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2011.12.31

ライブカフェ「おーるどタイム」を訪ねる

師走の越谷。
ふく助さんと「おーるどタイム」を訪ねた。

地元越谷にこんな店があるとは思いもしなかった。
お店の名前が示すようにマスターはオールドタイムやブルーグラスのフィドル弾き。
僕にとっては演奏スタイルの原点にある音楽だ。
そういう志向の店が越谷にあるというだけでもうれしかった。

ブルーグラスだけに固執するのではなく、広くいろんな音楽もカバーするライブラインナップだ。

たとえば歌声喫茶のような企画を毎月やったり、沖縄音楽やハンマーダルシマーのライブがあったりする。
ウクレレの教室も毎月開催されている。

  講師は牧伸二の甥っ子で鰯屋猫輔師匠だ
  第1回「唄の驛」でゲスト出演してくれたウクレレ都都逸の名手
  20年ほど前、師匠は駒込のライブバーで下積みをしていた
  その頃、僕はよく一緒に演奏させてもらった


マスターといろいろ話をさせてもらい、共通の知人がどんどん浮かび上がってくる。(小松崎健さん、笹部益生さんや小島慎二さん、尾崎ブラザースetc...)
やはりこの世界は狭いと実感する。



やがて話は核心にせまる。
お店がどんなスタンスに立っているかだ。

オールドタイムやブルーグラスの専門店だと入口が狭く、敷居は高い。
誰でも行けるというわけにはいかない。
ゴリゴリのライブ志向であっても同様だと思う。

マスターとの話の中で浮かび上がってきたのはおおむねこんな感じ。

  地元に根をおろし、
  生活の中の一部として音楽を奏で、
  気軽に聴ける店にしたい

ふく助さんや僕がめざさんとしている音楽のあり方とぴったり重なる。

僕個人としてはライブの場が地元にまた一つできた思いだ。
「唄の驛」としても臨時停車のローカル駅として使わせてもらえそうだ。


このお店営業日が日曜、月曜のみ。
ライブの時は土曜日も店を開けるそうだ。
営業時間も10:00〜22:00。
他の日はマスターは別の仕事をしているそうだ。

つまり音楽好きが昂じてお店をやっているようだ。
ピュアな気持ちで音楽が楽しめる店にしたい。
そんな思いが営業的視点に勝っているように思えた。

話をしていてライブハウス「ぶどうの木」のマスターと話しているような錯覚を覚えた。
「ぶどうの木」もそんな意志で店を運営していた。
残念ながら夢は道半ばでついえ、店をたたまざるをえなかった。

そんなことを思い出しながら、「おーるどタイム」という店を応援したい気持ちが強まった。

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2011.12.29

老人施設での音楽会、年内はすべて終わる

デイサービス「わーくわっく草加」での慰問音楽会を終え、年内の老人施設での演奏会が終わった。


「さっちゃんと音もだち」の一員として演奏するようになってまだ数ヶ月。
ずいぶんいろんなことを考えさせられた。


  「慰問」という言葉がはたして適切なのか否か
  なぜ老人施設なのか
  どういうスタンスでこの手の演奏活動に関わるべきなのか
  etc.......


多くの自問自答をくりかえしながら関わってきた。
そして未だすべてには明確な答えを得られぬまま試行錯誤している。
そしてこれからも自問自答をくりかえしながら続けていくと思う。


ひとつだけ分かっていることがある。


  「慰問」音楽会は決して特別なことではない
  他の音楽会(ライブやコンサート、音楽オフ会)と同様に
  暮らしの中で結ばれた「ご縁」のままに歌わせてもらう
  市場やお好み焼き屋さん、喫茶店、美容室で歌うことと同列である


回を重ねるごとにそのことがだんだんはっきりしてきた。


  それぞれの場所、そこにいる人たちと歌を通してパス交換を積み重ねる
  それによって聴いてくれる人に喜んでもらい
  結果として自分にも喜びが反映されていく


たぶん僕が求めている音楽会の形やあり方はこういうものなのだろうと思う。
言い換えると「歌やおしゃべりを媒介にしたコミュニケーション」ということだろうと思う。


だからお好み焼き屋で一杯気分の人たちに歌うのも、施設でご老人たちに歌うのも自分の中では同じことのように思える。


  どういう内容が一番喜んでもらえて、かつパス交換を図れるのか
  そのためにはどういう準備をして、どういうスタイルで演奏するのか


違いがあるとすればこれだけのように思う。

たとえば老人施設でやる時は選曲の幅は戦後~高度経済成長時代にシフトすることになる。
この幅を中心にしつつ、自分とご老人たちがクロスする歌をピックアップすることになる。
共通体験(疑似体験も含めて)のあるものや、思い入れある歌を選ぶ。
この選曲作業は他の音楽会でもやっている作業でシフトする年代などが違うだけだ。


以前はそのことを明確に自覚できなかった。

これまでも「オカリナアンサンブル・かざぐるま」として、またソロでも「慰問」演奏をやってきた。
おおむねいい感じの音楽会にはできていたと思うが、どこかに迷いを残しながらの演奏だった。
だから「慰問」という言葉に敷居の高さを感じつつ、なかば自分で自分の背中を押しながら臨んでいたこともあった。

それがここ数ヶ月の老人施設での演奏を通して少しずつ整理されてきたような気がする。
老人施設で演奏してきた今年の成果かもしれない。

来年もまたご老人たちとの音楽会を続けていきたいと願っている。
来年の課題は整理されてきたことを実演奏の中で検証していくことかと思っている。
(同時に冒頭にちょっと触れたことなどを位置づけていくことも課題)


お世話になった「さっちゃんと音もだち」のメンバーに感謝いたします。
来年もまたいい音楽会をめざしていきましょう。

【追伸】

今年は明日29日が年内最後の演奏になります。

所沢の市場で10時からお昼ごろまでコンサートをやります。

年末売り出しイベントの一環とのこと。
これまた「縁」が運んでくれたコンサートです。

当初埼玉県のご当地ヒーロー「埼玉戦士サイターマン」ショーとのブッキングコンサートの予定でした。 (次男のバンド・アンチョビッツが「サイターマン」の音楽を担当している)
サイターマンショーができなくなり「朝市コンサート」のみをやることになりました。

初めての場所での演奏。
どんなことになるかは行って見なければ分かりません。
でも年の最後を息子とともにコンサート。
いいシメにしたいものです。

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2011.12.24

今年の「朝市コンサート」を終えて

今日で今年の「朝市コンサート」がすべて終了した。
年の瀬の「朝市コンサート」が終わるたびにいつも思う。


  ああ、もう年末だなぁ
  1年は早いな


暮れの買い物客でにぎわったり、チンドン屋さんが来たりといつもと違う空気に市場が包まれるからだろう。
今年は不景気のためかチンドン屋さんは来なかった。
(毎年チンドン屋さんとのセッションを楽しみにしている。残念だった)
買い物客も例年に比べると少なく、ちょっと寂しい年の瀬の市場だった。


今年1年の「朝市コンサート」をふりかえってみる。

毎月2回のコンサート。年間にすると24回。
このうち2回、お休みした。(体調不良と所用のため)
だから22回市場に立って歌った勘定だ。

今年の目標は「越谷市場の風物詩たらんこと」だった。

暗中模索と試行錯誤をくりかえしながら長年この場で歌い続けてきた。
これが現段階での到達点であり、「朝市コンサート」の立ち位置だ。

数値的に判断できる性格のものではないし、自分で風物詩たりえたかなど判断することもできない。
「風物詩」というのはその場に「あってあたりまえ」という空気のようなものだしね。

問題は風物詩たるためにどのように臨んだか、その場その場をどう対処したか、結果として自分で納得のいくコンサートにできたかということだろう。
きわめて主観的・主体的な部分だと思う。

淡々と歌い続けることができたというのが1年ふりかえっての感想だ。
何があっても、何もなくても虚心坦懐に淡々と歌い続けることがおおむねできた。
われながらこれはよくやったと思う。

特に今年の夏から歌う場所がより困難なところに変更になった。
それまで歌ってきたところは比較的閉ざされた空間であったため、買い物客の反応も分かりやすかった。
今歌ってるところは広い空間で自分の出す音が拡散され、返しの音が分からない。
お客さんの反応もなかなか分からない。
つかみどころのない喧騒を時折冷凍マグロを切るチェーンソーの音が切り裂く。

歌う側からすると孤独感にさいなまれる状況だ。

そういう中で心を乱すことなく淡々と歌うことができたことは良かったと思う。
むろん内心では「あっちゃー」という感じはたえずある。
それを飲み込んで歌えるようになったことが今年の最大の成果だったように思う。

淡々と歌いつつも、買い物客の反応には敏感になるものだ。

話しかけてもらったり、リクエストされたりという反応にはほぼ対応することができた。
知らない歌でも「次回まで待ってね」という感じでやりとりができた。
(むろん次回には歌えるように練習した)

難しかったのは目に見えにくい反応だ。
10メートル先を歩く人がこちらを見ながらニコリと笑ってくれる。
小さく拍手をしてくれる。
体でリズムを取りながら歩いていく。

こういう小さな反応こそが大切だと思うようになった。
小さな反応に対して自然な笑顔で応えることができるかどうか。

これが今の課題なのかなという気がする。
まずはそういう反応にどれだけ気づけるか。
気づいたらどう応じるか。

こういう小さなことの積み重ねが場を開拓することにつながるように思える。
来年の課題としておこう。

もうひとつの課題は「演奏の質」だ。

音が拡散する環境の中では自分の出音が分かりにくい。
フィンガーピッキングの音などまるで聞こえない。
知らず知らずのうち雑になっていることに気づきハッとすることも多い。

すべてフラットピッキングのストロークにすれば簡単ではある。
でもストロークだけで2時間歌うのはきついものがある。
お客さんはたえず流れていくから気にすることはないのかも知れない。
でも歌によってはどうしてもフィンガーで行きたいものも多い。
なにより市場の店の人たちもまた「朝市コンサート」のオーディエンス。
彼らは2時間ずっと歌を耳にするんだからあまり乱暴なことはできない。

やはり1曲1曲を今よりさらに大切に歌わなきゃならないと思う。

これもまた来年の大きな課題だ。


最後に自分に問うてみた。


  この1年、オレは「朝市コンサート」に納得し、満足しているか


課題をもって臨むことができた点では満足を得ることができた。
去年より今年の方が一歩でも前進できたと思える点で納得はいっている。

でも大きな課題が残っているし、思い描く「風物詩」たるにはまだまだまだまだ足りない。
その点で満足にはほど遠い。

ごくあたりまえの自己評価だ。


去年より今年、今年より来年をめざして研鑽に励むのみだ。


「朝市コンサート」
来年、8年目に突入する。
どんなものごとも結果が見えるようになるには10年かかると思う。
来年も「節目の10年」に向けた一里塚にしたいものだ。

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2011.12.19

友との再会 再開「唄の驛」に思う

定刻より少し遅れて会場の四谷ひろばの一室に入る。
演奏は始まったばかり。

懐かしい顔ぶれがくつろぎながらステージを観ている。
初めてお見かけする方も何人か混じっている。こちらはやや緊張した面持ち。

演奏の邪魔にならないように静かに腰を下ろす。
まわりの人たちと軽く会釈を交わす。
ゴリさんが顔をクシャクシャにして笑いかけてくれる。
マッキーさんがニコリと笑う。
みな目を細め、うれしそうな顔で返してくれる。


3月の震災以降「「唄の驛」」はながらくお休みしていた。
10ヵ月ぶりの再開だ。
時折行動を共にしてきた友も幾人かいる。
でもほとんどの方とは2月以来の再会。
(僕は2月の集まりは欠席したので1月以来ということになる)

懐かしさ、うれしさで胸がいっぱいになる。
わずか10ヵ月ほどなのだが、本当に長い期間だったように思える。

待ちわびていた。


ステージは無限堂さんに続いて蝉丸さんに。
なつかしのガロの名曲「地球はメリーゴーランド」


  まわる まわるよ
  地球はメリーゴーランド
  哀しみ 歓び
  すべて乗せてゆくよ


この歌詞がやけにしみる。


引き続いてoakboyaさんにバトンタッチ。
加藤和彦ときたやまおさむの「感謝」。
いろんな思いが胸に去来する。
やがて岡林の「友よ」に歌は変わる。

静かに歌うoakboyaさん。
みんながそれに寄り添うようにそっと歌をかぶせていく。

もうダメだった。
糸のように細い眼からしずくがあふれ出していた。

みなさんの歌を久しぶりにじっくり聴かせていただいた。
それぞれにこの10ヵ月の足取りを感じさせてもらった。


   みんなそれぞれに試行錯誤しながら
   それぞれの道を歩いてきたんだなぁ


演奏を聴きながらそんな感慨にふけっていた。


およそ1年ぶりの再会。
それぞれのローカル線を走ってきたメンバーがターミナル・ステーション「四谷ひろば」に集う。
一人ひとりのローカル線での足跡、痕跡を感じさせながら。

それぞれにステージや土俵がちがうもの同士。
当然めざすものも課題もみな違う。
でもたがいの今を受け入れ、認め合う。
そんなあったかい空気が流れていた。

さらにうれしかったのは急遽初参加してくれた芽亜利さん。
ライブや路上でがんばってる人だ。お会いするのは2回目だが彼女の歌は好きだ。
会場をポップな雰囲気で充たし、華を添えてくれた。


そして初めての落語。
高円寺亭 たら好さん。
杉並江戸落語研究会の顧問をされているたら好さんの小気味のよい話しっぷりは楽しかった。

唄や演奏だけではなく、演芸やいろんな大衆芸能をも含んだ集まりになっていくというのも「唄の驛」のひとつのあり方だなと思う。

今回僕は自分のネガティブな面をちょっと披露した。


   寒い夜
   根雪
   大空と大地の中で


この1年、いいことも楽しいこともたくさんあった。
でも同時に切ないこと、つらいこと、悔しいこともまたたくさんあった。
ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちとが交互にやってきて、心の中でせめぎあっていた。
(それは現在進行形でもある)
そのどちらも受け入れるべき自分自身。

僕自身のローカル線をあれこれ揺れながら走ってきた。
その「負」の部分にもスポットを当てようと思った。


ノーマイクで歌った。
それは心に渦巻く「黒い」気持ちがマイク→アンプ→スピーカーを通すことで薄まってしまいそうな気がしたからだ。
歌もギター伴奏も音量をおもいきり抑えた。
そうするために曲のキーをいつもより1音半下げた。


   明日のことなど 分かるはずもない
   分からぬ明日だから 夢見るのかも
   夢が大きすぎて かないそうもない
   かなわぬ夢だから かなえてみたいのかも
   だまりこめば 心の底まで
   しばれるような 寒い夜

      「寒い夜」

ネガティブな気持ちになっている時、人は出口の見えない暗闇の中に放り込まれたような気分になる。
「しばれる」という言葉は北海道弁だ。
氷点下10度に近い、身も心も凍てつき「どうもこうもなんない」時に使う言葉だ。

「根雪」はなにもかも白一色でぬりこめてしまう。
足跡も車のわだちも、そして「どうもこうもなんない」心のひだをも。
そしていつか時がたてば忘れられる。なにもかも。
「時」っていつなんだ?
そうかそれは「明日の日」、雪解けの春か。。。


   凍えた両手に 息を吹きかけて
   しばれた体を あたためて
   歩きだそう 明日の日に
   ふりかえるには まだ若い
   いつの日か しあわせを
   自分の腕で つかむよう

      「大空と大地の中で」

たぶん誰しも心の中で「明」と「暗」がたえず葛藤しているんじゃないか。
「明」の中に「暗」はひそみ、逆に「暗」の中にも「明」は息づいている。
それが「希望」というものではないか。

そんな思いを(願いを?)10分間・3曲に凝縮したつもりだった。
はたして、どのように受け止められたかな?


以前、「唄の驛」は『大人の上質な遊び場』というようなことを書いたことがある。
およそ1年ぶりに再開した「唄の驛」はやはりステキな遊び場だった。

再開を企画、ご尽力されたふく助さん。心から感謝いたします。
参加されたみなさん、いい時間をありがとうございます。

次回もまたお会いできるのを楽しみにしています。

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2011.12.16

流しのじいさん

ひとつの出会いがあった。

「憩いのデーサービス・越谷」での慰問演奏を終え、帰宅の途上だった。


この日僕は歩いて会場を往復した。
車を修理に出していたこともあるが、市内での演奏なんだから若い頃を思い出して自分の体ひとつで移動しようと思った。
車など持てない時代はいつも歩きでライブ会場に向かっていた。
その日の演奏をイメージしながら歩いていた。

時にはそんな原点に帰るのも悪くはないだろうと思ったんだ。
市内とはいえ片道1時間、およそ4キロの道のり。
背中にギターを背負い、ガラガラ(台車のこと)に12弦ギターをくくりつけ引っぱった。


日も暮れ始め少々疲れたんで、公園でひと休みしていた。
ベンチに腰を下ろし一服してると、どこからともなくかすかなギターの音色が流れてくる。
「湯の街エレジー」だ。
音のする方向に目をやり眺めると誰かが弾いている。
しばらく耳を凝らして聴いていた。

特別うまいというわけじゃないが、ずいぶんこなれた演奏だなと思いそちらに足を向けた。

はたしてけっこう年配のおっちゃんが黙々と弾いている。


   あんたさんもギターをやりなさるか


僕に気がつきそう声をかけられる。


   こなれたギターを弾かれますね
   もうずいぶん長いことやられてるんでしょう


   いやなにジジイの楽しみですよ
   昔は流しをやりながら暮らしてたこともありますがね
   もう歳で前のようにはいきませんワ


   失礼ですがおいくつになられます?


   今年で72歳
   もうジジイですよ
   いくつになってもギターだけはやめられない


そんな会話に始まりいろいろ話を聞かせてもらう。
ギターも貸してもらい弾かせてもらった。
かなり使い込んだ年代モノのガットギターに鉄線を張っている。
チューニングはどうやら1音程度下げているようだ。
あちこち自分で補修してあるが深くていい音だ。


   昔からこのスタイルでね
   ナイロン弦だと音が弱くて流しには向かないんですワ
   その代わり弦の力が強くてギターにはよくない
   見てのとおり満身創痍ですワ
   あんたさん、ウェスタンハットかぶってるところを見るとそういう音楽をなさるんで?
   なにか聴かせてくださいな


そううながされ「テネシーワルツ」や「峠の我が家」を低く静かに歌う。


   いい歌を歌いなさる
   しみる歌声ですな
   私は歯がガタガタで、もう歌はダメですワ
   直しゃいいんだろうが、先立つものがね・・・
   失礼ながらあんたさんの年頃じゃ、油の乗り切ってるころあいですな
   うらやましいかぎりです


元流しのこのじいさん(Tさん)
都内の酒場で流しをしていたが、流し自体がすたれやっていけなくなった。
その後地元新越谷や越谷駅近くの酒場で細々と歌ってきたらしい。
僕が新越谷駅で街角ライブをやっていた10年ほど前はまだそうして歌っていた。

今ではアルバイトをしながら生計をたて、休日にはこの公園でギターを弾いているそうだ。
そんなことを続けているうちに近くの子供たちに無償でギターを教えるようになったという。
青空ギター教室だ。
最近では高校生なども通ってくるという。
多分それがTさんの生きる励みになっているんだろう。

場末のミュージシャンのひとつの生き方を見させてもらった思いだ。

僕がこの歳になった時どんな形で音楽と関わっていられるんだろうか。
御年72歳というと敬愛するトミ藤山さんと同年代。
お二人の大ベテラン、それぞれの音楽との関わり方。

そして自分は・・・?
72歳、あと15年ほどで僕にもその年齢がやってくる。
15年は長くもあり、あっという間でもある。
この15年をどう生きるか。
いろいろ思うところが大きい出会いだった。


すっかり日が落ち、冷たい風が吹いてきた。
再会を約して公園を後にした。

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いろいろ試した「癒しのデイサービス・越谷」慰問コンサート

「さっちゃんと音もだち」のメンバーとして今週は「癒しのデイサービス・越谷」で演奏した。
今回はメンバーが集まれず主宰のさっちゃんと2人コンサート。

今回テーマになったことがいくつかある。

  1.クリスマスを折り込むこと
  2.いろんな楽器を紹介しつつ演奏する
  3.施設として慰問コンサートは初めての試みだったので利用者の方々に認知してもらうこと

クリスマスソングは数曲演奏。
エンディングに「きよしこの夜」をやったが、12弦ギターを試してみた。
普通のギターであればアルペジオで伴奏するところだが、フラットピックで小節の頭をダウンストロークでゆっくり弾き下ろすにとどめた。
この方が複弦の美しさが強調され、クリスマスキャロルに合うように思えたからだ。
思惑通りにいい雰囲気で演奏できたが難しさもあった。
強いピッキングでは音がにごりやすいこと。
また音量が大きくなるとクリスマスキャロルの静謐さを損ないかねないこと。
ピックはしっかり持たなければならないが、手首をやわらかく使う必要がありそうだ。
オートハープを弾くような感じで演奏したが、まだまだ練習が必要と感じた。
ちゃんと鳴らすには12弦ギターはけっこう難しい楽器だ。


今回はケーナも使った。
さっちゃんのギターと歌にケーナでからむ演奏。
ケーナという笛も高音域を多用するとかなりやかましい楽器だ。
低音域を中心に吹いてみた。尺八のようなイメージの吹き方だ。
歌の伴奏にからませるよりはインストで使った方が良かったように思う。
今度チャンスがあれば「コンドルは飛んでいく」や「花祭り」なども演奏するのもいいかもしれない。


さらになんと20年ぶりにハモニカを吹いた。
若い頃はハモニカホルダーを使って演奏することもしばしばあったが、ここ20年近くほとんどやっていなかった。
穴の位置を間違うのではと内心ひやひやしながら、「Home On Tne Range(峠の我が家)」を歌った。
(破綻せずに演奏でき内心ほっとしているが、けっこう危なかった)

慰問コンサート自体に慣れていないご老人たちや職員の方々にいろんな楽器を使いながらの演奏は変化があって良かったのかなと思う。

  【プログラム】

  ジングルベル →さっちゃん
  荒れ野の果てに~神の御子は(アデステ) →さっちゃん
  東京のバスガール →さっちゃん
  Home On The Range(峠の我が家) →Martin (ハモニカ使用)
  蘇州夜曲 →さっちゃん・Martin
  お正月 →さっちゃん (ケーナ使用)
  アメージング・グレース →さっちゃん
  テネシー・ワルツ →Martin
  北国の春 →Martin (リクエスト)
  神田川 →Martin (リクエスト)
  きよしこの夜 →全員で (12弦ギター使用)


【印象的な出来事】

職員の方が数名目頭をおさえていた。
怪訝に思いたずねると、この施設の利用者たちは認知症が進んでいる方が多いとのこと。
感情の起伏が激しかったり、無表情で過ごすことも多いらしい。
そのご老人たちが満面の笑みを浮かべて楽しんでいる。
その姿を見て思わず泣けてきたとのこと。

この話を聞き、慰問に来て良かったと思った。
喜んでくれる笑顔はなにものにも変えがたい報酬だ。

反面、後ろの席に座っていた一人のおばあちゃんが演奏開始直後から耳をおさえ聴くまいと抵抗していた。
とうとうこらえきれなくなり「音がうるさくてやんなっちゃうよ」とむずがりだした。
最後は職員にともなわれ、別室に移動していった。
老人ホームや施設ではよくあることではある。
病気がなせる業という点もあろう。
そうでなくても100%の人たちに喜んでもらえること自体ありえないことだ。
そういうひとつひとつを気にしていては演奏できないことも承知している。

その上で演奏するものとして、そのおばあちゃんの心に入り込んでいけなかった非力を反省するべきだと思った。
コンサート開始早々から気がついていたのに、そのおばあちゃんに心や目や声をかけるなどできなかったことが悔やまれる。
そうしたら自体は改善されたかというと、それは分からない。

こちらから早い段階で積極的なコミュニケーションをはかれなかったかということが反省点だ。


うれしかったこと、反省すべきことを通してあらためて感じることがある。

コミュケーションをとることの大切さと難しさだ。
どんなライブにも共通することだろうが、とりわけ老人施設などではそれが大切な要素だと感じる。

どんな場でもキャッチボール(パスの交換)ができるようになりたいものだ。

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ローカルFM番組に出演することに(冷や汗)

今週土曜日の夕方、スマイルFMというローカル番組に出演することになりました。
スマイルFMは埼玉県朝霞・志木・和光・新座あたりをカバーしているローカル局です。

     「困ったときは小ネタでないと!!
     アンチョビッツとえーじの楽しいラジオ、リターンズ」

     12月17日(土) 15:00~17:00(生放送)

     出演:chie、shin(アンチョビッツ)、☆えーじ☆(サポーターズ倶楽部)

     http://fm767.net/fm/?p=25230

実は番組パーソナリティを次男のバンド「アンチョビッツ」が担当しています。
先日彼らのライブを観にいった時この話が持ち上がりました。
番組プロデューサーもその場にいて、あれよあれよというまに決まっちゃったんです。


   オレはなにをやりゃいいんだよ


と、アンチョビッツの面々に聞くと


   ギター持ってきて、しゃっべって歌ってくれりゃいいよ
   オヤジは引き出しがたくさんあるから、なんてことないよな


と、軽くかえされ・・・

キンチョーしてます!

引き出しが多いと言われても、僕は「ライブ屋」。
目の前にオーディエンスがいてはじめて引き出されていくタイプ。
スタジオの中でマイクだけに向かってどこまでできるのやら・・・。


とはいえ、めちゃくちゃ楽しみでもあります。
次男とラジオで共演できるなんてこと、そうそうあるもんじゃないですものね。


さてさて、結果やいかに!

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今宵は「お好み焼きの三貴ライブ」


本格的な冬が始まりましたね。


先月の「三貴ライブ」の頃はまだ秋の香りがただよっていたのに、もう冬の匂いが。
公園の木々も葉を落とし、スコンと抜けるような空が見え始めています。
街を自転車で走ると冷たい風が身をさすようになりました。

そんな寒い夜。
お好み焼きをつついてあったまりませんか?
鉄板から伝わる熱気とお好み焼きやもんじゃのあったかさが、ほっと一息つけさせてくれますよ。

そしてお好み焼きのお供にMartin古池の歌はいかがでしょう。


おなかも心もあったまっていかないかい。


【お好み焼きの三貴ライブ】

   12月16日(金)   21:00~23:30
          
   「お好み焼きの三貴」
     東武伊勢崎線 新越谷(東口)
     武蔵野線 南越谷(南口)
       各徒歩5分

  http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html

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2011.12.09

デイケアハウス「そらいろ」 慰問コンサートで感じたこと

大宮公園そばの老人介護施設でのコンサート。
「さっちゃんと音もだち」の一員として参加させてもらった。

「そらいろ」は民家に毛が生えたようなこじんまりとした施設。
聞くと以前は喫茶店だったそうだ。
こじんまりとした分アットホームな雰囲気に満ち溢れている。
スタッフの一生懸命さが伝わってくる施設だ。

大きな老人施設では介護の組織化が進み、ビジネスライクな感じで営まれているところもなくはない。それはある程度やむをえない部分もあるんだろうと思う。

「そらいろ」はこじんまりとしている分、利用者とスタッフがよりフェイス・トゥ・フェイスで接することができるようだ。
利用者のじいちゃん・ばあちゃんたちにすれば、よりかゆいところに手が届くサービスが受けられる。
それが施設全体の雰囲気作りにいい影響を与えていると感じられた。

僕たちが到着した時すでにご老人たちは集まっており、歌を歌っていた。

物影から聞くともなく聞いていると昭和40年代の流行歌がお好きなようだ。
「ラブユー東京」だの「女の道」だのを歌っている。
みなさん仲がよろしいようだ。


     ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「さっちゃんと音もだち」はいろんなミュージシャンのネットワークだ。
おもに老人施設を中心にあちこちで慰問コンサートをやっている。
その時々で集まれる人たちで演奏する。

今回集まったのは5人のメンバー。20代~50代と様々な世代構成。

  主宰のさっちゃん(歌、ギター、ダンス)
  フルートののりちゃん
  笛(今回は特大のリコーダーが中心)のサキエルさん
  キーボードとバイオリンのしばちゃん
  そしてギターと歌とおしゃべりのまぁちん古池

Photo


サキエルさん、しばちゃんと音を合わせるのは初めて。
本番前のリハーサルで音や決め事を作っていく。
実はこの時間がかなり楽しい。

さっちゃんの組んだプログラムに沿って合わせていくのだが、どんどん脱線しながらゆる~くセッションする。
この脱線セッションが本番で意味を持ってくる。
それぞれの音楽性や雰囲気などをセッションでつかみつつ、脱線した歌がリクエストアワーで持ち弾として活きてくる。
キーとテンポ、リズムを合わせれば、たとえ知らない歌でも自然にからみあえる。
これが実に楽しい。


     :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


こじんまりとした食堂のがコンサート会場。
「ステージ」のすぐ目の前にテーブルがあり、歌本や飲み物が置いてある。
ご老人たちはテーブルに向かい車座に座っている。
演奏者とご老人たちの息づかいがたがいに聞こえるような空間だ。

セッティングの合間に先ほどご老人たちが歌っていた「ラブユー東京」をなにげなく弾き語ってみた。
とたんに食いつくご老人たち。
キーボードで絡んでくるしばちゃん。それにフルートをかぶせてくるのりちゃん。
(いやいやたいしたもんだ!)

ご老人たちが好きそうな歌(特に昭和40年代のもの)を次々に歌う。
しばちゃんも得意分野とみえ、あれこれ弾きはじめる。
若いのりちゃんもフルートで音をかぶせてくる。(知らない歌のはずなのに!)
一緒に口ずさむじいちゃん・ばあちゃん。
リクエストまで飛びかう。


  まだ、本番じゃないんだからね!


と言いつつも、場の空気がぐんぐんあったまっていくのが分かる。


そのまま本番に突入。
オープニングは趣向を凝らした。
サキエルさんがトナカイのきぐるみを着て物影で待機している。
「赤鼻のトナカイ」の演奏と共に登場。
狭い会場を練り歩くサキエル・トナカイとさっちゃん。

なんとスタッフに促されたばあちゃんたちがその後ろについてゆっくりゆっくり練り歩きだしたのだ。
最初はおずおずと、やがて嬉々として。
なんとまあノリのいいご老人たちだ。

この「行進」ですっかり打ち解けあうことができた。

その後のプログラムは和気あいあいのうちに進んだ。

017

  【プログラム】

  赤鼻のトナカイ
  荒野の果てに
  かあさんの歌
  青いカナリア
  蘇州夜曲
  アメージンググレース
  悲しい酒
  青い山脈
  ふるさと
  僕の嘘、君の嘘
  トナカイ・さきえる氏のオモシロ楽器紹介
  テネシーワルツ
  見上げてごらん夜の星を
  北国の春
  きよしこの夜
  幸せなら手をたたこう  (アンコール)


老人施設でコンサートをするたびに思うことがある。

「音楽コンサート」であるけれど、演奏すること自体を自己目的にしちゃいけないということだ。
最も大切なことはご老人たちといいコミュニケーションをとることのように思える。
音楽や演奏は「いいコミュニケーション」をとるための媒体のような気がするのだ。

ご老人たちに喜んでもらうことがなによりの目的(ゴール)。
だとすれば「コンサート」を通して共感・共鳴しあえるやりとり(パス交換)がなければゴールはおぼつかない。
歌や演奏を肴におしゃべりに興じることができるというのが理想かもしれない。

だからといって準備不足や中途半端な演奏が許されるというものではない。
「いいコミュニケーション」は本気で臨まなければ得られるものではない。
本気で語り、本気で歌わなきゃパス交換は成り立たない。
それにはできる限りの準備をして臨まなければいけないんだろうと思う。


「そらいろ」でのコンサートはいい結果で終われたと思う。
でもいいイメージ(準備も含めた)だけを残し、ひとまず忘れることにしよう。

今週末にはももっちさんご夫妻とともに都内の老人施設で演奏することになっている。
来週には越谷の老人施設で演奏する。

ひとつひとつに意識を傾けて準備を進めよう。


007


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