【函館日記 2011秋】 函館弁と自分
僕は普段は標準語でしゃべっている。(つもりだ)
内地で30年以上も暮らしてるんだからそうなるのもごく当たり前の話だ。
それでも帰省し函館の地を踏んだ瞬間にスイッチが切り替わりはごだで弁になる。
それはほとんど無意識のうちだ。
したってまわりがみんなはごだで弁なんだから。
ところが実際に幼馴染と会い、しゃべっていると自分の言葉に何となく不自然を感じることがあるのだ。(なんとなぐ、あずましぐないんだヮ)
どこかに標準語の臭いがあり、ネイティブなはごだで弁とは微妙に違った響きを感じる。
それは逆に内地で標準語で話しているつもりでも、どこかはごだで訛りが染みついているのと同じ。
函館で生まれ育ち、東京圏で生きているうちに函館弁と標準語が入り混じって今の自分の話し方になっている。
東京圏では函館訛りが溶け込んだ標準語を、函館(北海道)では標準語が溶け込んだ函館弁(北海道弁)をしゃべっているということだと思う。
函館弁のネイティブスピーカーに戻りたいという思いもある。
それにはUターンしてその地で暮らさないことには無理な話だろう。
反面でNHKアナウンサーのような標準語をしゃべりたいとは思わない。
(若いころはそう思ってたこともあるが)
どこかで自分のルーツを意識していたいという願いが歳を重ねるとともに強くなってきた。
それが一番端的に表されるのが言葉なのかもしれない。
函館に帰り、今回も多くの人と話すチャンスに恵まれた。
その断片の記録を【函館日記 2011秋】として認めた。
これまでも帰函の都度「函館日記」「札幌日記」として書いてきたが、今回は特に言葉を意識した。
ネイティブの函館人がしゃべっている言葉をできるだけ忠実に残そうと思った。
それは自分のルーツを確認することにつながると思ったからだ。
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