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2012.06.14

末広がりの「八年目」

今週金曜の晩に予定している「お好み焼きの三貴ライブ」が8年目に足を踏み入れる。
7年間でおやすみしたのは1回。
(この時は喉をつぶして声が出ず、会話すらできなかった)

「朝市コンサート」も先月8年目に入った。
こちらも毎月2度、数回お休みしただけで続けさせてもらっている。

我ながら7年もの間、よく続けてこられたと思う。

毎月様々なライブをやらせてもらっっている。
それらのどれもが大切なライブであり、全力で臨んでいることに変わりはない。
それでも「朝市コンサート」と「三貴ライブ」は特別なものであり、レギュラー・ライブと位置づけている。
僕の暮らしはこの二つのライブを軸に組み立てられてきた。
前職時代も、人生浪人中も、そして今もそれは変わることなく続いている。

1回1回を務め上げることに全力を費やしてきた。
一喜一憂しながら歌い続け、少しずつだがようやく思い通りのライブができるようになってきた。

ライブ活動にゴールなどあるはずもないし、「これでいい」なんてこともまたありえない。

それでも「八年目」は節目の年。末広がりで縁起よし。
スタート地点に遡り、ふりかえってみるのも悪くはないと思う。

道を見失うことなく、これからもずっと続けていきたいから。

   八年目 見果てぬ先の 一里塚

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8年前、ライブ活動の中心は「街角ライブ」だった。
土曜の晩、終電過ぎまでの5時間を新越谷駅前で歌っていた。
この「街角ライブ」を修業の場と位置づけ、数年に渡って続けていた。


  あえて見知らぬ人の前で歌わなければならない。
  通り過ぎていく人たちに歌いかけ、いずれは聴いてもらえる力をつけたい。
  どんな状況にもひるむことなく、歌いきれるようになりたい。


当時僕はそう思いつめていた。
40代も半ばを過ぎてのことだ。

それまでは10年ほどライブハウス「ぶどうの木」のレギュラーとして歌っていた。
ライブハウスでのソロライブは自分を鍛え、育ててくれた。
しかしながらお客様に守られながら歌っていても、本当の力はつかない。
だんだんそう思うようになっていたのだ。

「ぶどうの木」が店をたたんだのを機にライブハウスでの演奏活動をいっさいやめた。
活動の場を街角もとめたのだ。
そこは見知らぬ人が行きかう雑踏の中だった。
武者修行の場としてはこれ以上のところはないと思えた。

最初の1~2年は全然ダメだった。
反応らしい反応はほとんどなく、打ちのめされる日々だった。

やがて小さな反応が少しずつだが寄り集まり、どうにか形になってきた。
足を止めて聴いてくれる人が増え、毎週来てくれる「ファン」もできてきた。
途切れることなく、誰かしらに聴いてもらえるようになっていた。
4~5年もの時間が流れていた。

「街角ライブ」がすっかり定着し、これからという時だった。
駅前での演奏に対して規制が厳しくなった。

たくさんの路上ミュージシャンたちが集まるようになり、競うように演奏を始めたのだ。
駅コンコースは種々雑多な音が入り混じるようになった。
彼らはまるで「雨後の筍」のように現れては消えていった。
中にはしっかりした活動の一環として路上ライブをやるものもいた。
反面、ひやかし半分や「公開練習」の連中も多かった。
ペルーのフォルクローレバンドが我が物顔で大音量の演奏や商売を始めるようにもなった。
マナーのよろしくない輩も少なくなかった。
当然様々なトラブルも起きるようになった。
駅コンコース「無政府状態」に陥いり、規制が入るのはある意味やむをえなかった。


そんな頃、駅で演奏中に越谷市場の組合長に声をかけられ、市場で歌うようになった。
「朝市コンサート」の始まりだった。
時を同じくして「お好み焼きの三貴」のオーナーに声をかけられた。
中小企業同友会の総会でのライブを頼まれたのだ。
それが「お好み焼きの三貴ライブ」につながっていく。

一方、新越谷駅コンコースでの演奏活動は全面禁止となった。
演奏を始めて10分もしないうちに駅の警備員や警官隊に囲まれ演奏を中止させられた。
(お巡りさんの中には僕の「ファン」もいたが、職務ではしょうがない)

当初は1回限りのライブと思って引き受けた市場やお好み焼き屋での演奏が残された唯一の「場」になった。
幸いにも気に入っていただけ、定期的な演奏になっていったのだ。

自分としては退路を断つつもりで臨んだ。
「街角ライブ」と同じように「修業の場」と位置づけ、新しい環境で活動をスタートさせた。

状況は街角よりもはるかに厳しかった。

市場の客は買い物という確固とした目的があって市場に来る。音楽はお呼びじゃないのだ。
お好み焼き屋も同様、食事が目的のお客さん。
くわえて閉ざされた店内で逃げ場がどこにもない。

ふたたび打ちのめされる日々が始まった。


    居合わせたお客のお邪魔にならぬよう、ご迷惑にならぬよう
    さりとて場の空気に埋没せず、しっかりした存在感を発揮できるような演奏を


それだけを意識しなが歌ってきた。

毎回違うお客さん、毎回ちがうお店の雰囲気。
いろんなことを試しながら続けているが、これといった「方程式」は今も見つけられずにいる。
一喜一憂もいまだに続いている。

8年目に足を踏み入れる。
これからも同じことをくりかえし、あいかわらずアタフタしながら続けていくことだろう。

しかし8年前に比べて大きな変化もまた表れている。
なによりも「修業」という意識が「楽しみ」に変わってきたことだ。
アタフタしている自分を別の自分がながめてにやりと笑っている。
以前は「場の空気に負けてたまるか」と自らを奮い立たせてきた。
最近はそんな気持ちが薄くなり、より自然にすっと入っていけるようになった。
肩の力が抜けてきたんだろうと思う。

これからの自分の変化を楽しみにしている。
10年目にはどんな心境で「朝市コンサート」や「お好み焼きの三貴ライブ」をやっているんだろうか。

なんにせよ、これからも変わらず虚心坦懐で淡々と続けるのみ。


これまで多くの方々に歌を聴いていただいた。
多くの友人たちも遊びに来てくれた。
あらためて深く感謝したい。
そして何よりもこれまで支えてくれた三貴のスタッフの皆様に心より感謝したい。

⇒「お好み焼きの三貴ライブ」の歩み

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