【函館日記 2012夏】 遠い日の花火
わくわくしていました。
港まつりの始まりを告げる花火大会。
函館港から打ち上げる花火を見るのは40年ぶりのことです。
幼心に初めて見る花火に、あんぐりと口を開けて夜空に見入っていたことを思い出します。
前日までの納戸の整理を終え、この日は母を伴い青柳町の生家を訪れました。
この夏取り壊される生家の見納めです。
母をホームに帰した後は自由時間。
谷地頭温泉で2日間の汗を流し、夕暮れの街を散歩しながら、花火大会の始まりを待ちます。
気もそぞろ。
子供のころは函館山の麓の高台に住んでいたので、花火はいつも高い目線で見ていました。
今回初めて海抜0メートルの西浜岸壁へ。打ち上げの真正面から見ることにしました。
暮色も濃くなりいよいよ花火大会の始まり。
最初の1発がドンと鳴った瞬間、記憶が子供のころに一気にタイムスリップ。
なぜか分からぬが、涙が流れてきます。
忘れていた記憶が次々に甦ってきます。
体の奥底に沈みこみ、時間という蓋をされていた記憶。
花火のドンに蓋が吹きとばされ、幾層にも積み重なり絡み合っていた記憶が一気に噴出してきたようでした。
花火を見つめながら、その向こうに遠い日を見ていました。
青柳小学校に上がったころでしょうか。
たぶん僕はいたずら坊主だったんだと思います。
母をずいぶん困らせていたんだと思います。(あまり記憶はないが)
1歳違いの弟は僕の後にくっついて歩いていたようです。(これもあまり記憶にないのだけど)
3人で花火を見上げていたのは護国神社近くの高台にある裁判所の官舎の前。塀にもたれながら見ていました。
母にしこたま叱られ、気持ちが沈んでいました。(理由はまったく思い出せない)
言葉も交わさず3人はただ花火を見つめていました。
長い長い沈黙が続きます。永遠に続くかと思うほどでした。
不意に母が口を開きます。
あと何十年もして、あんたらが大人になってさ
花火を見ながら思い出すんだろね
おかあちゃんに怒られて、
こうやって花火を見てたこと・・・
とても哀しい気持ちでその言葉を聞いていました。
それは叱られた悲しさとは全く違う感情でした。
子供心に時の流れの哀しさのようなものを感じたんだと思います。
長い長い年月が流れ、函館港に上がる花火を見上げる自分。
夜空に咲く華の向こうに、遠い日の記憶を見ていました。
涙がとまりませんでした。
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