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2012.12.31

ゆく年くる年 ~ライブ活動を中心に

2012年。

自分にとってとてもエポックメイキングな年になりました。

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1年にわたる長い(実感としてはあっという間でしたが)人生浪人を終え、この4月から第二の仕事に就きました。

これが何よりも大きな転換点。

人生浪人の1年とも、前職時代の暮らしとも全く違うパターンの暮らしが始まったのでした。

朝から晩まで、極端な言い方をすれば24時間頭の中のほとんどが新しい仕事のことで埋め尽くされていました。(今も)

長年やってきた印刷というモノづくりの仕事とは正反対、
人と人とのの関わりを業とする仕事。
それも相反する利害関係の中での人間関係。

これまでの常識はことごとく覆されました。
山と積まれた覚えねばならぬ知識。
身につけねばならぬノウハウの数々。

立ちはだかる大波に呑み込まれ、おぼれそうになりながら・・・
抗い「格闘」を続けてきたというのが実感です。

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そんな毎日の中でライフワークと定める音楽活動、ライブ活動にも変化が求められました。

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「数をこなし、場を踏むことで自らを鍛える」

そんなスタイルで続けてきたそれまでの10年。

「量から質への変化」
若い時分に嵌ったヘーゲルの弁証法理論が頼りでした。
場数を踏み続ける中で、ある瞬間革命的な質の変化が起きるという考え方です。
(いわゆるアウフヘーベンってヤツ)

結果、年間で100本近い数のライブを「こなして」来ました。
それもその多くはソロライブ。
ダブルヘッダーはあたりまえ、1日3回、ダブル2連荘を当然のように続けてきました。
お声がかかればどこにでも出向き、歌いました。

はたしてこのスタイル、革命的な質の変化をもたらしてくれたか・・・。
それはともかく、多くのものを学ばせてもらったのは事実でした。

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新しい生活環境の中でそれを続けていくことは極めて困難になりました。

物理的に、時間的に、そして何よりも精神的に。

ライブや音楽活動のあり方を見直しました。

暮らしの中で、あるいは暮らしに近いところで歌う

この原則を再確認することが見直しの始まりでした。

生活の場であり、仕事の場でもある越谷周辺にしっかり根をおろしたい。
この街ではぐくまれてきた「ご縁」を大切に育てていきたい。

そう考えるとメインのライブは絞り込まれてきます。

・朝市コンサート
・お好み焼きの三貴ライブ
・喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ

レギュラーライブともいうべきこの3つのライブ・コンサートを大切にし、集中していこう。

それぞれこの地での「縁の連鎖」から生まれてきた「場」。
その縁を紡いでいくことこそが一番大切なことだと思ったのです。
(「すみれコンサート」も同様なのですが、残念ながら今はまだ余力がなく再開できずにいます)

これらのライブを独立したものとは考えずに3つで1つと位置づけました。

月単位で考えると多くの場合「朝市コンサート」が最初になります。
ここでその月・その季節に合った歌や・今歌いたい歌を洗い出し、試します。
それをJUNEライブでかため、三貴ライブで深める。
2回目の「朝市コンサート」ではその月の棚卸のような感覚で歌います。
そして次に引き出される時のために「歌の倉庫」にしまいこみます。

この循環がうまくいくようになったのが2012年後半の成果だったかもしれません。

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この循環を裏で支えてきたのが散歩でした。

土日や余裕のある時ストック(ノルディック・ポールというらしい)を持ち、元荒川の土手道を2~3時間散歩します。

越谷の自然の中で季節のうつろいを感じます。
規則的なストックの音は様々な思いを引き起こします。
音楽のこと、ライブのイメージ、仕事のこと、家族のこと、子供の頃のこと、古いの恋こと…etc…

浮かんでは消え、消えては浮かぶ雑多な思い。
これらがライブの流れを組み立てたり、本番中のとっさのやり取りに実に大きな役割を果たしてくれました。

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2012年がまもなく過ぎようとしています。

2013年に大きな変化があるとは思いません。
今年同様レギュラーライブをメインにじっくり続けるのみです。

それでも今やっていることを続けていくが大事なんだろうと思います。
今まで通りひとつひとつのライブを大切にし、(牛の反芻のように)ふりかえる。
感じたことがすぐには演奏に反映することもないでしょうが、いつか血肉になっていく。
それを信じて来年もまた歌い続けようと思います。

イトコのENTA巣がフェイスブックに書いていた言葉を引用して、今年をしめくくり来年に歩を進めたいと思います。

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(来年も)「ピント外れかもしれない手掛かり」を道標に突き進みたいなぁ~

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居酒屋へ「出前ライブ」

長男が長年アルバイトをしている居酒屋「みよし」で出前ライブが年内最終ライブでした。

お店の常連さんたちによるクリスマス兼忘年会といったところです。

初めての店に入る時はいつも緊張するものです。
ましてや長男がお世話になっている店。

ミュージシャンの顔と親父の顔を半分半分に暖簾をかき分けました。

店内はすでに満杯。
お客さんは中高年層を中心にいくつかのグループになって談笑中。
お酒も入っていい調子。

セッティングをしながら情報収集。お客さんの会話に耳を傾けます。

ショーケンがどうの、ジュリーがどうのという会話が聞こえます。

選曲の柱がひとつ決まります。GS(グループサウンズ)で行けると踏みました。

与えられた時間は1時間。
あとは60年代~70年代の歌謡曲で肉付けすることに。

比較的若い世代のお客さんもいるので尾崎豊やチューリップ、チャゲ&飛鳥あたりのヒット曲ももぐりこませることにします。
やや高い年齢層の人もいるので三橋美智也先生や北島さぶちゃんも用意します。

「出前ライブ」での選曲は9割以上ポピュラリティのあるものを、その場で選ぶことにしています。
(そこにいるお客さんにとってポピュラーな歌というべきか)
特に酒宴などでは選曲でライブの成否が決まってしまいます。
だからライブ前の情報収集はとても大事。
(過去これをあやまり痛い目にあったことも…)
あとは演奏を進めながら軌道修正していきます。

オープニングは「なんとなく なんとなく」。

さっそく食いついてくれました。やはりGSは正解。

でもGSソングでたたみかけることはしません。
それをやっちゃうとGS一色になりかねません。
若い世代も、上の世代もいるわけで。
そちらに顔を向けるのが難しくなっちゃいますものね。

「少年時代」や「万里の河」、「サボテンの花」を挟みます。
この辺の歌は世代に関係なく広く親しまれています。

そしておもむろに「エメラルドの伝説」、「長い髪の少女」などGSの有名どころを何曲か。

会場は一気にヒートアップ。
GSでしばし走ります。

熱を冷ますように静かに「ホワイトクリスマス」~「Happy Birthday To You」

今日はクリスマス・イブ
キリストさんの誕生日
ここにもおひとり誕生日を迎えた方が・・・

そしてここにいる小さな子供たちが
幸せに年を重ねながら育っていけるように
「生命」という歌を歌います。

しっかり歌詞を聴いてもらえる土壌も出来上がったので、本日初めてのポピュラーではない歌を。

一転、「星のフラメンコ」。

再びヒートアップする会場。手拍子がありがたい。

「津軽海峡冬景色」につなげるとみなさん一緒に歌います。
(この歌はどこで歌っても必ずといっていいほど大合唱になります。歌に魔力でもあるのではないかと思っちゃいます)

わずか3分で
上野駅から青森経由で函館まで行っちゃう
すごい歌ですね
函館ついでに函館出身の歌い手さんのヤツを

「与作」(北島三郎)~夕焼けとんび(三橋美智也)

お時間は1時間を回ったころ。
そろそろ〆にかかろうと思ってるところにリクエストが入ります。
歌い終わると次のリクエストが。

お店のマスターが助け舟(?)を出してくれます。

Martinさんさえよろしければ、
ここで一度休憩を取っていただき
そのあとリクエストタイムということに

10分休憩した後、大リクエストアワーに突入します。
くるくる、どんどんリクエスト。

俺にも歌わせろ!

というお父さんも現れます。

さあ、ここからが難しい。
うまくコントロールしなければライブのシマリがなくなってしまします。
せっかくここまでいい感じで来たのにやり方を間違ええるとぐずぐずになっちまう。

突然長男が

オレも1曲歌います!

「恋しくて」
僕がギターを弾き長男が歌う親子コラボ。

きっちり弾くから
お前はきっちり歌えよ

と、アイコンタクト。

初めて合わす歌。
Beginのオリジナルに近いアレンジから外れぬように、ちょっとだけブルースっぽさを強調して弾きます。
長男もそれに乗っかるようにハスキーな声で歌います。

お客さんたちが親子コラボにじっと注視しているのがわかります。

歌い終えると大喝采

いよー!
てっちゃーん!

崩れかねない雰囲気が再びしまった感じになります。

ここがチャンスと思い、最終コーナーに突入します。

ノリのいい歌を何曲か歌い、最後はアンコールを兼ねて「心の旅」。

一緒に歌うお客さんたち。
しつこくリフレーンをくりかえします。
そして徐々にテンポアップし、何回目かには超高速に。
息切れしそうなところで大きくブレーク、一気にテンポダウンして終演。

いあぁ、楽しいライブでした。

当初1時間の予定でしたが、終わってみればノセられノセられ2時間半。

年の終わりに最高のライブをさせてもらいました。

集まってくださったお客さん。
自由にやらせてくれたお店のみなさん。
共演し、場が崩れるのを救ってくれた長男。

心から感謝です。

そして長男がこの店でかわいがられていることがよくわかったライブでした。
親父として、うれしかったなぁ。

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2012.12.09

うれしいライブ・オファー

今朝長男がふらりと遊びに来た。

   おやじ
   俺のバイト先で
   ライブやってくんない?
   店の人がオヤジのうわさを聞いたらしい

うちのせがれは隣り町の東川口の居酒屋でバイトをやっている。
もう10年近くも続けている。
オヤジの話など人様に話すようなタイプのヤツじゃない。
察するに話しの出どころは市場あたりだろうか。

そんなことはどうでもいい話。

うれしかったのはせがれに声をかけられたこと。
ふたつ返事でやると答えた。

我が家にはそれぞれの世界には足を踏み入れないという暗黙の不可侵条約がある。
べったりくっつかずに、ちょっと離れたところから見守るというスタイルだ。
これは僕の親父の代から続く「家風」みたいなもんだ。
子育ての時から適当な距離を置いてせがれたちとは付き合ってきた。
(ちなみに我が家の飼い猫モグにまでその姿勢をつら抜いている)
でも一朝ことが起きた時にはいつでも全面バックアップする。

そんな習慣がせがれたちにも受け継がれたようだ。
それが逆に妙に淋しく感じられることもある。
まったくわがままなもんだ。

所帯を持つ準備を始めている長男。
いよいよ一人歩きを始める季節になり、なんとはなしに淋しさを感じていた。
そんな折、せがれからのオファーがうれしかった。

   お客さんは地元のおっさん、おばさんが多いかな
   だいたい50代から60代
   おやじくらいの世代が多いよ
   その世代相手にライブ打てる人なんていないもな
   もっと若い世代のヤツは結構いるけどさ
   おっさん、おばちゃんにもわかりやすいのがいいな
   興奮に引きづりこめるようなライブがいいな

しっかり朝飯をたいらげ、しっかり条件をつけ、
せがれは帰っていった。

去年の暮れは二男とコラボレーションができた。
今年の暮れは長男と。
オレは幸せなオヤジなのかもしれないな。

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ビートルズと自分

昨日はジョン・レノンの命日だった。

日本、いや世界中でジョンの命日にちなんだイベントが行われたと聞く。
僕も埼玉の大宮「B+」というライブバーで行われたイベントに(偶然にも)参加させてもらった。
偶然というのはこのイベント・ライブに出演予定だった友人が体調不良で出演が危ぶまれ、SOSが入ったからだ。
ジョンが亡くなって以来「命日ライブ」とはとんと縁がなかった。
ジョンはもちろんビートルズのカバーレパートリーすら1曲もない。
ビートルズのカバーバンドに挟まれての演奏はなんとなく気おくれする。
ビートルズやジョンが嫌いというわけでは全然ない。
むしろその影響は多分かなり大きいのではないかとも思う。
いずれにしろ急に湧いて降ってきた出演依頼に自分とビートルズの関わりについて考える(思い起こす)チャンスに恵まれた。
幸運にも友人は気力で持ち時間の1時間のうち40分を歌い切った。
残りの20分をひきつぎ歌わせてもらった。
ビートルズの歌は歌わなかった(歌えなかった)
自分にとってのジョン・自分にとってのビートルズという観点で話をし、それにまつわる歌を歌った。
それは自分の中学、高校時代の想い出に遡ることになる。
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ビートルズショックが僕には3回ある。
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最初のショックは中学1年生だったと思う。
家のラジオから突然飛び出した「ツイスト&シャウト」
   なんだぁ!
   この音楽はぁ!
それまで歌謡曲少年だった自分がはじめて聞く音楽だった。
メロディラインはもちろんのこと、ハーモニーの美しさや演奏の「過激」さにノックアウトされた。
あれほどまでに扇情的な音楽を当時僕は知らなかった。
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当時洋楽ベストテンというたぐいの番組が日に2~3回あった。
そのどれにも何曲もビートルズが登場し、上位を独占していた。
レコードプレーヤーなど家にない時代だったからラジオにかじりついて聴いていた。
CDの音に慣れた人には真空管ラジオから流れるビートルズは輪郭がはっきりしないと感じられるかもしれない。
でもあのぼんやりとした、暖かい、それでも扇情的な音こそが僕のビートルズだった。
その後フォークソングにしびれ、自らもギターを持ち演奏するようになった
でもラジオから流れるビートルズは当たり前に聴いていた。
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高校生の頃音楽雑誌で読んだビートルズの解散。
脳天を割られるようなショックを受けた。
あのビートルズをもう聴くことができないのか。
文化祭で同級生たちがビートルズのカバーバンドを作り演奏しているのを聴きながら喪失感を感じていた。
2回目のビートルズショックだった
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1980年12月8日。
僕は生まれたばかりの長男を背負い蒲生の街を散歩していた。
街角の電気屋に人が集まっている。
なにごとかと思いその輪の中に入っていった。
街頭テレビにはジョンが打たれて死んだというニュースが流れていた。
僕はその場に立ちつくしていた。
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   ビートルズがなくなった
   もうあの音楽が聴けない
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それだけが頭の中を何度もぐるぐるまわっていた。
とりわけジョンが好きというわけではない。
ジョンの精神性、政治性の影響を強く受けたとも思えない。
僕にとってはビートルズのジョンだった。
ビートルズはジョンがいなくても、ポールがいなくても、ジョージがいなくても、そしてリンゴがいなくてもビートルズじゃない。
解散後それぞれの音楽は聴いてはいたし、好きでもあった。
それぞれの話題もそれなりに知ってはいた。
でもそれは僕にとってはすでにビートルズではなかった。
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あらためてふりかえると僕にとってのビートルズは思春期から青春期にかけて、そこにあった音楽だったように思える。
それはまるで空気のようなものだった。
あってあたりまえの存在だった。
失ってみて初めて分かる存在。
それが僕にとってのビートルズのような気がする。
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ジョンが死んで32回目の冬。
乳飲み子だった長男は今年32歳になる。
長男が誕生日を迎えるごとにビートルズがいなくなってからの年月を思い出すことができる。
真空管ラジオのあったかい、そしてなまめかしい音とともに。

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2012.12.03

2012年12月 ライブ・コンサート予定

12月02日(日)  喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ
             時 間  14:00~16:00
             場 所  tea room JUNE
             地 図  
             ★昭和の香りただよう喫茶店で
               昭和を彷彿させる歌の数々を

12月08日(土)  朝市コンサート 
              時 間 る  8:30~10:30
              場 所   越谷市場
              地 図   
              ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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12月15日(土)  池上の老人ホーム・クリスマス・コンサート
            
マンドリンユニット「ももてつ」とのコラボレーション

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12月21日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 
             時 間   21:00~23:30
             場 所   「お好み焼きの三貴」
                      東武伊勢崎線 新越谷(東口)
                      武蔵野線 南越谷(南口)
                       各徒歩5分
              地 図   

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12月22日(土)  朝市コンサート 

              時 間 る  8:30~10:30
              場 所   越谷市場
              地 図   
              ★越谷の台所「越谷市場」で毎月第2、第4土曜日

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