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2012.04.16

通常営業中のライブの難しさ。(JUNEライブ記録)

常連のお客さんたちとこじんまり少人数で始まった「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」。
それは決して珍しいことではない。
歌ってるうちに一人増え二人増えというのが「JUNEライブ」のパターン。
お客さんの多くは弾き語り演奏をしていることなど知らずに入って来る。
そのまま居残って聴いてくれることが多い。
そういうお客さんを時間の許す限り「引き止める」ことができるか否かが「勝負」ともいえる。
(勝ち負けを云々するものではないけど)


まったりいい雰囲気でライブは始まった。
意識的に力を抜き、軽いタッチで歌い続ける。
事情があり今日はライブを早く終えなければならない。
70分1本勝負くらいのつもりでいた。
半ばBGMっぽい感じでゆるりと歌い継ぐ。徐々にふくらませ中間地点と最後に山場を持ってくる。
そんなイメージでいたのだ。

いい感じで進んでいた。
途中から入ってきたお客さんも楽しんでくれているのが分かる。
こちらもだんだん盛り上がってくる。
最後の山場に向かい、イスから降りる。

ギアを入れ替えようとしたまさにその瞬間だった。
団体さんがドヤドヤドヤ!っと入ってきたのだ。
年配男女が20人ほど。どうやら同窓会帰りのようだ。

大声でしゃべるは、仲間同士で写真を撮り合うは……。
空気が一瞬にして変わってしまう。

アプローチは試みたがなすすべなし。
ここまで聴いてくれていたお客さんが肩すかしにならぬように気持ちを切り替える。
幸い団体客が窓際の席を「占拠」したので、先にいたお客さんはステージ席のまわりに集まってくれる。

流れはすっかり途切れてしまったので、あとはフィニッシュまでの数曲をしっかり歌い切るしかなかった。


正直、消化不良のまま強引にフィニッシュに持ってきた感が残る。

でもそれはしょうがないことなのだ。
通常営業中のライブの宿命みたいなもんだ。
まずはお客さんありき。ジャマにならぬよう、されど埋没せぬよう歌うのが本筋。
波長が合い出して、やっと自分の色を少しずつ出せる。
運がよければ最後の山場を演出できる。

この1年ばかり最後までいけたのは運が良かったのだ。
いつどんなお客さんが入ってくるかは分からない。
今回のようなことがあってあたりまえととらえるべきだ。
どんな状況に出くわしても動揺することなく淡々と流せなきゃ。
(今回は気を取り直したものの、少々動揺してしまった)

まだまだだな!

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2012.04.14

【記録】春の初めの「朝市コンサート」

4月、そして年度始めの初ライブは「朝市コンサート」。
自分にとっては特別の意味があるライブだった。

1年間の浪人生活、暮らしの中心にライブ活動があった。
レギュラーライブはもちろん、毎週のようにやった「特別」ライブを軸に暮らしを組み立てていた。
充分な準備を元に、自分なりに納得のいくライブを積み重ねることができた。

今月から再び仕事とライブ活動の二足の草鞋。潤沢に使えた準備の時間はもうない。
そんな中でも納得いくライブを続けたい。
その第一歩が今日の「朝市コンサート」だった。


今朝は早めに起きて集中と気持ちを高めてきた。
イメージを膨らませて臨むのが「朝市コンサート」の準備。
本番が始まると流れにまかせて歌うしかない。
でもイメージがあるとなしとでは仕上がりも充足感も違ったものになる。
今日は春、雨、朝というキーワードでイメージを作る。
1ステージを通したストーリーよりも、1曲で完結させながら積み上げていくイメージを強く持つ。

雨降りにもかかわらず、市場はたくさんの人が行き交っている。
セッテイングしながらテンションも徐々に上がっていく。
普段ならお客さんの様子をうかがいながら徐々に高めていくが、今日はのっけからブルーグラス調の自作曲『朝市の歌』をぶつける。(作詞:鶴岡昭二 作曲:Martin古池)
勢いにのって『オールマイティ・ストリート蒲生』(作詞:鶴岡昭二 作曲:Martin古池)を湘南サウンド風味(?)で。

おなじみさんたちと会釈を交わしながら次々と歌いつぐ。
トークは一切なし。
気持ちいいように歌の中にスッと入っていける。
歌いながら感じる。

今日は丁寧に演奏できてる
力が抜けて楽に自然にやれてる
歌もギターも

お客さんの反応も申し分ない。
リクエストもかかり、カンパやお茶のボトルが数本並ぶ。

休憩を挟んでおよそ2時間。
最後までダレることなく気持ちよく、気持ちよ〜く運ぶことができた。

最初のライブとしては上々の仕上がり。
この流れを明日の「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」につなげよう。
ていねいに、ていねいにネ!


【本日の歌】

[1部]
朝市の歌
オールマイティ・ストリート蒲生
少年時代

海岸通
心もよう
思い出まくら
万里の河

窓ガラス
曼珠沙華

[2部]
さくら(ミツダイ)
赤ちょうちん
雨の物語
22才の別れ
夢一夜
交差点
わかれ
とんぼ
朝の雨

グッドモーニング・サンシャイン
我が心のジョージア
ラブシック・ブルース
テネシーワルツ


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2012.04.08

「一生懸命」 という言葉。 〜父との思い出

高校生の頃、ある地方誌に「いっしょうめんめい」という文章を書いたことがある。
「夢を語る」というようなテーマだった。

この年頃の若者の常で明日が見えずどう生きるべきか迷い、悶々としているころだった。
加えて時代は70年安保闘争に「敗北」し、当時の若者たちの「明日」は五里霧中だった。
社会派フォークが急速に衰退し、四畳半フォークが若者たちの心を捉えていた。
「しらけ派」と呼ばれる若者たちが表舞台に登場した頃である。

そんな情勢で「夢」について語れと言われてもそうそう語れるものではない。
でも先が見えないからこそ、今この一瞬を一生懸命生きたいと綴った。
自分を叱咤激励する思いで書いた文章でもあった。

この文章の評判はなかなか良く、あちこちからお褒めの言葉をいただいた。
褒められるとその気になり、有頂天になってしまう。
得意満面で父にその文章を読ませた。

父は「万年文学青年」と呼ばれており、彼の書く文章はお手本でもあった。
その父の文章を踏襲する形で書き、しかも各所からの評価も悪くはなかった。
当然褒めてくれると思っていた。


あまいな
一生懸命だけじゃ説得力がない


さんざんだった。

くいさがった。
「一生懸命」のどこが悪いんだ!
ほかに何が足りないというんだ!
父に正面から挑んだ最初のできごとだったかもしれない。

結局父の意見が理解できず、承服できぬまま自分のキャッチフレーズのように抱えこんで生きてきた。なかば意地である。
そして今にいたるまで一生懸命がんばってしまう性癖は続いている。

今朝散歩をしながらふとよぎった。


目標設定のないまま、やみくもにがんばっても夢はかなわない。
夢はあこがれ。にわかにはかないそうもないからこそ夢。
実現できそうなことは夢などではなく、目標というべき。
夢につながらない目標は底が浅く、虚しいものだ。
目標設定は大切なことだ。
それなしに一生懸命がんばっても向かうべき先が見えない。それはちょっと哀しい。
でもそれに拘泥しすぎると目の前が見えずに足元をすくわれる。


我ながらちょっと気の利いたフレーズだと思った。


突然40年前に父と交わした議論が、あの風景がよみがえった。


これだったのか!
オヤジが言わんとしてたのは・・・


この年になるとごく当たり前のことだし、ごく自然にやってきたことだ。
でも当時の若者だった自分にはそれが解らなかった。

プライベートでは「情緒過多症」で「万年文学青年」の父だったが、正反対の顔も合わせ持っていた。
係数管理とQC思考にこだわる企業人としての顔だ。
(彼は北海道の企業にQC手法を持ち込んだ最初の世代だった)

QC思考の視点から父は「一生懸命」という言葉の持つ美辞麗句と危うさを指摘したのかもしれない。
自分なりにちゃんとした位置づけのない「一生懸命」はきれいごとに終わりかねないと。


68歳。父は決して長いとは言えない人生の幕をおろした。
長年信仰してきたキリスト教の復活祭の朝だった。
まもなく父が旅立って20回目の命日がやってくる。
そして明日は復活祭。

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2012.04.03

夢を見た

オンボロ印刷機に手で紙を積んでる夢を見る。
それもクセの悪いボコボコの絵本用紙。
四隅のクセを直し、積んでも積んでもボコボコ。
紙の臭いが鼻につき目覚める。

思わず苦笑い。

「なんで今さら35年も前のことを…」

入社2日目。今日から2週間は大宮で研修。
トウの立った新入社員だが、気持ちは柔らかく謙虚に積極的に。

夢はそんな戒めだったのかもしれない。

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2012.04.01

四季折々の風景 ~天下御免の素浪人

早期退職を決意し浪人生活を始めた昨年の春。
まる1年が流れるように過ぎ去った。
いろんなことがあったようにも感じるし、何もなかったたようにも感じる。
長かったようにも感じるし、あっという間のようにも感じる。

年がら年中写真機を片手に散歩していた印象と、ギターを抱えて歌っていた印象しか残っていない。

1年間撮りためた写真から1年をふりかえるのも悪くはないかな。


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すべてはここから始まった。
ライブ@欧風屋 「今日まで、そして明日から」 (3/27)
印刷マンとしての生活に終止符を打ち、新しい道を求め帆をはり船出した「キックオフ・ライブ」だった。

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「昨日のことを思い、明日のことを考えることはやめよう。今だけを考えよう」
そう思って始めた越谷散歩。
市役所前を流れる元荒川沿いの土手道をホームコースに、毎日何時間もほっつき歩いた。

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陽気もよくなり自転車も復活した。


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カミさんの実家山形県長井に。
長井に根をおろして音楽活動を展開しているジョモGさんとセッション。
ともに地元に密着した音楽活動を志すという意味で意気投合し、大いに励まされる。


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ご縁があり震災後の東松島・名取の避難所4か所で慰問コンサート。
水をかぶったピアノが痛々しい。

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我が家に新しい家族が登場。名前をモグと名づける。(5/18)


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荒れる元荒川散歩。梅雨も間近い。(5/27)


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散歩がすっかり定着。新しいシューズを買い、軽やかな気分で歩く。

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物置と化していた二男の部屋を整理。スタジオに生まれ変わる。

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札幌に帰る。昨年亡くなった同級生の墓参りに恩師や友人らと滝川へ。
見事な菜の花畑のそばに友は眠っている。(6/8)

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松原団地パインアヴェニュー商店会主催の震災応援イベントにJACK ROWGUNGSで出演。(6/11)


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「お好み焼きの三貴ライブ」7年目に突入(6/17)

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函館に帰省。動きのとれない母を伴って大沼公園へ。(6/21)


0628

我が家の節電。西日の入るベランダにヨシズをかける。
風の通り道を探してひと夏クーラーはほとんど使わなかった。(6/28)


0729
「ライブ@欧風屋 旅の途中」(7/29)
浪人生活の中間報告を兼ねたライブ。多くの友人や元同僚たちが足を運んでくれた。


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夏の元荒川。(8/6)

0913
秋風が吹き始める元荒川。それでも日中の暑さは猛烈だった。(9/8)
このころから少しずつ求職活動を開始する。

0908
夕暮れの綾瀬川。(9/13)
秋の夕暮れはつるべ落とし。分単位で変わる風景を感じたくて、このころはもっぱら夕方歩いていた。

0917
愛車・レッドアロー号にまたがり見沼たんぼをサイクリング。(9/15)
秋とは思えぬ日差しだった。


0927
清津峡復興への第1歩。(9/27)
大雨と台風にやられキャンプ場への道が壊滅し、「Live in 清津峡」を中止せざるをえなかった。
管理人アキラッチの再建への挑戦がはじまる。

0924


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秋の元荒川。(9~10月)
秋の気配が色濃くなった。
再就職活動も書類選考で足きり。連敗街道がはじまり気持ちは秋模様。

1007
大森~池上まで文学散歩。(10/7)
「人生劇場」の作者、尾崎士郎亭で物思いにふける。青成瓢吉を思い、吉良常を思う。
滅びゆく者への哀惜の情が「人生劇場」の根底に流れるモチーフなのかなと思う。


1103
函館の生家を訪ねる。40年ぶりに中に入り、過ぎし日と時の流れの哀しさを思う。(11/8)
40年前、この家の庭、この場所で僕はギターを始めたのだ。


1106
長男が家を出る。餞別にHISTRYのギターを渡す。(11/17)
家の中が妙に広くなり、モグがひとり走り回る。

1110


1126
元荒川初冬

1229
年末の所沢市場(12/19)
二男とのコラボレーションで「朝市コンサート」

211
冬の見沼たんぼ。このころから手にストックを持ち、ノルディック・ウォーキングを始める。

217
草加公園・冬

224
福祉村・小春日和(2/24)
この日、再就職の内定が決まる。

229
雪の福祉村。

301
退職以来初めて前の会社に足を向け、以前の上司に報告。
小石川植物園では梅がほころんでいた。(3/6)

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