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2011.11.11

【函館日記 2011秋】 介護の世代 幼馴染たちと

今回も中学の同級生・工藤しんやが長年営む音楽バー「サウンドインS」に足を向けた。

道連れはやはり中学時代からなにかと行動を共にしてきたYちゃん。

五稜郭のおでん屋で腹ごしらえをしながらYちゃんは言う。

今回は懐かしい奴らにも声かけたんだわヮ
多分びっくりするヮ

いい時間になりサウンドインSに入るとカウンターには懐かしい顔ぶれがにこにこしながらこちらを見ている。

A子とM子だった。

中学を卒業して以来だから42年ぶりだ。

いやいややや
古池君、なんも変わってないね

おめらもぜんぜん変わんないな
すぐわかったさ

したけど街ですれ違っても多分気が付かないよね
その気でみてっから古池君だってわかっけど

そりゃ、おたがいさまだべさ

たわいない挨拶を交わす。

ふいに中学時代の一シーンを思い出す。

3年の秋だった。
中体連も終わり、受験勉強に気持ちを切り替えた寒い夕方。
末広町の電停でYちゃんと、A子と3人で電車を待っていた。
労音会館で行われる高石友也のリサイタルを見に行くためだ。
初めて見る高石友也にショックを受け、フォークソングに目覚めた日だった。

このステージで高石友也は「受験生ブルース」を歌った。
受験生の自分は「我が意を得たり」という気分になった。
「想い出の赤いヤッケ」を歌う高石友也。
一緒に口ずさむ観客、それはやがて大合唱に。
なんどもなんどもくりかえされるリフレーン。
それはやがて「友よ」に変わり、「We Shall Over Come」へ。
知らぬ間に涙があふれていた。

.

古池君、今でも歌ってんだってね?

A子の声に現実に引き戻される。

んだよ。
函館さ帰るたんびに、ここで歌ってくんだゎ
なまらうめぇよ
したっけ、俺ほどじゃないけどな

とマスター・しんや
(「函館物語」の作者、工藤しんやは優れたミュージシャンだ)

若き音楽友達・はたぼーと順番にミニステージをやる。(僕の帰函を聞きつけ、サウンドインSまで会いに来てくれていた)

その中で今回の帰函は弱った母のサポートが目的だというような内容を織り込んだ。

歌い終わってカウンターに戻るとM子がポツリともらす。

私んとこもおんなじなんだヮ
A子もそうだしさ
そんな年に私らもなったんだね

T子んとこもお舅さんがそうだってな


したから昼間はずっとうちで面倒みてんのさ
めったに外に出れないから
古池君帰ってきたから、いい口実できてさ
久しぶりに夜遊びさ

したっけ、しょうがないもんね
私らだって、いずれそうなるんだろうしさ

古池君もあれだよね
母さんの面倒みないばなんないから
これからしょっちゅうはごだで帰ってくるんだんべね
内地だとけっこうお金かかっしょ
ゆるぐないね

なんもさ
ツアーで安い宿みつけて帰ってくっから
いざとなりゃ、青柳町のウチが今空き家
寝袋置いとけば泊まれるべさ
冬だらちこっと厳しいけどな

.

幼馴染たちとの再会はうれしく、楽しかった。

楽しかったが切なかった。

みんなそれぞれに親の介護の世代に入っている。

介護の大変さはもちろんだ。

同時に自分を生み育てた親たちが衰えていく姿と対峙せざるをえない哀しさ、
やがて逝ってしまうことを念頭に毎日を生きることのやるせなさは、
やはりつらい。

したって・・・
しょうがないしょや

ケタケタ笑いながらそれを受け入れようとする北の国の女たちに、
沈みがちだった僕は救われる思いだった。

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