしている自分がいる。
ごまかしはすぐに見透かされそうな気がする。
何も言わず笑って飲み込んでくれそうな気はするが…
一生懸命歌うしかない。


そして一人になって考える。

自分にとって歌の持つ意味はなにか。
自分にとって「ライブ」はどうありたいのか。
誰のために、何のために歌うのか。

答えなんかたぶん出やしないんだろう。
それでもやはり考えさせられる。


ステージから客席に向かって歌うスタイルに最近違和感を覚えることが多い。
自分がかくありたいと思う「ライブ」の形とはちょっと違うような気がして。

仕事を終えた労働者が安酒場に集まりオダを上げる。
そのうちギターを弾きながら歌い始める。
労働者たちは好きな歌を次々にリクエストし、時に一緒に歌い、時に聴きいる。時にヤジを飛ばしチャチャをいれる。

多分そんなライブが一番好きなんだろうと思う。
ちっとも「音楽的」じゃないけどね。
それでもそういうライブが好き。

今度函館に帰る時、

ジイチャン、バアチャンと車座になり、その輪の一角で歌えればいいな。
おしゃべりと歌がシームレスにつながっていく。
おしゃべりの風向き次第で脱線したり道草食ったり。
でも最後はキッチリときめていく。

「冥土の土産にいい時間を過ごせた」
そう思ってもらえるようなライブができればいいな。
(去年そう言われたんです。この人、クリスチャンだってところがなんとも可笑しい)

「冥土の土産」は何度あってもイイっしょッ!

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