「一生懸命」 という言葉。 〜父との思い出
高校生の頃、ある地方誌に「いっしょうめんめい」という文章を書いたことがある。
「夢を語る」というようなテーマだった。
この年頃の若者の常で明日が見えずどう生きるべきか迷い、悶々としているころだった。
加えて時代は70年安保闘争に「敗北」し、当時の若者たちの「明日」は五里霧中だった。
社会派フォークが急速に衰退し、四畳半フォークが若者たちの心を捉えていた。
「しらけ派」と呼ばれる若者たちが表舞台に登場した頃である。
そんな情勢で「夢」について語れと言われてもそうそう語れるものではない。
でも先が見えないからこそ、今この一瞬を一生懸命生きたいと綴った。
自分を叱咤激励する思いで書いた文章でもあった。
この文章の評判はなかなか良く、あちこちからお褒めの言葉をいただいた。
褒められるとその気になり、有頂天になってしまう。
得意満面で父にその文章を読ませた。
父は「万年文学青年」と呼ばれており、彼の書く文章はお手本でもあった。
その父の文章を踏襲する形で書き、しかも各所からの評価も悪くはなかった。
当然褒めてくれると思っていた。
あまいな
一生懸命だけじゃ説得力がない
さんざんだった。
くいさがった。
「一生懸命」のどこが悪いんだ!
ほかに何が足りないというんだ!
父に正面から挑んだ最初のできごとだったかもしれない。
結局父の意見が理解できず、承服できぬまま自分のキャッチフレーズのように抱えこんで生きてきた。なかば意地である。
そして今にいたるまで一生懸命がんばってしまう性癖は続いている。
今朝散歩をしながらふとよぎった。
目標設定のないまま、やみくもにがんばっても夢はかなわない。
夢はあこがれ。にわかにはかないそうもないからこそ夢。
実現できそうなことは夢などではなく、目標というべき。
夢につながらない目標は底が浅く、虚しいものだ。
目標設定は大切なことだ。
それなしに一生懸命がんばっても向かうべき先が見えない。それはちょっと哀しい。
でもそれに拘泥しすぎると目の前が見えずに足元をすくわれる。
我ながらちょっと気の利いたフレーズだと思った。
突然40年前に父と交わした議論が、あの風景がよみがえった。
これだったのか!
オヤジが言わんとしてたのは・・・
この年になるとごく当たり前のことだし、ごく自然にやってきたことだ。
でも当時の若者だった自分にはそれが解らなかった。
プライベートでは「情緒過多症」で「万年文学青年」の父だったが、正反対の顔も合わせ持っていた。
係数管理とQC思考にこだわる企業人としての顔だ。
(彼は北海道の企業にQC手法を持ち込んだ最初の世代だった)
QC思考の視点から父は「一生懸命」という言葉の持つ美辞麗句と危うさを指摘したのかもしれない。
自分なりにちゃんとした位置づけのない「一生懸命」はきれいごとに終わりかねないと。
68歳。父は決して長いとは言えない人生の幕をおろした。
長年信仰してきたキリスト教の復活祭の朝だった。
まもなく父が旅立って20回目の命日がやってくる。
そして明日は復活祭。
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