【函館日記 2011秋】 青柳町の生家にたたずむ
生まれた家の門をあけて一歩中に踏み入れる。
言いようのない感慨を覚え、しばしその場にたたずんでいた。
生家に足を踏み入れたのは40年ぶりのことだ。
これまで帰函のたびに道路から家を眺めていたが、中に入ることはなかった。
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父の転勤のためこの家を後にしたのは16の春、中学を卒業した年だった。
長いこと知人夫妻に住んでもらっていた。
そのご夫妻も高齢となり自力で生活するのが難しくなり、家を出た。
60年の風雪に耐えている家だ。
いつ倒れてもおかしくない。もし万一何かあったらと思い、こちらも気が気でなかった。
今回の帰函の目的の一つは空き家となったこの家を今後どうするか探ることだった。
当初は売却して母の今後の生活資金に回そうと考えていた。
しかし当面それは見送ろうと思っている。
理由は二つある。
ひとつはただちに家を売却しなくても、母の生活が成り立つことが分かったこと。
もうひとつは、函館の状況では地価が極端に下がっているうえに、買い手がつきそうもないということだ。
売却するにしてもほとんどバラックと化した建屋を壊し、更地にしなければならぬ。
それにはそれ相当のお金がかかる。
当面はこのまま放置するしかないだろう。
冬が終わり雪が解けてからあらためて考えることにした。
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玄関内戸はあのまんま。外戸は引き戸だった。
「しんばり棒」でじょっぴんかってた(鍵をする意味)

ソケットは同じ型のものを使い続けていたようだ
子供のころは裸電球だった
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家の中に足を踏み入れた。
こんなにちっぽけだったか
こんなにおんぼろになったか
最初の印象だ。
ほとんどはあの日のままになっている。
長年住んでくれたご夫妻は必要に応じて修理をくりかえしてくれた聞く。
でも原型はしっかり維持保存してくれていた。
隙間だらけのバラックとよんでもいいような家だ。
94歳のご高齢に真冬はさぞかし堪えたことだろう。
柱の1本1本に手を触れてみる。
想い出が次から次へとわいてくる。
庭に出てみる。
住み主を失った庭は草が伸び放題で、すっかり荒れている。
それでもオンコの木はあの日のままに赤い実をつけ、松の木の下にはまつぼっくりが転がっていた。
庭の片隅に腰をおろしギターを取り出す。
中学生だった僕がギターを始めた場所だ。
ぽろんぽろんとつま弾くうちに、当時の練習曲がどんどん思い出される。
思い出すままにかたっぱしから弾いていく。
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うるせえやぃ!
隠居所で碁に興じる義一じいちゃんの声が聞こえるような気がする。
まあまあ、いんでないがぃ
なだめる客人。頭が禿げ上がりおでこに大きなコブのある人だったな。
そんなやり取りを目を細めて眺めるトミばあちゃん。
知らん顔して弾き続けるボンズ(坊主)頭の自分。
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何時間そうやって弾いていただろう。
おじいちゃん
そろそろほめてくれよ
あの頃よっか、なんぼかはうまくなったべさ
オレも
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気がつくと庭には冬の匂いを含んだ冷気が降りてきていた。
秋の陽は函館山に向かって傾いていた。
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コメント
私も2年前に実家を売却しました。
今年、8月。母の三回忌の後、その場所を訪ねたら、素敵な新築の家が建っていました。
実家は私が上京してから建ったので、住んだことはありませんでしたが、やはり寂しいものですね。
若いと言われぬ齢になり
いつか背中が寒くなり
思わず 振り返る
母は年老いて 今も静かに
ぼくの帰る日を 待っててくれる
投稿: ふく助 | 2017.11.12 11:12
ふくすけさん。
今頃投稿に気が付きました。
「母のふるさと」の心境良くわかります。
投稿: Martin古池 | 2017.12.17 21:13