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2011.11.30

2011年12月 ライブ・コンサート予定

★12月03日(土)~04日(日)
             清津峡 仮開通記念音楽会
           神奈川県南丹沢 清津峡キャンプ場

http://mixi.jp/view_event.pl?id=66417974&comm_id=2250193


★12月08日(木)  老人ホーム慰問コンサート
              さっちゃんと音もだち
              土呂


★12月10日(土)  朝市コンサート 
              8:30~10:30
              越谷市場

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html



★12月11日(日) すみれコンサート 
             夕方4時~6時
             すみれ美容室
             (東武線蒲生駅東口 徒歩3分)
             【出演】 渡辺則子(ハモンドオルガン)
                  ももっち夫妻(マンドリン演奏)
                   Martin古池(ギター語り弾き)

http://navisai.com/048-986-5243/



★12月15日(木)  老人ホーム慰問コンサート
              さっちゃんと音もだち
              越谷



★12月16日(金)  お好み焼きの三貴ライブ 
              21:00~23:30
              「お好み焼きの三貴」
              東武伊勢崎線 新越谷(東口)
              武蔵野線 南越谷(南口)
              各徒歩5分

http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html



★12月18日(日)  唄の驛 参加
              13:00~21:00
              四谷広場



★12月24日(土)  朝市コンサート 
              8:30~110:30
              越谷市場

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html




★12月25日(土)  喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ 
              時間  14:00  
              出演  エイぼん:まぁちん古池
              「喫茶店JUNE」
                東武伊勢崎線 松原団地(東口)徒歩3分

http://r.tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11013496/dtlmap/

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ギター今昔物語 山形のじいちゃんのちょっといい話

カミさんの実家、山形県の長井市に帰っていた。

  先日亡くなった母方の叔母の墓前に線香を上げること。
  体調を崩したばあちゃん(カミさんの母親)の陣中見舞い。

今回は浮世の義理を果たす旅で、なにかとあわただしく時間が過ぎ去った。

もう少し余裕があれば長井に在住し、ジョモGさんとセッションを楽しみたかった。残念ながらそれはかなわなかった。
ジョモGさんは長年地元長井市の縄文太鼓で地道な音楽活動をされている方だ。
昨年のトミ藤山さんの浅草公会堂でのコンサートをきっかけに知り合った。
僕と同じ年生まれで、カミさんとも同学年(学校は違うが)ということもあり親しくさせてもらっている。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1708955494&owner_id=8462917



それでもこの春からギターを始めた甥っ子2人と遊ぶためギターを持参した。

夕食後甥っ子たちにスリーフィンガーを教えていると、突然じいちゃん(カミさんの親父さん)が言い出した。


   オラにもギター触らしてけれ


初めてのことだった。
この30年帰省のたびにギターを持っていったのに、これまでそんなことはなかった。
僕や息子たちが弾くギターをただ眺めているだけじいちゃんだったので、いささか驚いた。

Pb223967

ポロンと鳴らしながらポツンとつぶやいた。


   昔、ばあちゃんさ聴かっしぇるんで (聴かせるために)
   夜道をギターたがって(持って)、自転車漕いで走ったごで



   なに、つうことはギターでばあちゃん口説いたんか?


じいちゃんはニヤニヤ笑うだけだった。


   ばあちゃん、それほんとだがした? (本当なの?)


   んだぁ
   そげなこともあったごで (そんなこともあったよ)
   ギターかついでよ
   やんや、遠い道走ってきたべした (走って来たんだよ)



   なぁに聴かしたんや (何を聴かせたの?)


   湯の街エレジー




これまでじいちゃんとばあちゃんの青春時代に思いをめぐらせたことなどなかった。

真っ暗な田んぼ道をギターを背負って走る若き日のじいちゃん。
若き竹細工職人がギターを弾く余裕など当時の日本にはまだなかっただろう。
若き日のばあちゃんに聴かせたい一心で、「湯の街エレジー」をくりかえしくりかえし稽古したんだろう。

親に反対され、すんなり結婚できなかったという話は聞いたことがある。

思いのたけを「湯の街エレジー」に託して歌ったのかもしれない。


   ああ 初恋の
   君を尋ねて 今宵また
   ギターつまびく 旅の鳥


じいちゃんとばあちゃんの青春が急に生々しく感じられた一瞬だった。





【追記】

翌朝、僕はじいちゃんに帽子をプレゼントした。
時おりステージでかぶるシャッポだ。

   じいちゃん
   あんたの歌がばあちゃんの心を動かしたのかもしれないよ
   だとすれば、あんたは立派なミュージシャンだね

Pb233993

埼玉に帰宅した後、ばあちゃんから電話があった。
あの帽子がいたく気に入ったようだ。
さっそくかぶってふらふら散歩に出かけたそうだ。

 

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2011.11.21

【記録】 かりゆしフォークナイト

金町にある沖縄料理店「かりゆし」さんで開催された「かりゆしフォークナイト」。

盟友の一人、ふく助さんが企画し、今回が2回目となるこの音楽会にメインキャストとして関わらせていただいた。

「かりゆし」では沖縄音楽のライブは時折やられているそうだが、あえてそこで「フォークナイト」として音楽会を開催した。

出席が予想されるお客さんの大半は同世代の沖縄出身者や沖縄音楽愛好家たち。
(かりゆしマスターと僕は同じ日に日本の最南と最北で産まれたという奇遇もある)

その彼らに北国生まれの僕がどのように切り込み波長を同化させていくかということが課題だった。

内心「フォークソングとはなんぞや」という永遠の命題を意識せざるを得なかった。

土着の音楽
「民衆」の中から生まれた音楽
暮らしに結びついた音楽
etc.

いろんな風に解釈されるフォークソング。

体に染みついた音楽という風に言い換えてもいいように思う。

そう考えると沖縄民謡は彼らの体に染みついたフォークソングともいえる。
(もともとフォークソングの意味は民謡であるわけだし)

同じ理由で時代の流れの中で知らずのうちに聞き覚え、口ずさんできた流行歌の数々。
これもまた立派なフォークソングたりうると思う。

流行歌=はやり歌とは本来的に一過性の歌である。

でも「流れゆく時代」というフィルターを通して生き続けることによって、
また記憶の海の底に沈み、静かに発酵することによって
フォークソングにたりうるように思える。

「かりゆしフォークナイト」で僕は普段よりも強くそれを意識して臨んだ。

(ふく助さんの企画でもサブテーマを「私たちの『夏の時代』をふりかえる」という風になっていた)

そんな観点から選んだ歌は次の通り。

なんとなく なんとなく
サンフランシスコ・ベイ・ブルース
恋人たちのペイブメント
もう一度
外は白い雪の夜
追伸
わかってください
秋桜(コスモス)
時代

軽いストーリー仕立ての40分ステージにした。

「フォークナイト」の流れ次の通り。

【1部】ライブコーナー

★hal-3(はるさん)による沖縄民謡の三線弾き語り

てぃんさぐぬ花
白雲節
さとうきび畑

★まぁちん古池フォークライブ

【2部】参加者とともに歌うコーナー

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とにかく楽しいの一言につきる音楽会だった。

お客さんは予想通り沖縄出身の同年代の方とその子供たちが多かった。

オープニングの「なんとなく なんとなく」を歌い始めた瞬間、すぐに一緒に歌いだす。

知らない歌でも体を揺らしながら聴いてくれる。

歌い手と聞き手の間にぐんぐん一体感が生まれていく。

互いに引きこまれあうとでもいうのか、こんな感覚を感じさせてもらえるなんてそうあることではない。

沖縄の人たちは歌や音楽や踊りと共に暮らしているという。

そのことをまのあたりにした思いだった。

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[追記]

僕と同じ北海道出身で「かりゆし」の常連となっているケンさんと一緒にビートルズを歌った。

ケンさんは典型的な道産子の空気を感じさせてくれるナイスガイだ。
沖縄の風の中にすっかり同化しているケンさんを見ていて思った。

道産子気質と沖縄人気質、相通じるものがありそうだな。

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2011.11.17

【お知らせ】 今週末のライブを二つ

寒くなりましたね。

季節はいよいよ秋から冬に急カーブを切ったようです。
東北・北海道ではもう雪が降り始めてるそうです。

こんな夜はあったかいものが欲しくなりますね。
あったかいものといえばお好み焼き!
鉄板を囲んであったまりませんか。

団らんのお供にまぁちん古池の歌はいかがでしょう。


★11月18日(金)  お好み焼きの三貴ライブ
           21:00~23:30
           「お好み焼きの三貴」
           東武伊勢崎線 新越谷(東口)
           武蔵野線 南越谷(南口)
            各徒歩5分

http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html

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そして翌土曜の夜は沖縄料理のお店、「かりゆし」さんでフォークナイト。
寒い夜に南国料理をつつきながらの音楽会はいかがでしょう。

音楽会は2部構成です。
1部はまぁちん古池のステージ。
2部は呑み歌会です。参加者が主役の井戸端ライブ。

「かりゆし」のマスターは沖縄民謡の使い手。
本格的な三線と歌が聴けるかもしれませんよ。

ちなみにマスターと僕は同じ日(昭和29年4月18日)に産まれた同期生。
沖縄出身と北海道出身が東京で音楽会をやる。
不思議な縁(えにし)を感じます。


★11月19日(土)  かりゆしフォークナイト(ふく助さん企画)
           金町かりゆし
           18:00 開場  19:00 開演
           会費 3000円 (お店のお任せ料理+飲み放題)
           「かりゆし」の掲示板 (参加される方はここに書き込んでください)
 

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皆様のお越しをお待ち申し上げます。

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2011.11.12

やっぱり難しい「朝市コンサート」

前回の(2週間前)「朝市コンサート」は体調不良でお休みさせてもらったので、今日は1ヶ月ぶりということになる。
1ヶ月間があくと季節もまわり、市場の雰囲気も変わる。
今日は人の出もめずらしく多い。

少々気持ちを高ぶらせながらコンサートをスタートさせた。

いつもとなんとなく勝手が違いとまどう。
買い物客が多く、話し声や移動する音が市場の天井に反響する。
その音が建屋全体にこもる感じがするのだ。
くわえて冷凍マグロを解体するチェンソーの音。

ギターの音が聞こえない。
人の多さにあわせてラインでつないでみたが、やはり聞こえない。
建屋にこもった音にかき消される、というよりも吸い込まれていく感じだ。

ペースをすっかり崩してしまった。
自分の音が聞こえないからだろう、変な力が入ってしまうようだ。
フィンガーピッキング(特にスリーフィンガー)が乱れる。

この時点でフィンガーピッキングをあきらめ、フラットピックに持ち替える。
ギターリフのような「小細工」はやめ、リズムを刻むことだけに意識を集中させる。

ようやっと安定し、歌に気持ちを切り替える。
ところが一度崩れたペースをなかなか立て直せない。

悶々としながら時間だけが経過していく。
不安をかかえながらの演奏だから人を観察する余裕もない。
人の表情をよみながら組み立てていくのが僕のやり方だ。
それがまったくできない。
買い物客の顔がまるで無表情の能面のように感じられる。
流れていくたくさんの人たちすべてに黙殺されている気持ちに陥ってしまう。

こうなるとやばい。
自信が根こそぎ崩れ落ちていく。
敗北感だけが頭をもたげてくるのだ。

そんな最悪の状態を救ってくれたのはお客さんだった。

いつも聞いてくれる小さな女の子とそのお母さんとおばあちゃん。
いつものようにベンチに腰を下ろし、体をゆする女の子。
にこにこ見守ってくれるお母さんとおばあちゃん。
この瞬間僕は彼女ら3人のためだけに歌っていた。
他の人の存在を消し去ることができた。

おかげでようやく自分を取り戻すことができた。
コンサートを始めてすでに1時間以上も経っていた。

それまで能面のように思えていた人の顔に表情を感じることができるようになる。
遠くから拍手を送ってくれている人が見えるようになり、
会釈をしながら笑顔で通り過ぎていく人が見えるようになる。
それらのひとつひとつに応える余裕ができる。
(むろん無表情のままに通り過ぎていく人の顔も見える)

ギターの音はあいかわらず聞き取りにくい。
でももうそれも気にならない。
歌いながらお客と目と目の会話、ほんの一瞬の会話ができるようになればそれでOKだ。

2時間のコンサート、歌い終わってみるとけっこうたくさんの人と会話を交わすことができた。
(このつかの間の会話が「朝市コンサート」の楽しみだ)
「出前ライブ」の依頼をされたりもした。
次回の「朝市コンサート」で歌ってほしいという歌のリクエストも受けた。

結果オーライである。


だが、不特定多数の買い物客に歌う「朝市コンサート」の怖さと難しさがあらためて身にしみた。

結局うまくいかない時の原因はすべて自分の中にあるんだ。

不特定多数に歌う「朝市コンサート」や「街角ライブ」。
聴く態勢にない人に歌うワケだから、「いい感じの場」を作れない責任はすべて自分にある。
それは力量不足だったり、場の現状把握ができないことだったりする。

でも何よりも自分の中に巣食う弱気の虫だ。
ひとたび弱気の虫が頭をもたげだすと、どんどん転げ落ちていく。
その結果現状把握など到底できなくなり、演奏もどんどんちじこまっていく。

冷静に現状把握をすればほとんどの場合「いい状態」なんてありっこない。
ネガティブな状態からコンサートをスタートさせるんだから、「弱気の虫」につかまったらそれでおしまいだ。

でも悲しいかな「弱気の虫」はたえず人の心に潜んでいるものだ。
「弱気の虫」とのつまり自分の弱さとの闘いが一番大切なことなのかもしれない。


今日の「朝市コンサート」
いつもと雰囲気が違う、ギターの音が聞こえない、久しぶりの市場
こういった不安要素に負けてしまった。
「弱気の虫」に抗うことができなかった。

そのことをしっかりと肝に銘じよう。


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2011.11.11

【函館日記 2011秋】 函館弁と自分

僕は普段は標準語でしゃべっている。(つもりだ)

内地で30年以上も暮らしてるんだからそうなるのもごく当たり前の話だ。

それでも帰省し函館の地を踏んだ瞬間にスイッチが切り替わりはごだで弁になる。

それはほとんど無意識のうちだ。

したってまわりがみんなはごだで弁なんだから。

ところが実際に幼馴染と会い、しゃべっていると自分の言葉に何となく不自然を感じることがあるのだ。(なんとなぐ、あずましぐないんだヮ)

どこかに標準語の臭いがあり、ネイティブなはごだで弁とは微妙に違った響きを感じる。

それは逆に内地で標準語で話しているつもりでも、どこかはごだで訛りが染みついているのと同じ。

函館で生まれ育ち、東京圏で生きているうちに函館弁と標準語が入り混じって今の自分の話し方になっている。

東京圏では函館訛りが溶け込んだ標準語を、函館(北海道)では標準語が溶け込んだ函館弁(北海道弁)をしゃべっているということだと思う。

函館弁のネイティブスピーカーに戻りたいという思いもある。
それにはUターンしてその地で暮らさないことには無理な話だろう。

反面でNHKアナウンサーのような標準語をしゃべりたいとは思わない。
(若いころはそう思ってたこともあるが)

どこかで自分のルーツを意識していたいという願いが歳を重ねるとともに強くなってきた。

それが一番端的に表されるのが言葉なのかもしれない。

函館に帰り、今回も多くの人と話すチャンスに恵まれた。

その断片の記録を【函館日記 2011秋】として認めた。

これまでも帰函の都度「函館日記」「札幌日記」として書いてきたが、今回は特に言葉を意識した。

ネイティブの函館人がしゃべっている言葉をできるだけ忠実に残そうと思った。

それは自分のルーツを確認することにつながると思ったからだ。

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【函館日記 2011秋】 青柳町の生家にたたずむ

Photo
裏庭から見る家はあの日のままに

 

 

 

生まれた家の門をあけて一歩中に踏み入れる。

 

言いようのない感慨を覚え、しばしその場にたたずんでいた。

 

生家に足を踏み入れたのは40年ぶりのことだ。

 

これまで帰函のたびに道路から家を眺めていたが、中に入ることはなかった。

 

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父の転勤のためこの家を後にしたのは16の春、中学を卒業した年だった。

 

長いこと知人夫妻に住んでもらっていた。

 

そのご夫妻も高齢となり自力で生活するのが難しくなり、家を出た。

 

60年の風雪に耐えている家だ。

 

いつ倒れてもおかしくない。もし万一何かあったらと思い、こちらも気が気でなかった。

 

今回の帰函の目的の一つは空き家となったこの家を今後どうするか探ることだった。

 

当初は売却して母の今後の生活資金に回そうと考えていた。

 

しかし当面それは見送ろうと思っている。

 

理由は二つある。

 

ひとつはただちに家を売却しなくても、母の生活が成り立つことが分かったこと。

 

もうひとつは、函館の状況では地価が極端に下がっているうえに、買い手がつきそうもないということだ。

 

売却するにしてもほとんどバラックと化した建屋を壊し、更地にしなければならぬ。

 

それにはそれ相当のお金がかかる。

 

当面はこのまま放置するしかないだろう。

 

冬が終わり雪が解けてからあらためて考えることにした。

 

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道路から眺める外観

 

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裏庭から眺める煙突。昔は石炭ストーブだった

 

 

 

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庭から見る居間

 

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祖父母の隠居所だった

 

 

 

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物置(石炭小屋)。悪さをするとここに閉じ込められた

 

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子供部屋。二重窓ではないので吹雪の日は雪が吹き込んだ

 

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玄関内戸はあのまんま。外戸は引き戸だった。
「しんばり棒」でじょっぴんかってた(鍵をする意味)

 

 

 

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ソケットは同じ型のものを使い続けていたようだ
子供のころは裸電球だった

 

.

 

家の中に足を踏み入れた。


こんなにちっぽけだったか
こんなにおんぼろになったか

最初の印象だ。

 

ほとんどはあの日のままになっている。

 

長年住んでくれたご夫妻は必要に応じて修理をくりかえしてくれた聞く。

 

でも原型はしっかり維持保存してくれていた。

 

隙間だらけのバラックとよんでもいいような家だ。

 

94歳のご高齢に真冬はさぞかし堪えたことだろう。

 

柱の1本1本に手を触れてみる。

 

想い出が次から次へとわいてくる。

 

庭に出てみる。

 

住み主を失った庭は草が伸び放題で、すっかり荒れている。

 

それでもオンコの木はあの日のままに赤い実をつけ、松の木の下にはまつぼっくりが転がっていた。

 

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Photo_14

 

 

 

庭の片隅に腰をおろしギターを取り出す。

 

中学生だった僕がギターを始めた場所だ。

 

ぽろんぽろんとつま弾くうちに、当時の練習曲がどんどん思い出される。

 

思い出すままにかたっぱしから弾いていく。

 

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うるせえやぃ!

隠居所で碁に興じる義一じいちゃんの声が聞こえるような気がする。


まあまあ、いんでないがぃ

なだめる客人。頭が禿げ上がりおでこに大きなコブのある人だったな。

 

そんなやり取りを目を細めて眺めるトミばあちゃん。

 

知らん顔して弾き続けるボンズ(坊主)頭の自分。

 

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何時間そうやって弾いていただろう。


おじいちゃん
そろそろほめてくれよ
あの頃よっか、なんぼかはうまくなったべさ
オレも

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気がつくと庭には冬の匂いを含んだ冷気が降りてきていた。

 

秋の陽は函館山に向かって傾いていた。

 

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この場所で中学生の僕はギターを始めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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【函館日記 2011秋】 あの時代を知る古池の最後の女たち

帰函するたびに必ず本家のおばのもとを訪ねる。

父方のおばである。

御年96歳のおばを僕は子供のころから慕ってきた。

やせた体をまるで柳のようにしなやかに風になびかせて生きてきたおばだ。

96
ハナちゃん 96歳

おばには口癖がある。

あの時代を知ってるのは、
あんたの母さんと私だけになってしまった
あの時代を知る最後の古池の女たちさ

だから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで仕方ないのさ
昔話しても分かるのはあんたの母さんだけだからね

この口癖を枕詞に延々と「あの時代」を叔母は語りだす。

えんえんと何度も何度も。

.

「あの時代」

戦中、戦後の函館と古池の家のことだ。

祖父は明治の末愛知県から裸一貫で函館に入植し、行商をしながら呉服店を立ち上げた人だ。

商売にはもちろん人付き合いにも厳しく襟を正す人だったのは僕も子供ながらに感じていた。

家長である祖父が絶対的権威をもつ家に叔母は嫁いできた。

小学校の先生だった叔母がしきたりもなにも全く違う商家に嫁いできたわけだ、さまざまな苦労があったという。


私は商売のことなんかなんも分かんないのさ
なんも分かんない私が店に立つと父さん(僕のおじ)に恥かかすと思って
おじいちゃんは立派な人だったけど、厳しい人だったっしょ
父さんもおじいちゃんをそのまま受け継いでるしさ

おばぁちゃんに影からずいぶん助けられたんだヮ

あんたの母さんもおんなじなわけさ
これは私らでないばわかんない話だもね

.

僕の父は商家のしきたりに反発して家を出た人だった。

人はいかに生くべきか

というようなことをたえず自問しているような人だった。
(父のことを理想主義的万年文学青年と言った人も多い)

残念なことに万年文学青年は万年貧乏生活を余儀なくされていた。

反発して家を出たにもかかわらず、経済的には本家にずいぶん世話になっている。

そこに嫁いだ母は本家との間でずいぶん気を使ったという。

特に祖父母は晩年、「隠居所」を我が家の敷地に増築して移り住んでいる。

目に見えない気苦労をしてきたはずだ。

86
イクちゃん 86歳

.

そういう時代、そういう家だったから
今の時代とは違った苦労があったわけさ

したけど私もあんたの母さんも
ぜんぜん、そんなこと苦じゃないわけさ

おじいちゃんも、私の父さんも、あんたの父さんも
みんな気難しい人だったけどね
みんなえらい(立派な=自分を持ってる)人だったからね

そんな時代のこと話してもすっと分かってくれるのは
もうあんたの母さんだけになってしまった

だから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで・・・

かくして話はふりだしに戻り、えんえんとくりかえされていく。

残念なことにイクちゃんは昨年転んだことがきっかけで
今は身動きに不自由な生活を余儀なくされている。

ハナちゃんのもとへ遊びにもなかなか行けない。

.

.

「あの時代を知る最後の古池の女たち」が

いつまでも元気で過ごしてくれることを心から祈る。

.

ハナちゃん   96歳

イクちゃん    86歳

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【函館日記 2011秋】 介護の世代 幼馴染たちと

今回も中学の同級生・工藤しんやが長年営む音楽バー「サウンドインS」に足を向けた。

道連れはやはり中学時代からなにかと行動を共にしてきたYちゃん。

五稜郭のおでん屋で腹ごしらえをしながらYちゃんは言う。

今回は懐かしい奴らにも声かけたんだわヮ
多分びっくりするヮ

いい時間になりサウンドインSに入るとカウンターには懐かしい顔ぶれがにこにこしながらこちらを見ている。

A子とM子だった。

中学を卒業して以来だから42年ぶりだ。

いやいややや
古池君、なんも変わってないね

おめらもぜんぜん変わんないな
すぐわかったさ

したけど街ですれ違っても多分気が付かないよね
その気でみてっから古池君だってわかっけど

そりゃ、おたがいさまだべさ

たわいない挨拶を交わす。

ふいに中学時代の一シーンを思い出す。

3年の秋だった。
中体連も終わり、受験勉強に気持ちを切り替えた寒い夕方。
末広町の電停でYちゃんと、A子と3人で電車を待っていた。
労音会館で行われる高石友也のリサイタルを見に行くためだ。
初めて見る高石友也にショックを受け、フォークソングに目覚めた日だった。

このステージで高石友也は「受験生ブルース」を歌った。
受験生の自分は「我が意を得たり」という気分になった。
「想い出の赤いヤッケ」を歌う高石友也。
一緒に口ずさむ観客、それはやがて大合唱に。
なんどもなんどもくりかえされるリフレーン。
それはやがて「友よ」に変わり、「We Shall Over Come」へ。
知らぬ間に涙があふれていた。

.

古池君、今でも歌ってんだってね?

A子の声に現実に引き戻される。

んだよ。
函館さ帰るたんびに、ここで歌ってくんだゎ
なまらうめぇよ
したっけ、俺ほどじゃないけどな

とマスター・しんや
(「函館物語」の作者、工藤しんやは優れたミュージシャンだ)

若き音楽友達・はたぼーと順番にミニステージをやる。(僕の帰函を聞きつけ、サウンドインSまで会いに来てくれていた)

その中で今回の帰函は弱った母のサポートが目的だというような内容を織り込んだ。

歌い終わってカウンターに戻るとM子がポツリともらす。

私んとこもおんなじなんだヮ
A子もそうだしさ
そんな年に私らもなったんだね

T子んとこもお舅さんがそうだってな


したから昼間はずっとうちで面倒みてんのさ
めったに外に出れないから
古池君帰ってきたから、いい口実できてさ
久しぶりに夜遊びさ

したっけ、しょうがないもんね
私らだって、いずれそうなるんだろうしさ

古池君もあれだよね
母さんの面倒みないばなんないから
これからしょっちゅうはごだで帰ってくるんだんべね
内地だとけっこうお金かかっしょ
ゆるぐないね

なんもさ
ツアーで安い宿みつけて帰ってくっから
いざとなりゃ、青柳町のウチが今空き家
寝袋置いとけば泊まれるべさ
冬だらちこっと厳しいけどな

.

幼馴染たちとの再会はうれしく、楽しかった。

楽しかったが切なかった。

みんなそれぞれに親の介護の世代に入っている。

介護の大変さはもちろんだ。

同時に自分を生み育てた親たちが衰えていく姿と対峙せざるをえない哀しさ、
やがて逝ってしまうことを念頭に毎日を生きることのやるせなさは、
やはりつらい。

したって・・・
しょうがないしょや

ケタケタ笑いながらそれを受け入れようとする北の国の女たちに、
沈みがちだった僕は救われる思いだった。

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2011.11.10

【函館日記 2011秋】 大人の遊び場 サティアン・こだるま

夜も更けたころ新川町の「こだるま食堂」をのぞいてみた。

ネットを通じて知り合り、以後親しくしてもらっているこだますおぢさんの店だ。

おぢさんはたしか還暦をちょっと過ぎたくらいの先輩。

夜な夜な仲間が集まり、酒を酌み交わし、怪気炎を上げている。

ベースキャンプは「サティアン」とよぶこだるま食堂か、大門にある老舗・赤帽子屋さん。(ミッキー酒場とよんでいる)

サティアンの扉を開くと案の定数人の還暦過ぎのおっさん連中がパソコンを覗き込み何やら大騒ぎしている。

おぢさん手作りのパソコンからは古いジャズが流れている。

ペギー・リー、いいべさ!

なんもさ、アニダ・オデイも負けてねってば!

てなあんばいでやっている。

おばんでした!

と声をかけると

いやいややや、マーチンさんでねぇがぃ!
よぐ来たね!
で、
どうした
母さん、元気だったがい?

はごだで弁まるだしで迎えてくれる

今夜は仲間の一人ヤマガダさんのパソコン調整を肴に騒いでいる。

アラカン親父たちがまるで小学生みたいに口から泡飛ばしてしゃべりたてる。
(アラカン=アラウンド還暦)

僕もいきなりその中に飛び込む。

ひとわたり騒いだところで

せっかぐ、マーチンさん来たんだから一発やるがぃ

おぢさんはそういって奥から古いギターを取り出す。

なんも、俺だって高校生のころやってたんだヮ
PPMだとか、ブラホ(ブラザース・フォー)だとかデラン(デュラン)だとかさ
今だらワヤさ。なーんも弾かれなぐなったさ
(「今はもう全然弾けなくなった」という函館弁)

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今宵の雰囲気は古いジャズボーカルだったんで

「All Of Me」 や「Fry Me To The Moon」 を弾き語る。

酔っぱらい親父たちは大騒ぎ。

いやややや、サティアンでライブおっぱじまっちまった
なまら、いんでないがぃ! (すごくいいね)
こったらとこでライブ聴けるなんて、ワヤだね
(こんなとこでライブ聴けるなんてイイネ)

調子に乗ってPPMやデュランなんかも歌う。

やはりこの世代共通の歌だ、大いに盛り上がる。

.

.

そういえばさ
トミさん元気だがぃ
いややや、あの人だらすごいもね
あの歌聴いたら、とても70過ぎには思えないっしょ
迫力あるし、なまめかしいしさ

と、ミッキーおじさん。

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ミッキーおじさんはFMいるかのパーソナリティをやってただけあり、いろんな音楽に精通してる。しかもマニアックな音楽にもかなり詳しい。

ネットに上がっているトミ藤山さんのライブ映像を観て
以前からいいね、いいねとくりかえしていた。

おれらの親父、おふくろ世代
ここら辺りじゃ、みんなトミさんのこと知ってんだヮ
ナマで観たこたないけどさ
みーんな「ラジオ深夜便」聴いてっからね

今度はトミさんを酒の肴に盛り上がる。

.

.

そだそだ、マーチンさん
おもしょいもの見しちゃる (面白いもの見せてやる)
こないださ、昔の蓄音機ば手に入れたんだヮ
取っ手ば回すやつさ
懐かしっしょ、こうゆうの
してさ、しまってあったオヤジのSP盤さがしだしたんだヮ

そういいながら、取っ手(ハンドル)をまわし、レコードをかけるこだますおぢさん。

艶っぽい音で流れるジャズ。

Photo

いいんでないかぃ
蓄音機の音も捨てたもんでないね
いやいやや、うだでたまげたわ (とてもびっくりした)
したっけ、よく見つけたね (それにしても、よく見つけたね)
しかも、SPレコードまでとってあるんだもね

.

.

ちょっとあいさつ程度に立ち寄るはずだったが、あっという間に3時間が過ぎてしまった。

楽しく、うらやましくもあるひとときだった。

歳を重ねて還暦を過ぎ、今なお仲間が集り人生を謳歌している。

今はもう(多分)営業していない食堂を「サティアン」と呼び秘密基地として根城にしている。

秘密基地に「ガラクタ」を山のように持ち込み、そのガラクタと格闘しながら遊ぶ。

還暦過ぎのオヤジたちに僕は小学生の目の色を見た。

これが地元に根を張るということなんだな。

あらためてそう感じさせてもらうひとときだった。

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★雰囲気を再現するため函館弁で交わされた会話をそのまま採録しました。分かりずらい表現は標準語で注釈を入れました。

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2011.11.08

【函館日記 2011秋】 ちょっと切ない旅だった

先日故郷の函館に帰ってきた。

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今年2回目の帰省になる。

いつもと違い今回はちょっと切ない旅になった。

老人ホームに暮らす母が弱ってきた
今後を見すえた相談をしなければならない

長年知人に住んでもらっていた生家が空き家になった
現地の実態を確かめ、今後の処置をどうするか考えなければならない

それらに付随するもろもろのこと

母の言葉を借りれば「死に支度」の手伝いが今回の旅の目的だった。

息子としては「死に支度」なんて言葉は使いたくないが、その時はいずれ必ずやってくる。

それが1年後か、5年後か、あるいは20年後かはわからないが必ずやってくる。

その日が来るまで母が心安らかに生き抜くこと。

その手助けをすることが子供の役割なんだろうと思う。

だから母の抱える「不安要素」を取り除いてやる、そのための下準備に帰ったわけだ。

ところで「不安要素」ってなんだろうか。

いつまで健康で、体を自由に動かしていられるか

「惚け」(認知症)がいつ始まり、いつ本格化するか

ということに尽きるように思う。

母は何よりもそれを気にかけている。

内蔵などはいたって健康である。
しかし残念なことに昨年転んでから体の自由が効かなくなった。
くわえて「認知」の程度も多少進んでいる。

自分の母親(僕の祖母だ)の晩年を看取った母はその怖さ、無残さ、無念さを十二分に自覚している。自分がそうなることを何よりも恐れている。

今の状態が進んだ時、自分の経済状態や所有するもの(生家から服、着物の類まで)を管理できなくなることを恐れている。

なんにもワケわかんなくなって死んでしまったら
あんたらが後始末にこまるっしょ
頭がちゃんとしてるうちに整理しないばね
おばあちゃん時は私がそばにいたからよかったけどね

親不孝な息子としては心の痛むことだが、その通りではある。

したがって今回はこれまで踏み入ることがためらわれたことにまで首を突っ込んできた。
母の経済収支や預貯金にあれこれ意見するのはたとえ親子でもためらわれるものだ。

年金の受給額や多少のたくわえの全体像をはっきりさせること

ホーム入居費やデイサービスなど医療費など固定支出の明確化

今後予想される「特別養護老人ホーム」への移動に伴う準備
  予想される収支の試算
  所有する荷物等の整理 (ケアが目的の「特養」の方がスペースは狭い)
  そして何より心の準備

空き家になっている生家を今後どうするのか (維持するのか、売却するのか)

札幌にある父の遺骨を函館に戻すための手続き

その他もろもろ

これらのことを動けぬ母に代わってやってきた。

幸いなことに経済的には今後も問題なくやっていけそうとの見通しがたった。

それだけでも(親子ともども)安心感が得られた。

しかしまだ現状把握の段階であり、母の「死に支度」の手伝いの端緒についたに過ぎない。

実際的な動きはこれから始まるわけであって…これからも切ない帰省が続くことになる。

「死に支度」を手伝うことが母を元気づけることにつながればいい。

さらに手伝いを通して古池の家の歴史と精神的な資産を受け継いでいきたい。

今はそう願うばかりだ。

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2011.11.07

西湖・いやしの里  「昭和の香り漂う 弾き語りライブ」

甲州の音楽友達Charleyさん主催の 「昭和の香り漂う 弾き語りライブ」に参加した。

場所は西湖のほとり青木が原の樹海のかたわら、「西湖 いやしの里 根場(ねんば)」。

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日本の原風景・茅葺集落を再現した「いやしの里」に来る観光客にいっぷくの音楽でくつろいでもらおうという趣旨だ。

地元甲州のCharleyさん、ジャック・フルヤさん
信州からは絵仕事 界屋さん
そして関東勢はch@bozさん、hiromiさん、まぁちん古池

いやしの里にあやしのおっさん一向が集まり4時間にわたって弾き語った。

あいにくの曇り空だったが、紅葉は今が見ごろ。

茅葺屋根の風景に見事な色を添えてくれる。

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観光のお客さんは断続的にやってくる。

物珍しげな顔で遠巻きに眺める人あり、用意された椅子に腰をおろししばし聴いてくれたり・・・
さまざまだ。

我々はお客がいようがいまいが、多かろうが少なかろうが、
淡々と順番に演奏を続ける。

中には音に引かれてやってくるお客も少なくない。

客が集まると演る方もがぜん気合が入る。

演奏を聴きながら、そして演奏をしながら思ったことがある。

いっぷくのお茶をたてて客をもてなしてるみたいだな
ということは一期一会の気持ちでお客に接し、演奏をしなきゃな

茶の湯の精神は「一期一会」
再びあいまみえることがないがゆえに誠心誠意もてなす心にあり

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こういう音楽会は嫌いじゃない。

「街角ライブ」と相通ずるものがある。

そして何よりうれしかったのは各地から集まった友人たちとその時間を共にできたことだ。

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音楽がなければ決して出会うことのなかった友と同じ時間、同じ空間を共にする。

まるで奇跡のようなことだと思う。

今回が3回目の音楽会だそうだ。
次は桜のころにやりたいとのこと。

ぜひまた参加したい。

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2011.11.04

2011年11月 ライブ・コンサート予定

★11月05日(土) 西湖 いやしの里コンサート 
             10:00 ~ 15:00
             【出 演】  Charley:絵仕事 界屋:ch@boz:まぁちん古池:他
             【場 所】 西湖・いやしの里 根場
                   http://www.fujisan.ne.jp/iyashi/

             主催・Charleyさんの告知記事  http://charley1496.blog76.fc2.com/



★11月12日(土)  朝市コンサート 
           8:30~10:30
           越谷市場

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html




★11月13日(日) 代々木公園 オープン・ノーマイクの会(予定) 
          お昼頃から日没まで
          代々木公園内「丘の広場」

http://www.tomi-1.com/index.asp?patten_cd=9&page_no=150




★11月18日(金)  お好み焼きの三貴ライブ
           21:00~23:30
           「お好み焼きの三貴」
           東武伊勢崎線 新越谷(東口)
           武蔵野線 南越谷(南口)
            各徒歩5分

http://ggyao.usen.com/0002132503_map.html



★11月19日(日)  かりゆしフォークナイト(ふく助さん企画) 
           金町・沖縄料理 かりゆし
            葛飾区水元4-24-15
            JR常磐線各駅停車・東京メトロ千代田線「金町」駅南口下車
              南口④番バス乗り場
              京成バス金61系統 or 小56系統「戸ヶ崎操車場」行き
              「水元4丁目」下車。
              ファミリーレストラン「夢庵」の向かい。
           18:00 開場  19:00 開演
           参加費:3,000円

          サイト:http://homepage2.nifty.com/tk-kariyushi/
          電 話 :03-3608-5633
          FAX  :03-3608-4316


★11月26日(土)  朝市コンサート
           8:30~110:30
           越谷市場

http://www7.ocn.ne.jp/~k-ichiba/akusesumap.html

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