【函館日記 2011秋】 ちょっと切ない旅だった
先日故郷の函館に帰ってきた。
今年2回目の帰省になる。
いつもと違い今回はちょっと切ない旅になった。
老人ホームに暮らす母が弱ってきた
今後を見すえた相談をしなければならない長年知人に住んでもらっていた生家が空き家になった
現地の実態を確かめ、今後の処置をどうするか考えなければならないそれらに付随するもろもろのこと
母の言葉を借りれば「死に支度」の手伝いが今回の旅の目的だった。
息子としては「死に支度」なんて言葉は使いたくないが、その時はいずれ必ずやってくる。
それが1年後か、5年後か、あるいは20年後かはわからないが必ずやってくる。
その日が来るまで母が心安らかに生き抜くこと。
その手助けをすることが子供の役割なんだろうと思う。
だから母の抱える「不安要素」を取り除いてやる、そのための下準備に帰ったわけだ。
ところで「不安要素」ってなんだろうか。
いつまで健康で、体を自由に動かしていられるか
「惚け」(認知症)がいつ始まり、いつ本格化するか
ということに尽きるように思う。
母は何よりもそれを気にかけている。
内蔵などはいたって健康である。
しかし残念なことに昨年転んでから体の自由が効かなくなった。
くわえて「認知」の程度も多少進んでいる。
自分の母親(僕の祖母だ)の晩年を看取った母はその怖さ、無残さ、無念さを十二分に自覚している。自分がそうなることを何よりも恐れている。
今の状態が進んだ時、自分の経済状態や所有するもの(生家から服、着物の類まで)を管理できなくなることを恐れている。
なんにもワケわかんなくなって死んでしまったら
あんたらが後始末にこまるっしょ
頭がちゃんとしてるうちに整理しないばね
おばあちゃん時は私がそばにいたからよかったけどね
親不孝な息子としては心の痛むことだが、その通りではある。
したがって今回はこれまで踏み入ることがためらわれたことにまで首を突っ込んできた。
母の経済収支や預貯金にあれこれ意見するのはたとえ親子でもためらわれるものだ。
年金の受給額や多少のたくわえの全体像をはっきりさせること
ホーム入居費やデイサービスなど医療費など固定支出の明確化
今後予想される「特別養護老人ホーム」への移動に伴う準備
予想される収支の試算
所有する荷物等の整理 (ケアが目的の「特養」の方がスペースは狭い)
そして何より心の準備空き家になっている生家を今後どうするのか (維持するのか、売却するのか)
札幌にある父の遺骨を函館に戻すための手続き
その他もろもろ
これらのことを動けぬ母に代わってやってきた。
幸いなことに経済的には今後も問題なくやっていけそうとの見通しがたった。
それだけでも(親子ともども)安心感が得られた。
しかしまだ現状把握の段階であり、母の「死に支度」の手伝いの端緒についたに過ぎない。
実際的な動きはこれから始まるわけであって…これからも切ない帰省が続くことになる。
「死に支度」を手伝うことが母を元気づけることにつながればいい。
さらに手伝いを通して古池の家の歴史と精神的な資産を受け継いでいきたい。
今はそう願うばかりだ。
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コメント
ご無沙汰してます。
他人事とは思えませんでした。
ウチは同居しているので、その分だけでも気が楽ですが
いろいろ備える必要があるのでタイヘンですよね。
投稿: Goro | 2011.11.09 09:32
Goroさん。
お元気でしょうか。
我々もいよいよそういう年回りになってきましたね。
受け入れがたくも、受け入れざるを得ない浮世の常。
ならば積極的に受け入れて、それをいいものにしていきたいなと思っています。
投稿: Martin古池 | 2011.11.11 09:22