老人施設での音楽会、年内はすべて終わる
デイサービス「わーくわっく草加」での慰問音楽会を終え、年内の老人施設での演奏会が終わった。
「さっちゃんと音もだち」の一員として演奏するようになってまだ数ヶ月。
ずいぶんいろんなことを考えさせられた。
「慰問」という言葉がはたして適切なのか否か
なぜ老人施設なのか
どういうスタンスでこの手の演奏活動に関わるべきなのか
etc.......
多くの自問自答をくりかえしながら関わってきた。
そして未だすべてには明確な答えを得られぬまま試行錯誤している。
そしてこれからも自問自答をくりかえしながら続けていくと思う。
ひとつだけ分かっていることがある。
「慰問」音楽会は決して特別なことではない
他の音楽会(ライブやコンサート、音楽オフ会)と同様に
暮らしの中で結ばれた「ご縁」のままに歌わせてもらう
市場やお好み焼き屋さん、喫茶店、美容室で歌うことと同列である
回を重ねるごとにそのことがだんだんはっきりしてきた。
それぞれの場所、そこにいる人たちと歌を通してパス交換を積み重ねる
それによって聴いてくれる人に喜んでもらい
結果として自分にも喜びが反映されていく
たぶん僕が求めている音楽会の形やあり方はこういうものなのだろうと思う。
言い換えると「歌やおしゃべりを媒介にしたコミュニケーション」ということだろうと思う。
だからお好み焼き屋で一杯気分の人たちに歌うのも、施設でご老人たちに歌うのも自分の中では同じことのように思える。
どういう内容が一番喜んでもらえて、かつパス交換を図れるのか
そのためにはどういう準備をして、どういうスタイルで演奏するのか
違いがあるとすればこれだけのように思う。
たとえば老人施設でやる時は選曲の幅は戦後~高度経済成長時代にシフトすることになる。
この幅を中心にしつつ、自分とご老人たちがクロスする歌をピックアップすることになる。
共通体験(疑似体験も含めて)のあるものや、思い入れある歌を選ぶ。
この選曲作業は他の音楽会でもやっている作業でシフトする年代などが違うだけだ。
以前はそのことを明確に自覚できなかった。
これまでも「オカリナアンサンブル・かざぐるま」として、またソロでも「慰問」演奏をやってきた。
おおむねいい感じの音楽会にはできていたと思うが、どこかに迷いを残しながらの演奏だった。
だから「慰問」という言葉に敷居の高さを感じつつ、なかば自分で自分の背中を押しながら臨んでいたこともあった。
それがここ数ヶ月の老人施設での演奏を通して少しずつ整理されてきたような気がする。
老人施設で演奏してきた今年の成果かもしれない。
来年もまたご老人たちとの音楽会を続けていきたいと願っている。
来年の課題は整理されてきたことを実演奏の中で検証していくことかと思っている。
(同時に冒頭にちょっと触れたことなどを位置づけていくことも課題)
お世話になった「さっちゃんと音もだち」のメンバーに感謝いたします。
来年もまたいい音楽会をめざしていきましょう。
【追伸】
今年は明日29日が年内最後の演奏になります。
所沢の市場で10時からお昼ごろまでコンサートをやります。
年末売り出しイベントの一環とのこと。
これまた「縁」が運んでくれたコンサートです。
当初埼玉県のご当地ヒーロー「埼玉戦士サイターマン」ショーとのブッキングコンサートの予定でした。 (次男のバンド・アンチョビッツが「サイターマン」の音楽を担当している)
サイターマンショーができなくなり「朝市コンサート」のみをやることになりました。
初めての場所での演奏。
どんなことになるかは行って見なければ分かりません。
でも年の最後を息子とともにコンサート。
いいシメにしたいものです。
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