【函館日記 2011秋】 あの時代を知る古池の最後の女たち
帰函するたびに必ず本家のおばのもとを訪ねる。
父方のおばである。
御年96歳のおばを僕は子供のころから慕ってきた。
やせた体をまるで柳のようにしなやかに風になびかせて生きてきたおばだ。
おばには口癖がある。
あの時代を知ってるのは、
あんたの母さんと私だけになってしまった
あの時代を知る最後の古池の女たちさだから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで仕方ないのさ
昔話しても分かるのはあんたの母さんだけだからね
この口癖を枕詞に延々と「あの時代」を叔母は語りだす。
えんえんと何度も何度も。
.
「あの時代」
戦中、戦後の函館と古池の家のことだ。
祖父は明治の末愛知県から裸一貫で函館に入植し、行商をしながら呉服店を立ち上げた人だ。
商売にはもちろん人付き合いにも厳しく襟を正す人だったのは僕も子供ながらに感じていた。
家長である祖父が絶対的権威をもつ家に叔母は嫁いできた。
小学校の先生だった叔母がしきたりもなにも全く違う商家に嫁いできたわけだ、さまざまな苦労があったという。
私は商売のことなんかなんも分かんないのさ
なんも分かんない私が店に立つと父さん(僕のおじ)に恥かかすと思って
おじいちゃんは立派な人だったけど、厳しい人だったっしょ
父さんもおじいちゃんをそのまま受け継いでるしさ
おばぁちゃんに影からずいぶん助けられたんだヮ
あんたの母さんもおんなじなわけさ
これは私らでないばわかんない話だもね
.
僕の父は商家のしきたりに反発して家を出た人だった。
人はいかに生くべきか
というようなことをたえず自問しているような人だった。
(父のことを理想主義的万年文学青年と言った人も多い)
残念なことに万年文学青年は万年貧乏生活を余儀なくされていた。
反発して家を出たにもかかわらず、経済的には本家にずいぶん世話になっている。
そこに嫁いだ母は本家との間でずいぶん気を使ったという。
特に祖父母は晩年、「隠居所」を我が家の敷地に増築して移り住んでいる。
目に見えない気苦労をしてきたはずだ。
.
そういう時代、そういう家だったから
今の時代とは違った苦労があったわけさしたけど私もあんたの母さんも
ぜんぜん、そんなこと苦じゃないわけさおじいちゃんも、私の父さんも、あんたの父さんも
みんな気難しい人だったけどね
みんなえらい(立派な=自分を持ってる)人だったからねそんな時代のこと話してもすっと分かってくれるのは
もうあんたの母さんだけになってしまっただから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで・・・
かくして話はふりだしに戻り、えんえんとくりかえされていく。
残念なことにイクちゃんは昨年転んだことがきっかけで
今は身動きに不自由な生活を余儀なくされている。
ハナちゃんのもとへ遊びにもなかなか行けない。
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「あの時代を知る最後の古池の女たち」が
いつまでも元気で過ごしてくれることを心から祈る。
.
ハナちゃん 96歳
イクちゃん 86歳
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コメント
こんにちは♪
読んでいて思わず目の前が曇ってしまいました(^-^;
昔の女性は本当に芯のある、勤勉で慎ましいですね。
終わらないお話を笑顔で聞いているMartinさんが目に浮かびます。
どうぞいつまでもお元気で(^-^)
投稿: みかん | 2011.11.15 11:17
みかんさん。
コメントをありがとうございます。
叔母や母の話を聞くと
昔の日本人は男も女も、不自由な中に自由を見つけてきたように思えます。
世の中が豊かになり、僕たちはいろんな点で自由になりました。でもうっかりするとその自由におぼれそうになることもあります。
「足るを知る」という心境、なかなか難しいですよね。
年寄とのエンドレスの会話。
嫌いじゃありません。
そこに「足るを知る」を見ると、頭が下がり、見習いたいとも思います。
でもやっぱり難しい…
投稿: Martin古池 | 2011.11.15 12:17