[戯言]欲と無欲
人はおそらく誰しもが欲を持っている。
自分にもライブに対して強欲なまでに強い思いがある。
それは避けられないほどの強い欲求だ。
それは決して悪いことではない。
欲のないところに進歩はない。
欲があるからこそ先に進める。
欲があるからこそ耐えられる。
少しでも良いライブがしたい。
少しでも技術的に向上したい。
少しでも表現豊かに演じたい。
少しでも聴き手と気持ちのやりとりをしたい。
こんな欲を極めて強く持っている。
こういう欲は若い頃から強かったように思う。
強欲なのである。
残念なことに欲と実体に大きな隔たりがあった。
それはにわかには埋められぬほど大きな隔たりだった。
だからこそ欲に引っ張られてここまできた。
欲張りな自分がここ数年、欲を捨てることに心を砕くようになった。
正確にいえばライブに臨む時は無欲でありたいと思うようになった。
「虚心坦懐、淡々と」「目は半眼に」「風に流れる柳のごとく」
最近好んで使い、自らに言い聞かせている言葉だ。
そういう境地に達していないからこそ言葉にするのかもしれない。
それにはワケがある。
ライブで欲をかきすぎると決していい結果にならないからだ。
そういうことが経験的にわかってきた。
ライブは文字通り生もの、生き物、水ものだ。
演者だけでは決して成立し得ないものだ。
演じ手と聴き手の相互作用がはたらいてはじめて成立する。
相互作用は強い方が得られる満足感が強くなる。
聴き手にも、演じ手にも。
この相互作用を阻むものが欲だと思う。
演じ手の一挙手一投足に欲が見え隠れすると、聞いてる方は引いてしまうものだ。
欲を自我と置き換えてもいい。
ライブでどれだけ自我を捨てることができるか。
これが目下のところ自分の課題と思っている。
厄介なことにこいつは意識的にはできないシロモノだ。
意識的に欲を捨てる、自我を捨てるって。。。
それ自体がすでに欲じゃないか。
(吉田拓郎の『イメージの詩』の一節を思い出した。「自然に生きてるって分かるなんて、なんて不自然なんだろう」)
願わくば自然にそんな境地になれればと思う。
普段の練習やイメージイングは強欲に。
されどライブでは無欲に。
そんな感じがいいのかもしれない。
またたわごとをはいてしまった。
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コメント
生ライブでは、スタジオ撮りなどとまるで違うでしょうね。まして、ファンばかりに囲まれたホームより、アゥエーに出かけていって歌うまぁちんさんは、とても難しいでしょう。
先日のライブで、「サマータイム」を歌い終わったとき、会場は、その声量と、抑揚の良さに、シーンと静まり返りました。その後、軽めの、軽快なテンポの曲にした。雰囲気を変えようとされたんでしょう。僕は
あの、ライブに限っていえば、「サマータイム」の後にラストに「力を抜いて目いっぱい歌う」曲をやって欲しかったです。
投稿: hiromi | 2012.08.30 00:12
hiromiさん。コメントをありがとうございます。
コットン・フィールズ~サマー・タイムは一連のセットととしてとらえています。
この後に何を持ってくるか、全体の枠の中でこのセットをどこに持ってくるか。なかなか悩ましいところがあります。
サマー・タイムを最後に持ってきて、「力を抜いて目いっぱい歌う」曲につなげて〆る。たしかにそれもありですね。
なかなか難しいもんです。
投稿: Martin古池 | 2012.08.30 06:20